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メディアの合理的バイアス
高木さんの棒グラフの話をからかったら、意外にまじめな反論が来て驚いた。テレビが中立・公正な報道をしている(はずだ)と信じている人がまだ多いようだ。日本のメディアもまだ捨てたものではないが、これは民主主義の健全な発展のためにはよくない。メディアは本質的に物事を歪めて伝えるものだからである。棒グラフの話も、その一例としては意味がある。
まず認識しなければならないのは、これまで何度も書いたように、ニュース価値は絶対的な重要性ではなく限界的な珍しさで決まるという事実である。経済学の教科書の最初に出てくるように、ダイヤモンドの価格が水よりはるかに高いのは、それが水よりも重要だからではなく、限界的な価値(稀少性)が高いからだ。同じように、人が犬に噛まれる事件よりも犬が人に噛まれる事件のほうが、重要性は低いがニュース価値は高いのである。
時系列でも同じだ。普通の人が事故死する原因として圧倒的に重要なのは交通事故だが、これは減っているのであまりニュースにはならない。ニュースになるのは、飲酒運転による死亡事故が増えた、といった変化だけだ。要するに、問題の総量(積分値)ではなく変化率(微分係数)がニュース価値なのだ。
これはメディアとして合理的な基準である。交通死亡事故をすべて取り上げていたら、紙面はそれだけで埋まってしまう。メディアは読者に読んでもらわなければならないのだから、その興味を最大化するようにニュースを順位づけするのは合理的だ。行動経済学の言葉でいうと、メディアは必然的に代表性バイアス(特殊なサンプルを代表とみなす傾向)をもっているのである。
しかしメディアがニュースを読者に見せるときは、「この話は重要ではないが珍しいから取り上げた」というわけにはいかないので、あたかも客観的に重要な情報であるかのように見せる。飲酒運転による死亡事故が10年間で4割減ったのに、昨年1.9%だけ増えた部分だけを拡大した棒グラフ(折れ線グラフでも同じこと)を描いて、いかにも激増しているように見せる。子供の自殺も1970年代の半分に減っているのに、2000年以降の統計だけを見せる。
これは、前にも書いた「関心の効率的配分」を考える経済学の事例研究としておもしろい。通常のモノの経済では、稀少性で価格が決まっても問題はない。水道料金が低くても、水道水はつねに存在しているからだ。しかし情報の世界では、情報価値が低い(アクセスされない)情報は存在しないのと同じだ。地球温暖化よりはるかに重要な(しかし地味な)感染症には、温暖化の数分の一の予算しかつかない。大気汚染としてもっとも重要なタバコを放置したまま、リスクがゼロに等しいBSEに大騒ぎする(磯崎さんの記事参照)。
だから「あるある」の問題は特殊なスキャンダルではなく、メディアの本来もっている合理的バイアスが極端な形で出てきたにすぎない。存在しない実験データを捏造したというのは、わかりやすいのでたたかれるが、もっと微妙な自殺や交通事故をめぐる誇張された報道は気づかれず、それをもとにして教育再生会議が子供の自殺についての「緊急提言」をしたり、酒気帯び運転だけで公務員が懲戒免職になったりする。
人々がすべての情報を片寄りなく認識することが不可能である以上、なんらかのバイアスは避けられない。問題はメディアがバイアスをもっていることではなく、情報が少数の媒体に独占され、十分多様なバイアスがないことである。だから必要なのは、政府が介入して監督することではなく、情報のチャンネルを多様化し、相互にチェックすることによってバイアスを中立化することだ。
要するに、市場メカニズムでは情報を効率的に配分できないのである。だからマスメディアのように関心を最大化する必要のないブログなどの非営利のメディアが、バイアスを中立化する上で重要な役割を果たしうる。2ちゃんねるにも「毒をもって毒を制する」効果はあるかもしれない。読むほうが情報を信用してないという点では、2ちゃんねらーのほうが納豆を買いに走った主婦よりもはるかにリテラシーが高い。
まず認識しなければならないのは、これまで何度も書いたように、ニュース価値は絶対的な重要性ではなく限界的な珍しさで決まるという事実である。経済学の教科書の最初に出てくるように、ダイヤモンドの価格が水よりはるかに高いのは、それが水よりも重要だからではなく、限界的な価値(稀少性)が高いからだ。同じように、人が犬に噛まれる事件よりも犬が人に噛まれる事件のほうが、重要性は低いがニュース価値は高いのである。
時系列でも同じだ。普通の人が事故死する原因として圧倒的に重要なのは交通事故だが、これは減っているのであまりニュースにはならない。ニュースになるのは、飲酒運転による死亡事故が増えた、といった変化だけだ。要するに、問題の総量(積分値)ではなく変化率(微分係数)がニュース価値なのだ。
これはメディアとして合理的な基準である。交通死亡事故をすべて取り上げていたら、紙面はそれだけで埋まってしまう。メディアは読者に読んでもらわなければならないのだから、その興味を最大化するようにニュースを順位づけするのは合理的だ。行動経済学の言葉でいうと、メディアは必然的に代表性バイアス(特殊なサンプルを代表とみなす傾向)をもっているのである。
しかしメディアがニュースを読者に見せるときは、「この話は重要ではないが珍しいから取り上げた」というわけにはいかないので、あたかも客観的に重要な情報であるかのように見せる。飲酒運転による死亡事故が10年間で4割減ったのに、昨年1.9%だけ増えた部分だけを拡大した棒グラフ(折れ線グラフでも同じこと)を描いて、いかにも激増しているように見せる。子供の自殺も1970年代の半分に減っているのに、2000年以降の統計だけを見せる。
これは、前にも書いた「関心の効率的配分」を考える経済学の事例研究としておもしろい。通常のモノの経済では、稀少性で価格が決まっても問題はない。水道料金が低くても、水道水はつねに存在しているからだ。しかし情報の世界では、情報価値が低い(アクセスされない)情報は存在しないのと同じだ。地球温暖化よりはるかに重要な(しかし地味な)感染症には、温暖化の数分の一の予算しかつかない。大気汚染としてもっとも重要なタバコを放置したまま、リスクがゼロに等しいBSEに大騒ぎする(磯崎さんの記事参照)。
だから「あるある」の問題は特殊なスキャンダルではなく、メディアの本来もっている合理的バイアスが極端な形で出てきたにすぎない。存在しない実験データを捏造したというのは、わかりやすいのでたたかれるが、もっと微妙な自殺や交通事故をめぐる誇張された報道は気づかれず、それをもとにして教育再生会議が子供の自殺についての「緊急提言」をしたり、酒気帯び運転だけで公務員が懲戒免職になったりする。
人々がすべての情報を片寄りなく認識することが不可能である以上、なんらかのバイアスは避けられない。問題はメディアがバイアスをもっていることではなく、情報が少数の媒体に独占され、十分多様なバイアスがないことである。だから必要なのは、政府が介入して監督することではなく、情報のチャンネルを多様化し、相互にチェックすることによってバイアスを中立化することだ。
要するに、市場メカニズムでは情報を効率的に配分できないのである。だからマスメディアのように関心を最大化する必要のないブログなどの非営利のメディアが、バイアスを中立化する上で重要な役割を果たしうる。2ちゃんねるにも「毒をもって毒を制する」効果はあるかもしれない。読むほうが情報を信用してないという点では、2ちゃんねらーのほうが納豆を買いに走った主婦よりもはるかにリテラシーが高い。
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ところで、情報のバイアスについては、どうやらテレビと言うものを信じすぎていたと、本当に反省させられました。また当初2ちゃんはウソばかりということで見る事はありませんでしたが、最近はとても意義のある存在だと痛感しています。何が本当で何が事実なのかわかりませんが、色んな味方や考え方があり、とても勉強になります。この池田先生のブログもそうです。情報が3Dで様々な角度から知ることができ、インターネットによって多面的に受け取ることができるようになったことは、本当にスゴイことですよね。
今までは、テレビ・ラジオ・新聞というものにバイアスを仕掛けられていましたが、なんだかそのバイアスから解き放たれる気分です。
このブログいつまでも続けてくださいね。お願いします。
たしかに、グラフの動きの上の方だけを見せれば、いくらでも過剰演出ができますよね。
すべての問題が恒常的に存在していて、その時々の情報価値によって特定の事件だけにスポットが当たることになるという構造は、基本的にはその通りだと思います。定期的に一過性の祭りのように報道が盛りあがる「いじめ問題」もまさにその典型ですよね。
しかし、情報価値は、すべてがダイヤモンド的な希少性だけによって決定されているわけではないような気もするのですが、こういう考えはナイーブでしょうか・・・。
BSE問題が注目されているのは、リスクの観点だけではなくて、この事件に注目することで、肉食中心の大工場型の食産業に対して問題提起をすることができるという背景もあるのではないでしょうか。
(子供の自殺に関しては、自殺者数だけではなくて、70年代と現在での子供の全体の総数の違いというファクターも考えないといけないのではないでしょうか)
テレビ局はスポンサーの方だけ向いていればいいから、視聴者にロクでもないものを提供してもどうとも思わない。チャンネルに対してさらには番組に対して視聴者からお金を受け取れば緊張感が生まれることになります。それには多チャンネル化が必要でしょうが。
視聴者の方もしょせん身銭を切らないので、いい加減なものを提供されてもいい加減な対応しかしないのでしょう。
さらに現在はロクでもないことに、そのへんの店で買い物をしただけでテレビ局にも視聴料を払わされている。しかもそれを意識させないようになっています。
会社の看板で匿名でないと書けないのか、金にならないことはしないのか、ブログに書く技術がないのか。後輩に気がねをするのか。
この疑問にどなたかお答えいただけないでしょうか。
匿名掲示板などを見ているとユーザーは慣れてくるに従い「正しい」ではなく「勝てる」側に付く傾向があることです。誰だって気分良く勝利して正義の立場にありたいし、ましてメディアであれば「負ける」と商売に響きます。
そして誰もが勝とうとするからいっせいに(同じレベルのメディアで反論できない)不二家を叩くようなヒステリーが起こるのではないかと思えるのです。
これはチャンネルをいくら増やしても駄目でしょう。
正面から反論するのは奇論を見過ごせば自分の立場や賭けた時間が無駄になるような利害がきちんと対立する人間です。NHKやあるあるで何が問題かを指摘できる池田先生のように。でもしかるべき表現力や社会的立場やメディアをそういった人たちが皆持てるわけではないでしょう。
私がもどかしいのはこれを調整できるのが優秀な人材の更に上澄みが集い高給を食むマスコミの人間ではなかったのかということなのです。
しかし傍目には彼らは詐欺トークでリフォームを売り込む営業マンと同じに見えます。
日本でメディアと言えば、地上波放送局や新聞社になりますから。
しかし通信の分野で地上波放送局や新聞社の影響を持つメディアが登場していない歴史を顧みると、本当に多大な影響力を持つ新しいメディアが登場するのは、非常に困難なことだと思います。
「危険ですから真似をしないでください」とか「部屋を明るくして離れてみてください」という注意がでてくることも視聴者のリテラシーが低いことを自覚したために出していると考えられますから、一方で、健康食品の番組を娯楽であり信用するほうがどうかしていると考えているのだとすると矛盾を感じます。
2ちゃんねるには全く正反対のことがもっともらしく書き込んであり、多くに論理的でない罵倒もあり、当事者に近くない場合には、容易にどちらも信用ならないなという思考に入ります。
いずれにしてもテレビ番組がそこまで娯楽志向であるとするならば、公共的要素を担わないあるいはそのつもりがないということなのでしょうから、NHKのように広く一般に受信料を徴収することはすべきではなく、娯楽多チャンネル化のために分割民営化されたほうがよいようにさえ思えます。
はじめまして。桜井と申します。
色々な事例をもとにとても説得力があると思います。
上に添付した文章についてですが
なぜ珍しいだけと表現できないんでしょうか。
情報を受ける側は重要なことを知りたいと思っているにも関わらずさらに珍しいことをより求めてるってことでしょうか。
私の中では珍しさも興味をそそりますが、やはり重要なことを知りたいです。
なので報道について、珍しさによる部数や視聴率の向上以前に、私は製作サイドの主張を感じます。
そういう観点から報道に中立性はないと思うのですが。
「メディアは必然的に代表性バイアス(特殊なサンプルを代表とみなす傾向)をもっているのである。」
というのは構わないです。
「捏造」「NHK事件」いずれも、代表的バイアスでも合理的なバイアスの結果ではないです。
メディア、ここではTVをあげれば、「スポンサーから金を頂いて番組を視聴者に提供している」側面があります。
「捏造」などで「視聴者を混乱させる番組」というのは、製造業でいえば「不良品」ではないのでしょうか?
「不良品」をつかまされてそれに右往左往する視聴者はリテラシーは低いのでしょう。
一方で、「不良品」を出しながら「不良品」ということを明確にできない「製造者」のレベルも相当に低い。
不二家騒ぎであってすら「自己防衛」するのが当然、ということはない。
メディアの場合、「視聴者が自己防衛するのが当然」であるほど、製作者側のレベルが低いのが前提となるのであれば、なるほど、視聴者側が努力してあげないといけないわけですね。
メーカーであれ、食品業界であれ、「消費者のレベルが低いから・クレームがこないから、品質が低い・低くてもいい」などというところはないでしょう。
メディアでのみ、「視聴者のリテラシーが低いから〜」などという意見がまかりとおる。
チャンネルの多様化による選択肢の増加は、競争を招くことになれば、大きな意味を持つとは思います。
社会は信頼で成り立っています。時間通りに運行されない電鉄会社が「騙される客が悪い」などといったら商売あがったりです。
(もちろん視聴者のリテラシーが上がるに越したことはありません)
この手の捏造って、そもそも放送してないのに事前にGRPの予測を立てて、広告枠を売り買いするテレビ広告ビジネスの枠組みが根本の原因にあるような気がします。
放送する側は、金貰っちゃってるんだから予測に近い率を稼がざるを得ないし、広告主からすれば、広告効果を考えて出稿計画立てて予算化したのに、予測値に達さなければ責任問題になります。
ですが、先物買いと現物の結果を同等にするなんて、神様じゃないんだし無理がありますよ。
仮にGRPを広告効果の指標にするならば、広告料金を成果報酬型にするのが筋だと思うのですが。そもそも視聴率を調査するのが電通子会社っていうのもありえないし。
みんな電通が怖いから、どのメディアもその手の話には触れないのでしょうか。
新聞が今回の捏造の事を一生懸命取り上げていますが、「過熱する視聴率競争」「問われる作り手のモラル」なんて、当たり前のお説教を読まされても、なんだかなあと思います。
「謝って済むんだったら警察はいらん」なんて言葉は、小学生ですら言える台詞です。
しかしながら、「メディアは必然的に代表性バイアス」を持つ、のであってみれば、多様化したチャンネルもまた「関心の最大化」の方向へと収斂してしまうか、その反対に影響力を持ち得ないまま局所化してしまうのではないでしょうか。
しかし、問題はそれだけではすまないといっているのです。こういう情報番組を追及すると、逆にリスクの大きい取材はやめて、芸能人のおしゃべりだけで行こうということにもなりかねない。こういう状態は、長年の電波独占によってテレビ局の規律がゆるんでいることが一つの原因です。「視聴率至上主義」を批判するだけではなく、チャンネルを多様化して競争を導入することが究極の不正防止策です。
と本文にありますし、池田さんはコメント欄でもチャンネル間の競争を提案しておられます。その一方で、同じ本文の中で、
>要するに、市場メカニズムでは情報を効率的に配分できないのである。
とも述べておられます。
池田さんのチャンネル間の競争についての立場がわかりにくいです。
チャンネル間の競争はどういう結果を産むのでしょうか?
コメント欄でほかの方も指摘しておられるように、需要に合わせるかたちで、面白いけど眉唾な情報ばっかり流すということにもなりかねません。
競争によって、チェックが行われるためには、他チャンネルの捏造や誇張を暴露することが、暴露したチャンネルの利益につながらなければいけません。
週刊朝日があるあるの捏造を暴露しようとしたのも、それが読者の関心を引くと思ったからでしょう。
しかし、週刊誌やスポーツ新聞に掲載される怪しげな情報は枚挙に暇がありません。
競争によってああいった情報が淘汰されるという気はしませんがいかがでしょう。
また、あるあるのような「レモン」を暴露してしまうと、ほかの情報番組の信憑性も疑われ始めて視聴率が落ちてしまうかもしれません。
逆淘汰の結果として、芸能人のおしゃべり番組ばかりになるというストーリーもありえます。
こうなると、送り手が真実を伝えていると、どうやってシグナリングするかという問題もありそうです。
チャンネル多様化による競争が不正防止につながる、という意見は、かならずしも「捏造の暴露」といったことだけでなく、多様化によって質の悪いものが淘汰される、ということではないかと考えます。
ただしこの場合、淘汰圧は「視聴者の選択」ということになり、その結果
> 面白いけど眉唾な情報ばっかり
ということになるのであれば、責任の所在がどこにあるかは明らかだと思います。
「これが受けるから作ったまで」と番組の作り手は言うのでしょうが、個人的には、メディアとは「あまり受けないように作る」べきものだと私は思っています。
その意味で、マスメディアに関する「仕組み」を議論するならば「マスメディアがあまり儲かる商売であってはならない」という方向性が実は正しいのではないか、とさえ思っています。
まあ、極論ですけれども。
banno(bobby)さんの意見に賛成です。
テレビ・報道関連企業が、上場していること自体がおかしいです。上場するとは、株主利益を最大化していくための手段の一つで、目的は利益です。
(北風)さんのおっしゃるとおり、合利的バイアスによって、企業体が運営されている。
免許を与えるには、当然一定の制約や責任があってしかるべきで、利益追求の市場競争下にテレビ・報道をおいていることが最大の問題ではないでしょうか?
放送の多チャンネル化には賛成ですが、放送設備費用や電波の免許が誰でも取れるわけではないので、今後は、2ちゃんやブログだけでなく、放送系に近いものとして、Youtubeなどの映像系コンテンツによる情報発信により、さらに多様な情報メディアが台頭する予感があります。私はそれらを歓迎します。当然、テレビは淘汰されていくことになるでしょうね。(視聴者数が減り、GRP値は減少し⇒広告収入は減収。広告クライントの広告投下先が多様化するのは間違いない。)
チャンネルの多様化だけでは競争不足だったように思います。ハード(電波)とソフト(コンテンツ)を支配し、行政に守られているキー局(NHK含む)の構造的な堕落が現在の状況に繋がっていると思います。ここは総務省も利権を放棄して国民のためのオープンな電波行政としてもらいたいと思います。
>こういう状態は、長年の電波独占によってテレビ局の規律がゆるんでいることが一つの原因です。「視聴率至上主義」を批判するだけではなく、チャンネルを多様化して競争を導入することが究極の不正防止策です。
「チャンネルを多様化して競争を導入すること」が、「究極の不正防止策である」ことはそうだと思いますし、全く正しいと思います。
ですが、あるあるの問題なんかは、いわば、「「不良品」を出してクレームがきた」というものです。
「不良品」を出したことが問題になっていることに対して、「競争が激しくなれば、「不良品」はなくなる」ということは間違いではないでしょうが、距離がありすぎではないでしょうか?
不二家について、「老舗意識で規律がゆるんでいたことが一つの原因で、さらなる競争を導入することが究極の不良品防止策です」ということもできます。
原因の一つではあることは正しく、競争原理によって品質向上の点が行われるでしょうけど、普通は、その前にやることがあるでしょう、ということになると思いますが。
メディアについては、「究極の不正防止策」はそれ自体は正しいですし、方向性も問題ないとは思いますが、「その前にやれること・対策すること・議論されるべきこと」があるのではないのか? それをメディアは意図的に避けてないか? というのが問題なのです。
最後に、繰り返しになりますが、「不良品をださないためにはどうする」を、競争がないから、視聴者のリテラシーがどうの、外のことを言う前に、メディア自身がやることはあるのではないでしょうか?
「編集権」「期待権」もそうですが、業界でのガイドラインなどを作って、外部から横槍入る前に、「メディア自身で示す」こともできたのではないのでしょうか?
競争ということでいえば、「こういう情報番組を追及すると、逆にリスクの大きい取材はやめて、芸能人のおしゃべりだけで行こうということにもなりかねない。」ような体質では、競争などできないので、「競争を導入する」こと自体が完全な空論です。
こういう人的資質や個人の倫理観等に期待をするのは無理があると思います。 健全(なように)になったとしても、時が経てば元の木阿弥というのは歴史的にも検証されているのではないでしょうか・・
やはり業界の構造そのものをシステム的に変えていく必要を感じるのですが。 競争の導入はまずは効果があると思いますが、すぐに談合しちゃいそうですね。
のつもりでした。
むしろ、視聴者の愚弄さや、「岡引根性」の発動に関心があるようです。
私は、私個人と先生の問題の発想との違いに気づき、社会の上層の様子が少し見えたような気がします。
なんとなく、そうすることで捏造などの問題がなくなる気がします。
しかし、「非営利のメディア」とは存在できるものなのでしょうか?
池田さんはこのご自分のブログを「非営利のメディア」として定義しているのでしょうか?
もちろん、このブログはバイアスがかかっている情報しかないと思います。
ということは、価値があるということだとも思います。
価値は「非営利」に必要なのでしょうか?
もし、本当に非営利なメディアが存在するとすると十分多様なバイアスというものが実現するのでしょうか?
私は多様になるのは一瞬ですぐに淘汰が始まる気がします。
レベル低いコメントですみません。素人なので・・
そのような温度差を感じ取り一部の層からテレビ離れが始まり、ニュースとスポーツ番組にしか価値を見いだせなくなってきているのだと思います。これは今までメディアが世論をリードしてきたことが崩れ始め、メディアをオピニオンリーダーと認めない市民が増えてきたのではないでしょうか。
この事からこの先ますます雑誌が売れなくなり、テレビは貧困者層の娯楽の王様と言われるようになると感じます。
営利だと、生き残りをかけた視聴率競争の激化によって、さらに番組を面白くするための捏造が増えると思いますが。しかも多様なバイアスではなく、大衆向きの一方向に向かって。
内容のある、硬質な番組は視聴率一桁をさまようのが昨今の情勢です。
>テレビが中立・公正な報道をしている(はずだ)と信じている人がまだ多いようだ
テレビが中立・公正な報道などしていないことはよく分かりますし、自社の利益のため、希少価値の高いニュースを中心に報道するということも理解しております。
しかしながら、テレビが中立・公正な報道をするはずだと視聴者が勝手に誤解しているわけではなく、テレビ局側は視聴者に、中立の立場で事実を伝えると宣言しています。
テレビ朝日、TBS、フジテレビ、日本テレビ、ついでにNHK各社のホームページを見てみましたが、真実を報道する、歪曲はしない、視聴者の知る権利に応える、といった趣旨の文言が必ず記されていました。ニュースキャスターが「私達は真実を皆様にお伝えします」とニュース番組のCMで話すのもよく見る光景です。
もちろん、これを信じる方がおかしいとおっしゃる方もいるかもしれません。しかし、不二家は「よりよい商品と最善のサービスで客様に美味しさ、楽しさ、便利さ、満足を提供し、社会に貢献する」という経営理念に反する行為が発覚したために、連日マスコミが叩いているわけです。
他にも、雪印、JR西日本、関西テレビ、イーホームズなど、顧客に宣伝するサービスと実際に提供するサービスに大きな差があったために、マスコミに叩かれ、十分に、時には必要以上に社会的制裁を受けております。
話をテレビの報道に戻すと、口では真実を公正にありのままに伝えると嘯いているにも関わらず、彼らの報道には偏り、歪みがあります。
偏り、歪みが生じることに何の文句もありませんが、アメリカ産牛肉を国産の高級和牛と偽って販売する行為と、テレビのする行為のどこに違いがあるのでしょう。
サービスが売り文句と著しくかけ離れているという原状がテレビ業界で当たり前であるならば、不二家と同じく徹底的に糾弾されるべきです。
どうしてもニュースに合理的バイアスがかかってしまうならば、情報を効率的に配分できないのであれば、公正・中立・正確などという偽りのキャッチコピーを訂正、謝罪し、社会的制裁を受け、それから出直すのが当然と思います。
一つのメディアが間違いを犯した時に、他のメディアから指摘されることで中立化がなされるというのが、池田氏の意見です。現実モデルにあてはめると間違いを犯したメディアは(他のメディアの指摘をうけて)信頼性を失い、収益の低下で痛みを覚えて(あるいは低下を恐れて)自己の行動を変化(反省、謝罪等)する、又は信頼されるメディアが間違えたメディアから指摘したメディアへと移動するわけです。
マスメディアの問題の一つは、こうした市場原理的な「アメとムチ」のうち、ムチが有効に機能しにくいからではないでしょうか。戦後から数えて、今までにもマスメディアの公正・公平を逸脱したプログラムは山ほどありましたが、これが原因で広告スポンサーが撤退し、あるいは視聴者・読者数が減ってマスメディアの会社が潰れたところはあるでしょうか。わずかに西山事件での毎日新聞くらいでは?
マスメディアに義務・責任をとらせるために罰(コスト)をシステム的にビルト・インするためには、国家からの監督、あるいは市場原理しか思いつきません。間違いを犯したメディアや監督官庁へ暖かく抗議するより冷たく見放して、対抗メディアを応援したほうがメディアの間違い低減には早いでしょう。
追伸 池田様、もし貴説の誤読でしたら申し訳ありません。どうぞ削除してくださって構いません。
ないのでしょうか。
日本版パラマウント裁定?のようなものを
やったらどうでしょう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070223-00000000-mai-soci>
>一方、「『あるある』ほど露骨ではないが、科学的な手法で視聴者の心を捕らえたいという誘惑は日本だけにとどまらない」とも指摘。英国の人気科学番組でエンターテインメント性を優先し、行き過ぎた演出が行われた例も紹介している。
まあ、日本にも限らないようですね。
>研究者たちもメディアに用心深くなっており、ネイチャーの担当者が取材の同意を取り付ける際に「どのように原稿に使われるのかチェックしたい」と申し出たという。「それが『あるある問題』から学んだ教訓だ」との研究者の言葉で記事を結んでいる。
メディア側で編集はされるとしても、研究者の言葉が悪用されないうよう、研究者というか取材を受ける側も、チェックや用心が必要だということですね。
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