古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

16代仁徳天皇と倭の五王

2016-12-24 10:32:12 | 歴史
歴代の天皇で年代がはっきりする手がかりが『宋書』倭国伝にあります。
仁徳天皇の3人の子供
17代履中天皇 倭王 讃
18代反正天皇 倭王 珍
19代允恭天皇 倭王 済
允恭天皇の子供(仁徳天皇の孫)
20代安康天皇 倭王 興
21代雄略天皇 倭王 武

『宋書』倭国伝によると、この五人(2世代)が活躍したのは
421年から478年です。その内容は
朝鮮半島を長く支配していましたが、状況苦しく、南朝宋の武帝に書面を贈り、425年に特産品を献上し
文帝に安東将軍・倭国王に任命してもらいます。
478年の武王の手紙によると、倭国は
東の方は毛人の55国を征し、西の方は衆夷(しゅうい)66国を征服し、海を渡って北の95国を平らげました。皇帝の王道は広く溶け込み、封土は広大です。
※これは大げさでしょう。東の毛人は関東から北陸、西の衆夷は出雲、九州で、北の95国は朝鮮半島です。
 既に、氏姓制度を各地の王に言い渡してありますので、満更嘘ではありませんが、諸国の王が支配下にあったわけでは
 ありません。

臣下であるわたくしの父済王は実に高句麗が宋国へ通う道を塞ぐことを怒り、弓矢を持つ兵士100万、義憤の声を挙げて奮いたち、大挙して攻めようとしましたが、にわかに父王と兄王が亡くなって後一息で成功する時に、さいごの一撃が出来ませんでした。わたくしは国に居て喪に服しているので兵士たちを動かさないでいます。こうして戦いをやめて兵士を休めて、高句麗に勝たずにいます。
とあります。
高句麗との戦いで敗れ、朝鮮半島の支配を失います。

七枝刀 と 広開土王碑では
369年では百済王が七枝刀を贈ってきます。
百済とも友好で、朝鮮半島の多くを支配していました。

396年 広開土王みづから、倭の「臣民」となった百残を討った。
399年 新羅に倭兵が侵入したと聞いて新羅の救援を約束した。
400年 新羅救援のため5万の兵を派遣し、逃げる倭兵を追って任那加羅まで追撃した。
404年 倭の水軍が帯方界にまで侵入したので、広開土王みづから兵を率いて倭に壊滅的打撃を与えた。
仁徳天皇 或いは 前代の応神天皇の時代に高句麗の攻撃を受け支配権を失います。
その後も478年まで兵士を贈り続けますが、功績を上げる事が出来ず、撤退しています。

神功皇后による三韓征伐は、369年以前です。
馬韓・弁韓・辰韓の三韓を筑紫氏、宗像市、出雲氏の三つの豪族がそれぞれを実質支配したのではないでしょうか。
天皇家からは物部氏などが向かいますが、筑紫氏の様に交易の利益を蓄える一族もいる状況です。
近畿では、氏姓制度をはじめ律令国家への体制づくりが着々と身を結びます。


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