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いい加減さの最適化

今月の『月刊ASCII』に書いた原稿について、磯崎さんからコメントをもらった。彼の批判は、要するに「日本のVCは、質量ともにそんなに悪くない」ということだ。資金量がベンチャー企業1社あたりだと日本のほうがむしろ多いというのは、そうかもしれない。VCと銀行を一緒くたにした私の書き方にも問題があった。しかし彼はもっぱら「貸す側」から見ているので、「借りる側」からみると、かなり違う姿が見えてくる。

私も複数のベンチャーの設立にかかわったが、日本のVCの敷居はかなり高い。収益の見通しがいい加減だと貸してくれないので、自己資金は縁故で集め、残りは地銀や信金やその系列のノンバンクで、というパターンが多い。この場合、貸してくれるかどうかの第1の基準は社会的信用で、第2に担保だ。担保というのは不動産に限らず、大企業がバックアップしているといった資金源で、最悪の場合は個人保証になる。しかし融資は定期的に返済期限が来るので、予定どおりの売り上げがなかったら、たちまちアウトだ。GoogleやYouTubeのように、赤字のまま何年も追加出資してくれるところはまずない。

これに対して、シリコンバレーのベンチャーは他人の金でやるギャンブルであり、失敗しても会社を解散したら終わりだ。Supernovaに出てきたベンチャーの話も、収益モデルの欠けたいい加減なものが多く、最大手のFacebookですら、黒字化の見通しを聞かれても答えられない。VCも、これに劣らずいい加減で、「歩留まりは10%。そこでいかにもうけるかが勝負だ」と言っていた。このように貸し手・借り手がともにハイリスク・ハイリターン志向なのがシリコンバレーの特徴で、このカルチャーは簡単にはまねできない。だからWeb2.0もシリコンバレーだったし、次もたぶんそうだろう。

他方、日本は3K(個人情報保護法・貸金業法・建築基準法)などの影響で、「官製不況」が強まっている。食品の賞味期限が1日違っていたぐらいでメディアの指弾を浴び、製品をすべて回収するような(よくも悪くも)まじめな風土では、冒険はできない。資金が供給過剰になっているというのも、裏を返せばベンチャーが少ないということだ。ただイタリアのように極端にいい加減だと、逆に投資が回収できないので、いい加減さの最適化が必要だ。少なくとも日本は、今のように「コンプライアンス」がすべてに優越する風潮を変える必要がある。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 2 )
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コメント
 
 
 
日銀の金利引き上げへの転換が世界の資源バブルを鎮圧する。 (藤井 まり子)
2008-06-27 21:23:06
池田先生 おひさしぶりです!
いつも最近はバタバタしていて、ROM状態ですが、こちらのブログで勉強させていただいております。

本日記した私のブログ記事です。
官製不況・コンプライアンス不況フェースから、今の日本経済は、新型スタグフレーション局面へと移行していると判断できると思います。つきましては、私のブログでも記事をアップしました。よろしくお願いします。

「日銀の金利引き上げへの転換が世界の資源バブルを鎮圧する」
http://diary.jp.aol.com/uvsmfn2xc/1106.html
 
 
 
私の知ってる範囲内ですが (てんてけ)
2008-06-27 22:27:32
ベンチャー企業って、あちこちから助成金とか補助金を貰えるので、海千山千のベテラン経営者が雇われ社長を立てて起業してるのを、まぁ数見てますが。
アメリカではどうなんでしょ?
 
 
 
Unknown (hu)
2008-06-28 01:17:04
金融機関系列のVCに勤める者です。
かつてはVCもデット(社債)に個人保証をつけたりしていましたが、今はほぼ100%が株式による投資になっており、狭義の担保を要求することはまずありません。
(その理由は推測するに、あまりにデフォルト率が高いために管理コストが膨大になることがあると思います。)

したがって、銀行から借り入れを起こさない限りは「他人の金でやるギャンブルであり、失敗しても会社を解散したら終わり」という形にはなってきています。

ただ、経営者への評価として、失敗のトラックレコードはむしろマイナス評価となりがちなのが、シリコンバレーとは大きく違うように思いますが。
 
 
 
いい加減な社会の方がおもしろい (free_programer)
2008-06-28 01:54:59
ある程度、いい加減な社会の方がおもしろいのではないか。海外に行くとよくそう思う。

不謹慎な表現かもしれないが、清く正しく格差の無い社会はドラマが無い。格差やそこから生まれる下克上、いい加減さとそこから生まれる偶然性などこそが、社会のおもしろさであり、活力を生む気がする。

飢える者がいる社会ではともかく、日本では誰もが飢えることもなく、最低限の生活は送れるのだから、もう少しいい加減になってもいいと思う。

まあ、インドほどいい加減になると大変だが、日本人は絶対にあそこまではならないだろう。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2008-06-28 13:38:42
趣旨には賛同するが、「いい加減さの最適化」は、言うほど簡単ではない。
「いい加減」と「良い加減」は似ているようで違う。

投資の成功率からはじまって、通勤電車の到着時間まで、この辺までなら許されるという「振り幅」を設定され、それを容認することが今の日本人には非常に苦痛だ。

その一方で、7〜8割以上の人が、「この辺でいいんじゃない?」と決めたことであれば、たとえそれが科学的に間違っていてもすんなり通ってしまう。

加減に対する人間の感応度なんてそれこそ「いい加減」なのだからもっとリラックスして事に当たれば良いのだが、「羹に懲りてなますを吹く」国の人だからね、我々は。

 
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