古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

天照大神(アマテラス)=卑弥呼の設定について

2017-01-02 14:03:16 | 歴史
昨年の投稿の続きですが、
16代仁徳天皇と大仙陵(400年代前半)辺りからは、古事記・日本書紀も信頼性があるような気がしています。
仮に
神話の天照大神(アマテラス)=卑弥呼、卑弥呼の墓=箸墓古墳 とした場合
卑弥呼の死 248年 箸墓古墳=250年位 つじつまがあうのですが、
初代天皇 神武天皇がアマテラスの5代目
神武天皇まで21代となります。
世代21代で440年ー250年=190年 一代平均 約9年在位 となります。
9歳で子供は作りは無理です。
欠史八代を省いて 21-7=14代の場合 一代 約13.5年
まだ、難しそうです。
12世代で 約16歳、10世代なら19歳です。これくらいでしょう。
欠史八代以外にも、天皇家に追加された架空の天皇がいる様です。
天皇陵の年代測定と史記の記録と合わない天皇
10代 崇神天皇
11代 垂仁天皇
13代 成務天皇(兄弟 ヤマト尊)
14代 仲哀天皇(妻 神功皇后)
15代 応神天皇
彼らは、大阪(羽曳野、境)の国王ではないでしょうか、大きな陵があり
後にヤマト朝廷に加わり、朝廷内でも権限があったので、天皇記に歴代天皇として追加された。

もう一つの疑問が神武東征です。
何故、天照大神の墓が近畿で、5世代子孫の神武天皇が九州から近畿へ移住する。
やはり、卑弥呼は一人ではない しか思えません。
親魏倭王の金印を貰った卑弥呼が権力の頂点に立ちます。
その後、卑弥呼は近畿にも邪馬台国を作ろうと一部の民を移住させます。
しかし、この事が九州北部の国王から反感を受け、卑弥呼祈祷政治に終止符を打ちます。
この年が、卑弥呼が亡くなった247年、或いは248年です。
九州北部の卑弥呼一族は日向(宮崎)へ移住して過ごします。天孫降臨です。
後に(たぶん300年代初)日向の一族が近畿(奈良)の元へ移住する。(神武東征)
ではないでしょうか。
魏志倭人伝では、径100歩余、100人が殉死と伝わりますが、後の史記の著者は
年代を合わせるために箸墓古墳を第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓で記述
古墳の年代、魏志倭人伝、古事記・日本書紀の三つのパズルの組み合わせの答えだと思うのですが
如何でしょうか。


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