古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

前方後円墳と天皇家

2016-12-31 14:03:04 | 歴史
古墳が、大王の墓と考えるなら、弥生時代からあったようです。
吉野ケ里では、北墳丘墓 ~歴代の王の墓~があり、墳丘に歴代の王が埋葬され、手前に催事場があり階段があります。
後の古墳時代の古墳と異なるのは、同じ丘に歴代の王(吉野ケ里では14基)が埋葬されている事です。
古墳時代では、一人の王の為に大きな円墳が盛られて中央に王が埋葬されます。
埋葬の儀式や祭りごとを行うために手前に台の部分を配置したのが前方後円墳です。
この古墳時代には、埋葬品として、銅鐸 か 銅剣、銅矛 かで、二つの文化圏に分かれます。
九州北部を中心にした銅剣・銅矛文化圏 と 近畿を中心にした銅鐸文化圏です。
前の投稿で紹介した通り、前方後円墳が天皇家独特の文化でも象徴でもなく、各地で作られています。

天皇陵の古墳と年代をグラフにしてありました。

横軸が、古事記など史記にある年代で、縦軸が実際に古墳を調査して判明した年代です。
45度の直線状にあれば、史記と実際が合う事になりますが
10代 崇神天皇 その子供
11代 垂仁天皇 その子供
12代 景行天皇 その子供
13代 成務天皇 とヤマト尊の子供が
14代 仲哀天皇 で皇后が神功皇后であり、その子供
15代 応神天皇 その子供が
16代 仁徳天皇 と続きます。
ところが、崇神天皇、垂仁天皇、ヤマト尊、応神天皇陵は、史記より100年ほど後
仲哀天皇と神功皇后が夫婦で応神天皇が子供、更に孫にあたるのが仁徳天皇ですが
どうも、天皇陵年代が合わないのです。
古事記の
1.上つ巻(序・神話)
 邪馬台国(卑弥呼)を含む、九州、中国地方の話
2.中つ巻(初代から十五代天皇まで)
 架空の話 或いは 諸国の有名な国王
3.下つ巻(第十六代から三十三代天皇まで)
 近畿(羽曳野、堺)の国王と正確にわかる天皇家のお話
ではないでしょうか。
大陸との交流で文化や鉄製品なで武力で勝る 銅剣・銅矛文化圏
近畿銅鐸文化圏は周囲諸国の同盟を強力にするとともに関東へも文化を広げます。
千葉など関東で前方後円墳が多い理由です。
多分にヤマト尊がこの仕事を実行したのではないでしょうか。
つまり、10代~16代 仁徳天皇ぐらいまでは天皇家とは関係のない近畿の豪族の墓です。
500年代にヤマト朝廷が力をつけると。各豪族の歴史を自分の家系の歴史にしたのが天皇記で
後に、古事記・日本書紀に記述されて。近代において宮内庁が近畿各地の古墳に歴代の天皇の名前を付けたのです。
初代から15代天皇は奈良の地で過ごした天皇家の先祖、或いは仕えた人々、或いは架空の人物で
奈良にあったお墓を勝手に使ったり、後に陵を造ったりしています。
しかし、箸墓古墳(250年)を卑弥呼の古墳とした場合に、神武東征の神話の疑問が残ります。
この答えは、後ほどとして、明日は元旦ですので、やはり神社について語りたいと思います。

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文化
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