古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

蘇我氏VS物部氏(1/3) 聖徳太子

2016-10-08 15:30:43 | 歴史
6世紀から7世紀前半の話になります。
蘇我氏、物部氏の対立を紹介する前に、重要な人物
聖徳太子についてです。この時代になると古事記も日本書紀もかなり信ぴょう性があると思います。
聖徳太子
574年 橘豊日皇子(後の用明天皇)と穴穂部間人皇女の子 厩戸皇子
     両親の家系図を見ると 蘇我稲目 が、厩戸皇子の両親の母親は兄弟で、その親は蘇我稲目
既に、蘇我氏とのかかわり持った皇子だったのです。
幼い頃から聡明で、36人との遊びの中で,彼ら全員が順にしゃべる言葉を一語一句まちがえず復唱したそうです。
仏教についても勉強に励んでいます。
585年 父 用明天皇が即位
587年 父 用明天皇が病死、後継争いで蘇我氏と物部氏が戦う。(太子14歳)
     蘇我馬子と共に、物部氏を滅ぼす。崇峻天皇が即位
588年 勝利の証として、蘇我氏は法興寺(飛鳥寺)の建設を始めた
592年 蘇我馬子が崇峻天皇を殺害させる、推古天皇が即位する。
593年 聖徳太子が皇太子となり,推古天皇の摂政となる。(太子20歳)
     四天王寺を建立する。
600年 第一回遣隋使を派遣する。
603年 官位十二階を定める。
604年 憲法十七条を作成する。
605年 斑鳩宮にうつる。
607年 第二回遣隋使として小野妹子を派遣。
620年 馬子と協力して「天皇記」「国記」を編さんする。
622年 太子、49歳で死去。磯長墓(しながのはか)に葬られる。

天皇家の皇子と生まれても、蘇我氏の野望に加担した人生だったのです。
ジャンル:
文化
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