古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

日本で起きたの三国志(大和朝廷)第二話

2017-04-09 15:47:09 | 歴史
日本で起きたの三国志(大和朝廷)第一話続きです。
卑弥呼の死後、九州で勢力を伸ばす筑紫朝廷 と 出雲王国 共に3世紀後半の出来事です。
旧邪馬台国一派は、行き場をなくし、大分、宮崎で過ごします。
日本神話では、天孫降臨の神話にあたります。
その様な時代に、大陸と朝鮮半島では、もっと大変な時代に突入します。
大陸、265年 魏が滅びる、司馬炎により西晋が出来る
   316年 司馬炎が滅びる。
八王の乱の時代に突入、隋が統一するまでの300年程、内乱、クーデターの時代になります。
朝鮮半島でも、帯方群、楽浪郡も魏から西晋の支配下へ、更に高句麗が南下して朝鮮半島も混とんとした時代を迎えます。
筑紫王朝は、百済応援に当たりますが、後に大敗となります。
大陸との交易も中断、鉄器類も朝鮮半島内で使用され消費されてしまいます。
この時代に、大勢の難民となった一族が日本へ渡来します。
筑紫王朝と出雲王国は、難民を奴隷として受け入れますが、旧邪馬台国連合は、文化人として受け入れたのです。
漢字と律令制度について学びます。また政治には首都の設置が必要であることも気が付いたでしょう。
旧邪馬台国連合(神信仰国連合)が手を付けた政治は、
・奈良の盆地に首都を置く。(地理的に九州、出雲から離れて攻撃されにくい条件が必要でした。)
地名、姓名を漢字二文字に統一
たぶん、最初に連合に加わったのは、日向、安芸、吉備、吉野、熊野など
氏姓制度を発行して、律令国家造を試みます。
渡来人からの情報で大陸から日本は 倭(ワ)と云う漢字で呼ばれていて、神信仰の邪馬台国(ヤマタイ、ヤマト)の存在を知ります。
当初は 倭と云う漢字をヤマトと発音して自国を紹介することにしましたが
倭云う漢字が、あまり良い意味でないことを後になって知ります。
倭 を 和 の漢字に置き換えて、 ヤマトと呼びます。
氏姓制度で漢字二文字にする必要が出てきますので、大和 の二文字で ヤマト と発音するに至ります。
いずれも4世紀中ごろの出来事でしょう。
特に、中国地方の小国家は、出雲王国の配下に入る可能性があります。大和王権の連合国に参加する方向で大和朝廷が出来上がっていきます。
九州は、筑紫王朝VS旧狗奴国との対立が続いていたでしょう。
大和王権は、連合国を増やし大和朝廷へ変貌、大和朝廷では、今まで各豪族の権力の象徴であった古墳の作成をやめます
これが、後の飛鳥時代の到来となります。
3世紀の終わりには、圧倒的、武力と権力を有していた出雲王国ですが、近畿、山陽の国々が、大和朝廷の連合国に加わり孤立化します。
卑弥呼の死から100年以上を経過した時代です。(4世紀後半位)

日本神話の国譲りの神話があります。スサノオの子孫が出雲の国をアマテラスの子孫に譲る話です。
出雲王国が、大和朝廷の連合国に加わったのがこの時代です。それも戦争することなく無血で実行されました。
この結果、出雲の神、スサノオは、アマテラスと兄弟と云う約束事が出来たのでしょう。
出雲大社と伊勢神宮の関係も当時の約束事を証明しています。
天皇家の三種の神器の剣も出雲の神スサノオ、鏡がアマテラスを象徴しています。
大和朝廷に、出雲王国が参加することは、それぐらい重要な事でした。


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