広島と長崎にアメリカが原爆を投下したことを、今日付けの中央日報は「日本の軍国主義に犠牲になったアジア人の復讐だった」と言ってのけた。広島では約14万人が、長崎では約7万4千人が犠牲になったといわれる。韓国の新聞による原爆投下を当然視するかのような報道は、まさしくヘイトスピーチではないだろうか。ジョルジュ・バタイユは『広島の人たちの物語・山本功訳』で、原爆について論じている。「空襲警報が解除されたあと、晴れわたった空から雷霆(いかずき)がほとばしる」と同時に、世界は一変したのである。バタイユはジョン・ハーシーのルポルタージュ『ヒロシマ』の「大部分が、自分自身傷ついているのに、もっとひどい状態の肉親を支えていた。ほとんどすべての者がうなだれ、顔には何の表情も浮かべず、無言のまま、まっすぐ自分の前を見つめていた」を引用しながら、「この物語の全体から浮彫にされるものは、これらの不幸な人たちによって保持された人間的な振舞も、内心は動物的な茫然自失の思いに浸されながら、やっとの思いでなんとか維持されたものにすぎないということである」と断言した。しかし、そこでバタイユは絶望したのではなかった。「広島の高みに生きる」ことの意義を説いたのである。悲惨な体験としでだけでなく、輝かしい人間の記録として、人間のかけがえのなさを、バタイユは高く評価したのだ。中央日報のように、日本人が虫けらのように殺されたのを、拍手喝采して喜ぶのとは大違いだ。
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