古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古代を知る三番目の手がかり 遺跡(環濠集落)

2016-09-28 20:25:49 | 歴史
佐賀県吉野ケ里遺跡の歴史が面白い。

吉野ケ里の始まりは、縄文後期(つまりは縄文人)
当時の有明海は、今より広く、吉野ケ里から2~3km位に
海岸があって、潮の満ち引きで魚介類の宝庫であった。
弥生時代前期(紀元前4世紀頃)に大規模集落の形成が始まる。
中期には、環濠が作られ、墳丘に墓を作り埋葬する儀式が始まる。
祭殿のあるムラが出来、神と会話するなどシャーマン的神道の始まり、現代の神社の始まりとも云える。
徐福が渡来したのがこの時代。
後期には、環壕がさらに拡大し、二重になるとともに、建物が巨大化し、3世紀ごろには集落は最盛期を迎える。
卑弥呼が邪馬台国の女王となったのがこの時代。
古墳時代の始まり、濠は大量の土器が捨てられ、埋め尽くされてしまいます。
集落はほぼ消滅して離散してします。

同様の現象が近畿他各地の環濠集落で起きる。
戦乱の世が治まり、もう濠や土塁などの防御施設では防御できなくなったと考えられています。
集落に住んでいた人々はどこへ行ったのでしょうか。
古墳時代は、弥生時代にどんな影響を与えたのか不思議ですね。


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