古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

魏志倭人伝に登場する銀印(銀印青綬)

2017-05-03 13:33:41 | 歴史
魏志倭人伝で紹介されている 「卑弥呼に贈られた親魏倭王の金印」は「委奴国王」の金印と共に有名ですよね。
しかし、魏志倭人伝を読んでいくと、更に続きがあります。

汝の来使難升米・(都市)牛利は、遠きを渉り、道路(たびじ)に(おいて)勤労(よくつとめること)した。
いま、難升米をもって、率善中郎将(宮城護衛の武官の長)となし、牛利を率善校尉(軍事や皇帝の護衛をつかさどる官)となす。
銀印青綬(あおいくみひも)を仮け、(魏の天子が)引見し、労賜し(ねんごろにいたわり、記念品をたまわり)、還らせる。

つまり、
難升米に、率善中郎将(宮城護衛の武官の長)
牛利を率善校尉(軍事や皇帝の護衛をつかさどる官)
の銀印青綬(あおいくみひも)を贈る。
その銀印には、「率善中郎将」と「率善校尉」と刻印されたのでしょうか。
当時、この銀印は大陸国内では多数発行されていたようです。
さすがに、金印は稀ですが、銀印はそれぞれの役目に応じて発行されています。
自分の護衛の役目ですので、多い方が良いのは当たり前です。
三つの印の意味を考えると
「親魏倭王」 卑弥呼が倭王で、魏と親しい。
難升米と牛利 は、宮や皇帝の護衛役につく。
もし、倭国が魏へ軍を出すような場合は、難升米と牛利は魏の防衛側になる事に
二人が気が付いていたのでしょうか。

当時の倭国最大の地域、伊都国、奴国 と 大陸の都 洛陽
二人が、その規模の違いに圧倒されたことは間違いないでしょう。
建物数、大きさに加え、軍(多分に水軍の船等)
魏の皇帝へ反抗する、敵意をみせるなど出来るはずがありません。
相手の言いなりになった事はまちがいありません。
「率善中郎将」と「率善校尉」の意味を知りつつもありがたく受け取ったでしょう。
この二つの銀印もどこかに眠っています。
もし日本で見つかれば、難升米と牛利のお墓に間違いないですね。


続いて、難升米と牛利の人物像について考えてみます。
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