古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

邪馬台国 近畿説 VS 九州説

2016-10-15 11:59:05 | 歴史
未だに決まらない邪馬台国のあった場所
近畿、九州の他にも、中国・四国 或いは 韓国説までありますが
大勢は 近畿(奈良盆地) Or 九州北部 で決まりだと思います。
それぞれの主張は
近畿説の主張
九州説の主張
考古学ファンでなくても、邪馬台国は九州か近畿か、各々が議論・主張を繰り返している
事はご存知でしょうが、
考古学ファンであれば必須科目ですの、是非、頭を整理して、以下を覚えておいてください。

お互いの主張は、倭国で起きた三つの乱 の取り扱い
1、倭国大乱(西暦100年程から80年間ほど続く)
2、卑弥呼と卑弥弓呼の戦い(倭国の大乱後、卑弥呼が女王になるがまだ国纏まらず)
3、卑弥呼の死後、男王が立つが国乱れる(台与が登場するまで数年間の争い)

九州説は、既に説明してあるので過去の投稿を参考にして下さい。
以下は近畿説の考え方です。
1、倭の大乱
  中国の大陸が三国時代になり 『漢委奴国王』 が無力化、奴国の権力が弱体
  国同士が争います。この時代に、国王は大陸、九州から離れた土地(奈良盆地)に
  都を移し、移住する。
2、卑弥呼と卑弥弓呼の戦い
  奈良の天皇家VS和歌山の一族(或いは伊勢の一族)
3、卑弥呼の死後、男王が立つが国乱れる
  天皇家の世継ぎ争い

中国の史記(魏志倭人伝など)より卑弥呼の生涯を一覧にしてみると
西暦180年頃 女王になり倭国を統一
西暦238年  魏より金印が贈られる。
西暦247年  狗奴国との戦いを魏に報告
西暦247年(或いは248年) 卑弥呼死去

70年ほどの長期政権です。人間の寿命を考えると一世代では無理でしょう。
何時のタイミングで近畿朝廷が出来たか?これが近畿説と九州説の違いです。
1、180年以前に近畿朝廷があり、初代女王が卑弥呼
2、卑弥呼の時代に九州から近畿へ遷都があった。
以上が近畿説
3、卑弥呼死後に、九州の一族が近畿へ移住した
以上が九州説です。

この二つの説が土俵の中央でがっぷりと組み合って一歩も引かない状態です。
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