However, the first use of capitalism to describe the production system was the German economist Werner Sombart, in his 1902 book The Jews and Modern Capitalism (Die Juden und das Wirtschaftsleben).
According to the Oxford English Dictionary,[45] capitalism was first used by novelist William Makepeace Thackeray in 1854, by which he meant by having ownership of capital. Arthur Young[45] first used the term capitalist of his economic surveys in his work Travels in France (1792).[46] Samuel Taylor Coleridge,[45] an English poet, used capitalist in his work Table Talk (1823),[47] and Benjamin Disraeli[45] used capitalist in the 1845 work Sybil. Pierre-Joseph Proudhon used capitalist is his first work What is Property? (1840) to refer to the owners of capital. Karl Marx and Friedrich Engels also used capitalist (Kapitalist) as a private owner of capital in The Communist Manifesto (1848), and referred the capitalistic system (kapitalistischen System)[48][49] to the capitalist mode of production (kapitalistische Produktionsform) in Das Kapital (1867).[50] Marx's notion of the capitalist mode of production is characterised as a system of primarily private ownership of the means of production in a mainly market economy, with a legal framework on commerce and a physical infrastructure provided by the state.[51] According to the OED, Carl Adolph Douai, a German-American socialist and abolitionist, used private capitalism in 1863. A work entitled Better Times (1877) and an unknown author in 1884 of the Pall Mall Gazette also used capitalism.[45] However, the first use of capitalism to describe the production system was the German economist Werner Sombart, in his 1902 book The Jews and Modern Capitalism (Die Juden und das Wirtschaftsleben). Sombart's close friend and colleague, Max Weber, also used capitalism in his 1904 book The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism (Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus).
心の病になった友人と同じような事例を見ているようです。
最初は労働問題(非正規・派遣切りの問題をどのように解釈するか?)あたりから
だったような気がしますが、今朝見ると
エントリが訴状の「紛争の要点」みたいになってます(笑
実際の調停・訴訟は「議論のための議論」は出来ないと思うし
(準備書面を何十枚書いても立証できなければ、裁判所に無視される)
民事は原告に立証責任があるので(笑
最初に因縁つけてきた小倉センセが
池田センセの間違いを100%立証できないと勝てないですね
>司法試験も定期的に再試験をしたほうがいい
それより弁護士の数を1000人から一気に3000人にしたほうがよくないですか?
着手金10万は高すぎです。普通は払う気がしません。書類作成23万って一体何?
今は簡易裁から上告まで行くと民事で弁護士費用が100万ぐらいになると言うし。
※このブログも「法律家のための論理的思考入門」
というコーナーを設けるといいかもしれません。
>というコーナーを設けるといいかもしれません。
「小倉秀夫弁護士のための論理的思考入門」というコーナーの開設であれば賛成します。
According to the Oxford English Dictionary,[45] capitalism was first used by novelist William Makepeace Thackeray in 1854, by which he meant by having ownership of capital. Arthur Young[45] first used the term capitalist of his economic surveys in his work Travels in France (1792).[46] Samuel Taylor Coleridge,[45] an English poet, used capitalist in his work Table Talk (1823),[47] and Benjamin Disraeli[45] used capitalist in the 1845 work Sybil.
Pierre-Joseph Proudhon used capitalist is his first work What is Property? (1840) to refer to the owners of capital. Karl Marx and Friedrich Engels also used capitalist (Kapitalist) as a private owner of capital in The Communist Manifesto (1848), and referred the capitalistic system (kapitalistischen System)[48][49] to the capitalist mode of production (kapitalistische Produktionsform) in Das Kapital (1867).[50] Marx's notion of the capitalist mode of production is characterised as a system of primarily private ownership of the means of production in a mainly market economy, with a legal framework on commerce and a physical infrastructure provided by the state.[51]
According to the OED, Carl Adolph Douai, a German-American socialist and abolitionist, used private capitalism in 1863. A work entitled Better Times (1877) and an unknown author in 1884 of the Pall Mall Gazette also used capitalism.[45]
However, the first use of capitalism to describe the production system was the German economist Werner Sombart, in his 1902 book The Jews and Modern Capitalism (Die Juden und das Wirtschaftsleben). Sombart's close friend and colleague, Max Weber, also used capitalism in his 1904 book The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism (Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus).
これをみてもわかるように、Capitalismという言葉をゾンバルト以前に使ったのは小説家や無名の著者だけで、意味も違う。Kapitalistという言葉はマルクスも使っているが、それはもちろんKapitalismusとは別。いま使われている意味での資本主義は、ウェーバーが最初でしょう。
これは社会思想史の授業でも必ず出てくる、おなじみの話。もし小倉氏が「資本主義はマルクスの造語だ」と証明すれば、世界的な学問的業績になるでしょう。
こういう、「一般的には些末的な話のように思われ」ることであっても、隙を見せると、「池田信夫先生がまたまた変なことを仰っています。『被告』は民事。刑事では『被告人』と言うのです。こんな初歩的な区別もできない方が、再試験をしろと仰るのですから、たまりません」などと「抗弁」を出されるかもしれません。
はたまた、「詐欺というのは、財産犯です。私がいつ池田先生の財産を詐取したというのでしょう?」などと来たりして(笑)。
こういうのは無視したところで、誰も「擬制自白」だなんて言いませんから、池田先生にはぜひ「本題」のほうをお願いします。
これはkapitalistischeを「Kapaitalistによる」と考えるか、「Kapitalによる」と考えるかの違いで、ドイツ語の解釈としては後者には無理がある。つまりkapitalistische Produktionweiseという言葉は、「市民社会の富を資本家が私的に独占して生産する様式」という批判を含んでいるのです。もちろん「資本主義的」と訳すのは明白な誤訳で、新しい訳本にはそういう訳語はない。
然し昭和32年頃には米の自給も出来るようになり、むしろ余剰米の処理に悩むよう様になっている。農地改革が零細農家を増やし生産性の向上を妨げ、国に大きな財政負担を強いる現状を見るとき農地改革が本当に良かったのか複雑な気持ちだ。
二国間の自由貿易協定交渉も農産物の高関税がネックとなって、遅々として進まない。第二の農地改革が望まれるが、米軍の様な改革勢力が出てくる迄あと何年待たねばならないのだろうか?
マルクスが19世紀でなく100年後の20世紀に生まれていたら、スタンリーキューブリックかフリードマンになっていたかも知れません。かれが天才なのは確かなのですから。
自分は、サッチャーがハイエクを信じたのと同様に次の日本の宰相が池田先生を信じることを強く期待しております。それには更なる著作が必要だとも感じております。僭越ながら、小倉氏の様なノイズ(敢えて失礼な言い方をさせてください)は遮断してご自分の思索・執筆の時間を大切にしてくださることを希望しております。
<結局,解雇規制の撤廃により労働者の賃金水準を引き下げていった場合に国内消費の原資はどこから出てくるのですか>
という愚問に答えておきましょう。そもそも「国内消費の原資」という言葉がナンセンスなんだけど、これは所得のことですかね。もちろん賃金から出てくるんですよ。所得は賃金×雇用者数だから、雇用が増えれば増えるのです。雇用は雇用コストが下がれば増え、雇用コストは解雇規制が弱まれば下がるので、解雇規制の撤廃によって雇用は増え、所得も増えるのです。
これはOECDのEmployment Outlookなどにも書いてあるから、「・・・と思うんですけど」じゃなくて、ちゃんと読んでから反論してください。
昔は、日本の輸出先が社会矛盾の輸入先になってくれてたけど、今はどこも似たような商売をやる国がたくさんあるので、矛盾が国内に集中してる。こういった関係は統制で何とかなるものではない。ちなみに昔の日本商品の買い手は南米の王侯とかアジアの指導層など金持ち相手の商売。作物で集めた富を一気に日本が回収してた。その下には山のような奴隷がいる。
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/427d62ac93adbe7dcb2e04deca3884c0
>#OguraHideo 法的には,一線を越えているように思うのですけどね。 09/03/03
「売り言葉」で学者生命の根幹を誹謗抽象するという一線を先に越えておきながら,それに応じて反論された「買い言葉」部分を取り上げて,法的云々と非難するのはどうでしょうか。
刑事法では小倉先生の「自招危難」ですし,民事法でも池田先生の「対抗言論」なので,衡平法上もクリーンハンズ原則からも,かような「はてブコメント」は相当でないと思います。名誉毀損の要件事実や構成要件該当性をパスしたとしてもです。
たぶん、小倉さんが言いたいのは、雇用所得総額が増えるかどうかという点なのに、それには目をつぶって、労働コストの低下で、労働需要が増える量的効果だけを語っている。
ミクロ経済学的には、値下げによって、その商品の総需要が増える場合もあれば、減る場合も両方あります(釈迦に説法ですが)。
あそこで答えるべきは、
「家計の収入は雇用所得だけではない。法人所得は、最終的には、利子、配当、株式価値として、家計に還元されるんだから、雇用所得が増えようが減ろうが、家計収入の内訳が変わるだけで、需要の増減とは関係ない」
となります。
実証研究の結果は必ずしもクリアではないが、少なくとも雇用規制を強めることはGDPに好ましい影響をもたらさないということは、OECDものべています。
・・・でも、「法人税を減税したら、法人が丸儲けするだけで、減税効果は社会には還元されないんじゃないか」という意見は、経済学に無知な人々にとっては(無知な人なりの)理論的にも感情的にも賛同しやすいんですよね〜
私は、ライブドアPJや、グリップブログのカルト汚染など、さまざまな論争のとき、まとめサイトがあり、それが第三者にとっての理解を促したことを記憶しています。参考サイト:「アレフブロガーの時代」
そういう無名の第三者/第四者の評価(非公式サイト)によって、それぞれの言論の妥当性・論理性が定着する。そのような姿がインターネット的であると考えています。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。
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