ブログ part 2(livedoor)
今回、受賞したIPCCは、科学的な分析によってどのような気候変動が起こるかを予測したが、ゴアは事実にもとづかないで、温暖化がいかに恐ろしいものであるかを誇張して宣伝してきた。彼の映画はアカデミー賞を受賞したが、イギリスの裁判所に「一方的で科学的な誤りを含む」と批判された。映画では向こう100年間で海面が20フィートも上昇することになっているが、IPCCは1フィートぐらいと推定している。これは過去150年間に起こった海面上昇と変わらない。 ゴアは、グリーンランドの氷が「加速度的に溶けている」というが、IPCCによれば、これは今世紀中に海面を3インチ上昇させる程度だ。グリーンランドの温度は、1941年以前には今よりも高かった。ゴアは温暖化で死者が増えると強調しているが、凍死者が減ることに言及していない。2050年までに温暖化で40万人が死亡するが、凍死者は180万人へると予測されている。 IPCCは、ゴアが1人で受賞したほうがよかったと(半分皮肉で)コメントしたが、私は受賞しないほうがよかったと思う。彼の受賞は、ただでさえ歪んでいる地球的規模の問題の優先順位を、ますます歪めるからだ。 熱帯の人々が温暖化で死亡するよりも、栄養不良や感染症で死亡するほうがはるかに多い。彼らを救うには、CO2の削減よりも食料・医療援助のほうが5000倍も効果的だ。高価な京都議定書が完全実施されたとしても、マラリアによる死者は毎年1400人減るだけだが、安い蚊帳を配るだけで毎年85万人の命を救うことができる。 どうしてわれわれは100年後の気候変動を心配するのに、いま起こっているもっと深刻な問題を心配しないのだろうか。毎年、栄養不良で400万人が死亡し、エイズで300万人が死亡し、大気汚染で150万人が死亡し、水質汚染で200万人が死亡しているというのに。こうした問題には、温暖化に比べてはるかにわずかな関心しか払われないし、資金も出ない。途上国が貧しいままでは、最大の温暖化ガス排出国である彼らは、その対策も取れない。 IPCCとゴアのアプローチは、対照的だ。IPCCは何よりも厳密な研究で事実を明らかにすることに集中し、政治的な発言は慎んでいる。ゴアのアプローチは、その逆である。
資本市場に支配者がいると主張したら陰謀っぽいけど言論市場は影響力を持ってる主体が限られてるのでいくらかは支配されてしまいそうで怖いです!
この2者が「温暖化問題への貢献」と言う点で、全く同等の存在だとみなされるのは納得がいきません。
こういう非論理的なコメント(およびTB)が多いが、同じことを何度もいうのは面倒なので、同様のコメントやTBは削除します。
残念ながら、ig-Nobel prizeに平和賞はありませんが。
受賞理由は、グリーンランドを覆う氷が溶けて「近い将来に」水面が7メートル上昇すると主張し、世界史上、空前の資源の浪費キャンペーンを起こしたことに対して、でどうでしょう。
今日買った缶コーヒーで救われる命がある。そしてこの手の問題はどんどん複雑性に追いやられて行くが、その本質は人間の「愛情」にある。でもその様な事を言うのは現代社会ではタブー扱いされるでしょう。だから解決を見ることはない。
IPCCとゴアを比較してゴアを批判することは首肯できます.しかし,現実を変革するためには政治が必要です.知識人には,政治家の弱点を批判してより合理的方向に彼らの針路を変える役割が求められますが,政治家を否定しても問題の解決にはならないと思います.
地球温暖化問題は,CO2などが100年のスケールで地球環境を大規模かつ非可逆的に変化させる蓋然性が高いという問題です.この問題と途上国の社会問題とを比較して,どちらかを優先させるべきか議論することは正しくないと思います.
途上国の社会問題に関して述べれば,金銭的援助で解決できる政治的・社会的状況にないことが問題です.時間はかかりますが,優秀な人たちを先進国に呼んで無料で教育し,その社会の民度を上げてゆく他ありません.途上国が経済的に自立し,民主主義が定着してはじめて,途上国型の社会問題は解消されるでしょう.(その代わりに先進国型の社会問題が発生するでしょうが.)
リンクを紹介しておきますが、実際には、科学者の中には300年でグリーンランドの氷が全部溶けて7メートル上昇するかも、という一派があるということです。
先日金曜のNews23の番組の中でもその説が出ていましたね。
そのイナーシャを短期に打ち消す力、大量の医薬品や食料は
原価は安く供給でき、政治的解決と一部の企業の我慢があればよいはずですが
温暖化は何十年にも蓄積していき、強い環境イナーシャがつくため
政治的解決によって地球規模で温暖化ガス排出をゼロにしたとしても
その後も温暖化は続く(だからこそ過去に長期の氷河期や
恐竜のような生物が長期に生息できる温暖な時代が存在している)ので、
ゴアのようなプロモータによって環境の重要な構成員である
先進諸国の人類に教育する必要があるのでしょう
ようつべにありました。若いし、熱い、しゃべりも分かりやすい。陰鬱な日本の経済学者とはぜんぜん違うな。
途上国の官僚は、欧米諸国のトップクラスの大学を出て、さらにPh.Dを持っている人も少なからずいて、国内の学部卒が大半である日本の官僚よりもずっと高学歴ですよ。
あのポルポト政権だって、政権中枢は欧州留学組でした。
彼は"near future"と言っています。判決でも言っているように、「1000年単位で起こるかもしれない」程度の出来事を、世界各地で水位が20フィート上がった場合の地図を見せたりして脅すのは、プロパガンダ以外の何物でもない。
>原価は安く供給でき、政治的解決と一部の企業の我慢があればよいはずですが
そんな簡単なことなら、とっくに解決しています。各国の援助総額がもともと少ない上に、政治家などに横取りされるから、解決しないのです。京都議定書の実施に必要なコストの1/3で、これらの問題は解決可能です。
これまで何度も書いたから繰り返さないけど、温暖化は温帯以上の先進国にはほとんど影響がない。これは熱帯の途上国の都市問題なのです。それを解決するのに、効果もはっきりしないCO2の規制なんかするより、直接援助するほうがはるかに効率的です。
過去の記事を読まないで、同じ話を繰り返すコメントも削除します。
ちなみに私はゴアさんに平和賞授与はやりすぎと思う。温暖化論争が激しくなればかえって紛争がおきて平和を脅かしかねず、温暖化を警告することが必ずしも平和に結びつくわけでない。彼は元副大統領の肩書で宣伝効果絶大だったが、中身的にほ既知のもので、新しい方法論を提示したわけでもないし。
温暖化の原因が本当にCO2だとか一部の温室効果ガスだけの仕業なのかどうか、科学的な検証はまだまだ不十分であると認識しています。太陽の黒点が原因であるという説や、その他諸説があって、これといった決め手はありません。大体数ヶ月先の天気すら予想が難しいのに、なんで100年後の気候をずばり的中させることができるでしょうか?
にもかかわらず、極めて扇情的なやり口で温室効果ガス削減の重要性をはやし立てる連中がいる。
これにより、排出権が取引の対象として認知され、大もうけしようというのがそのような人々の魂胆でしょう。
現に排出権の先物取引なんぞという言葉がヨーロッパあたりで盛んに喧伝されているようですしね。
まぁ温暖化は事実としても、それの与える影響は冷静かつ客観的に分析し、他の問題も含めて優先順位をつける必要はあると思いますよ。使えるお金は限られてるんですから。
「2015年以降、温室効果ガスの排出量は減少に転じさせ、その後、2000年の水準から50〜85%削減すべきだ」
IPCCも、百年後のことではなく、向こう8年について述べています。
2015年をpoint of no returnとして。
いずれにしろ、未来のことはそのときになってみないとわからないから、疑いたくなる気持ちは分かるし、実際どうなんだろう?と私もどこかで思ってもいます。
経済発展途上国の話とは、比べる対象かな??と思いました。どっちも両立できるのでは。
http://dilbertblog.typepad.com/the_dilbert_blog/2007/09/on-the-other-ha.html
(マンキューブログ
http://gregmankiw.blogspot.com/2007/10/why-economists-wear-kevlar-underpants.html
経由)
ご参考まで。
> 経済発展途上国の話とは、比べる対象かな??
> と思いました。どっちも両立できるのでは。
予算制約があるから、両立は難しいというか、
優先順位が必要なのではないでしょうか?
総花的な話を言い始めたら、バラマキ万歳になってしまうのでは。
というのも、仮に全世界の国が日本並みのエネルギー効率を達成したとしても、今の発展途上国が先進国並みに豊かになったら、そもそも地球環境が人間にとって好都合なままであるとはとても思えないのです。
何しろ先進国の人口が約12億人強なのに対して、発展途上国の人口は4倍の50億人近くもいるわけです。そして、2050年には先進国の人口がほぼそのままなのに対して、発展途上国の人口は80億人近くになると推定されるわけです。
わずか12億人しかいない先進国がわずかここ100年ちょっと豊かな生活をしただけで、「これだけ騒ぎになる」くらい地球温暖化が進むのに、その4倍以上の人間が先進国と同じくらい豊かな生活をすれば、省エネや資源の再利用云々とは無関係に、どう考えても地球温暖化が相当悪化するすることは間違いないわけです。
そうだとすると、地球温暖化が進むのを遅める唯一無二の手段は、発展途上国の経済成長を妨害して、これからもずっと今までと同じように貧困に喘いでもらうことになるわけです。
ゴア一派がズルいと(私が)思うのは、結局のところ彼らはまさにそういったことをやろうとしているのに、それを美辞麗句で誤魔化している点です。
というのも、京都議定書の最大の問題点は、中国やインドやその他の発展途上国(とアメリカ&ロシア)に、温室効果ガスの削減義務がないことです。そして、その改善策があるとすれば、やはり発展途上国にも削減義務を課すことでしょう。
発展途上国に対して温室効果ガスの削減義務を課すということは、ほぼ発展途上国の経済成長を妨害するということを意味します。というか、むしろ経済成長を妨害しないと、温暖化対策としては効果がないでしょう。
エコカーにエコバック…「エコ」とつけば何でも飛びつく消費者がいる限り、それに乗っかろうとする企業は出て来るでしょう。そのためには、地球温暖化は「危機」でなくては困るが、それは別段「科学」である必要は無い。「ムード」で充分です。
民間だけでなく官僚も「環境○×機構」みたいな特殊法人かなんか作って、自分たちの天下り先を確保しようと言う魂胆でしょう。
まあ、ムードですから、あまり長続きはしないかも知れません。もう20年もすれば「昔はそんな話もあったなあ」なんて懐かしんでいるかも。2100年には誰も気温など気にしてなかったりして。
この問いの答えは「恐怖」であると思う。このエントリのコメント欄でも「リスク・惨状」「非可逆」「強い環境イナーシャ」等取り返しのつかない破局への予感が目につく。
温暖化が起きないことによるメリットとか、温暖化対策施策へのインセンティヴ(対策によって温暖化を防げるという主張がないのは驚くべきことだ)は全く示されていない。利得-∞を回避できればあとのことは構わないという態度だ。
これは別の次元でも作用している。
政治家や官僚(そして多くの環境専門家)は、温暖化対策に懐疑的な態度を示すことがリスクでありキャリアに非可逆的ダメージを受けることになるのを知っている。彼らの出世にはイナーシャがあるから、致命的だ。結局世間に逆らえない。
この恐怖を演出したゴアの罪は本当に重い。
世界が本気で温暖化対策に取り組むにしても、人々を恐怖から解放した上でなければ何も始まらない。どうしたらいいのか考えているが見当がつかない。
今や核戦略のMADよりも大きな恐怖として醸成され、商売のタネになった恐怖をどうやって解体すればいいのだろうか。
多くの人が途上国の深刻な問題に恐怖を感じていないことはヒントになるかもしれない。
http://www.yasuienv.net/Lomborg1.htm
http://www.yasuienv.net/Lomborg2.htm
http://www.yasuienv.net/Lomborg3.htm
http://www.yasuienv.net/LomborgAirP.htm
「この手の考え方は、技術というものの能力と可能性を十分に理解していない経済最優先主義者が言う言葉。技術は決して万能ではない。」
「ロンボルグの一つの誤解は、エネルギー源の互換性を100%だと信じていることだろう。「理論的に不可能でない」ことと、「地球という境界条件のもとで、合理的な方法とは何か」、ということとでは解が違う。」
「インセンティブだけでは、技術開発は不可能で、地球の持つ能力という境界条件が、技術開発の限界を決める可能性が高い。」
「ロンボルグの未来シナリオは、特に、資源・エネルギーの過剰消費については、楽観的すぎて問題外のように思える。」
「いささか技術音痴で、将来の技術の可能性に夢を見すぎている。極めて技術楽観主義者のようでもある。」
「ロンボルグの記述の問題点は、やはり経済成長と環境保全の話になるな。やはり、地球資源が有限だったら、「経済成長をすれば、環境問題はすべて解決」というロンボルグ説は成立しないと思うが、その有限性への認識が甘いのがロンボルグの最大の問題のようだ。」
安井先生の温暖化自体についてのスタンスはこちら。
http://www.yasuienv.net/GWItoBook.htm
「我々の温暖化に対する対策論は、簡明だ。2100年に1.5℃から2℃の温暖化は起きる可能性があると考えよう。省エネルギーによる二酸化炭素の放出量を下げる対策は、万一、温暖化が起きなかったとしても、より重要な環境問題であるエネルギー資源の枯渇にとって良い影響を与えるのだから、後悔することはない。」
まあ、温暖化の真否はともかく、ゴア並の強迫観念でCO2削減する必要はありそうです。
もちろん、そうでしょう。二酸化炭素排出削減の是非はともかく、排出削減を本当に行うのなら、途上国に経済成長を止めてもらうしかない。
あるいは、先進国の経済水準を引き下げて(国民所得を落として)途上国の経済成長を許すということになります。
こんな厳しい利害対立を、どこでどうやって調整するんだろう。
GDPの1%がODAに使われる程度なら納税者も町内会費ぐらいの感覚で許しますが、排出権の買取にGDPの10%を使うなんて事態が許されるわけがない。
それを考えると、「温暖化」という錯覚によって化石燃料が節約されることは悪いことではないでしょう。しかし超長期で考えれば、化石燃料がなくなると温暖化も止まるので、いずれにしても温暖化は「非問題」です。
ブッシュの敵であるゴアは「平和」に値する人物として表彰してもいい。その空気と地球温暖化がたまたま結びついただけで、温暖化の真偽なんて「非問題」なのだと思います。
リンク先で触れられた日本版ロンボルグ武田さんは「そこまで言って委員会」に出演した際に説得力に欠けるなという印象を持ちましたし、彼の本にもうさんくささを感じたもので(店頭で読んだだけ)
あと、できれば1000円前後で。ロンボルグを読めと仰られても一般人には高すぎます。最近の大学生の一月の書籍代は雑誌含め1000円とかいいますし。
国連の人権委員会と同じくらい胡散臭い。
ほいで人権利権屋はチャンスを逃さない、って感じ。
原子力もウランに依存しています。高速増殖炉や核燃リサイクルは技術的に頓挫しています。核融合は水素は無尽蔵ですが、核融合反応を維持するために必要なレアメタルはいうまでもなく有限です。技術的にも核融合はとんとめぼしが立ちません。
石油は枯渇するかもしれませんが、そうすればオイルサンドや石炭、天然ガスに取って代わられるだけの話です。これらは事実上枯渇しません。千年単位ですから。これらが枯渇するころは人類は滅亡しているか、地球を捨てて宇宙空間に進出しているはずです。
随分と高いですねえ。それに訳者が・・・また例の「フランクなお友達」口調で訳されるのでしょうか。内容はともかくあれは随分と不愉快なのですが。評者としての目の付け所はよいので、かなり重要な本を多数訳していますが、文体は不快なので改めてほしいが、軽薄な性格がそのままでちゃうんでしょうな。
武田さんは温暖化については専門でもないし、2次資料ばかりで、パート2もかなりいい加減な本です。
ロンボルグの昔の本は、もう4年前に訳本が出ていますが、私は読んでいません。あの訳文が気持ち悪いので。
> 天然ガスに取って代わられるだけの話です
上で紹介された安井先生のHPより
石油、最後の1バレル
http://www.yasuienv.net/LastOneBarrel.htm
> エネルギーを得るには、エネルギーが必要。
> 投入エネルギーと獲得エネルギーの比
>(EPR=Energy Profit Ratio)という概念が重要
石油がなぜこれほど使われたかと言うと石炭みたいに掘らなくても圧力で勝手に沸いてきた。
しかも液体なので運搬もしやすい。
=投入エネルギーが少なくて済む。ということです。
だから新しいエネルギーもこの効率が悪いと使えません。
まあ何とかなると言えばなるんでしょうが大きな変革と混乱になる可能性は高いように思えます。
枯渇することよりもそれに伴う争奪戦・争いが一番怖いですから。
アマゾンで検索してみました。
訳者は………ああ、なるほどね(笑)
ノーベル平和賞が極めて政治的に偏ったものだとは重々承知していましたが、ここまで非科学的と批判があるのに受賞させるとは、平和賞のみならず、他の賞の権威までも地に堕ちるように思いますが。
この分だと、来年辺りは庶民の王者サマこと池田太作センセイが平和賞を受賞しても全く驚きません。
兵器・油利権がエコ利権にとってかわるだけなのに。
いま環境危機を訴えるのが、利権当事者ならそれは理にかなっている。世界はそういう風にして動く。問題はマスコミが勝手な解釈で乗っかろうとするから余計に困る。大衆の「情」に対してアピールできれば、何でも大歓迎したがるんだから。ヘイワを弄びすぎてすっかり大衆の関心を失ってしまったからカンキョーに乗り換えたってところでしょう。
資源を大切にってのはそれ自体は悪いものではない。ただダイレクトに情緒に届いてしまうだけに、他のさまざまな要素を見えなくしてしまうからたちが悪い。
あえて言うならわれわれは、「先にもっとやるべきことがある」でFA。
前者が「地球全体」に対する問題意識であるのに対し、後者が「人類至上主義」であることだ。
そもそも、人類はそんなに偉い存在なのか。
仮にそうだとしても、
先進国といわれる日本でさえ、将来不安で子供を作るのを控えたり、中高年の自殺が増加したり、
生活保護を打ち切られて餓死したりする状況なのに、発展途上国のことを考える余裕があるのか。
発展途上国も、働かなくても援助が来るのであれば、もっと働かなくなるだけではないのか。
経済の貧困な国の人口がさらに増加したら、それを先進国が延々と助け続けるのか。
そもそも問題の多くは、内戦や虐殺、援助の横流しであったり、労働意欲の低さであったり、
計画性のない出産であったりするのに、食料・医療援助で解決すると思っているのか。
仮に解決して、人類全体が長生きになったら、それで世界は幸せなのか。
日本の平均寿命も、明治時代は30歳代、戦前までは40歳代で、戦後ようやく50歳を越えたが、
だからその時代の日本人は不幸だったとでもいうのか。
もしタイムマシンがあって、過去の日本に食料や先進医療を持ち込めたら、日本は幸せになったのか。
生きながら死んでいるような社会が早く到来しただけではないのか。
ロンボルグ氏が、全世界の人類が100歳まで生きられる世界が幸せな世界と考えているのか
聞いてみたいところだ。
自然科学の中でも物理や化学はピュアな物質の制御された条件での振る舞いを問題にするので,信頼性の高い予測が可能である.生物学でも分子生物学などの分野については同様なことがいえる.しかし,地球,気象,環境,宇宙,生態などの対象―いわゆる複雑系―は極めて多数の要素が複雑に絡み合っているのみならず対象に対する十分な情報を得ることができないため,確度の高い予言は困難である.特に,カオス現象のため,中・長期の天気予報を因果的に行うことは不可能である.それにもかかわらず,複雑系を対象とする科学は可能である.統計的予測や限定された問題に対する因果的予測は可能だからである.
地球温暖化は因果的予測ではなく統計的予測である.この予測が的中したときの地球的災難の大きさと,この予測が当たる確率を掛けると,地球温暖化による人類の損失の期待値が計算できる.この期待値が,地球温暖化対策を今から国際的に行う必要があるほど大きいとIPCCは考えているようである.(IPCCがこの期待値を計算・公表しているということではなく,IPCC報告の趣旨を解釈するとこうなるということである.)
地球温暖化に関してはいろんな人たちがいろんな説を提唱しているので,自分の主張に都合のいい説だけを拾ってくれば,どんな説でも展開することができる.いろんな説の中には「トンデモ説」も沢山含まれていることに注意しなければならない.私の見方では,IPCCが提唱しているものが現時点でもっとも信頼性が高い説のようである.
>前者が「地球全体」に対する問題意識であるのに対し、後者が「人類至上主義」であることだ。
地球が「温暖化は困る」とでも言ってるんですかね。今より何十度温暖化しても、人類は死滅するかもしれないが、生物の(個体数で)大部分であるバクテリアは、今より繁殖するでしょうよ。「地球を大切に」などというキャンペーンこそ、人類の思い上がりです。
>優先順位が必要なのではないでしょうか?
>総花的な話を言い始めたら、バラマキ万歳になってしまうのでは。
国家予算などで環境に予算を食われて「深刻な問題」の予算が削減された、というのなら分かります。
しかし、環境に金を使わなかったら「深刻な問題」に金を使うようになるの?と。
> 経済発展途上国の話とは、比べる対象かな??
> と思いました。どっちも両立できるのでは。
そうですね。両立できるかどうかというより比べる他対象じゃないものを比べているというか。
環境問題に金を使おうが使わまいが、「深刻な問題」に各国は金を出さないでしょう。それを出させるようにする必要は環境問題の如何に関わらずので、環境とは別問題です。
極論すれば、経済学者などには、環境問題に金を使うなら〜と言った空論を展開するよりも「「深刻な問題」を解決するように各国が金を使うようなシステムを作る」提案をして欲しいですね。
温暖化で喜ぶ人や生物と、困る人や生物のどちらが多いかとは別の話。
途上国に対しては、ここに来ている人達にとって、内戦や虐殺を止めたり、
働く意欲を向上させたり、避妊やエイズの知識を高めさせたり、ということは難しく、
せいぜい、気の向いたときにユニセフにでも寄付するくらいでは。
(私も寄付はしているが、困っている人に本当に届いているかは疑わしい)
しかし「地球温暖化」問題は、ここに来ている人達の日々の行動によっても一定の効果は出うるし、
その意味では、あの映画も有意義といえる。たとえ、ハッタリ9割であっても。
いくらお金を援助した所で、お金に手足が生えて何かしてくれるわけではない。最終的に教育やら食料やら医療やらの供給を支えるのはエネルギーであり、エネルギーが無ければ経済発展も無い。温暖化だってエネルギーがふんだんにあれば炭素を海中に固定する事だってできる。
世界全体でのエネルギー消費は限界に迫っており、X倍の人を経済的に豊かにさせるためには、GDP1ドルあたりのエネルギー消費量をX分の1にできなければ不可能な時代が到来しつつある。
そういう観点で見れば、節約ということにまったく蒙昧なアメリカ人にエネルギー消費抑制の必要性を悟らせただけでも(それが誤った知識によるものであっても)、ノーベル平和賞に値するんじゃないでしょうか。背後に絡む政治的利害は糾弾しつつも。
このブログでは、温暖化は人類にとって不利な条件の中でも優先順位が皆が思っている以上に下位ですよ、と主張しているのです。
エコバッグとか、代替燃料騒ぎを見るとそうもいえない気がします。エコに見えるものが、エネルギーを大量消費して化石燃料を浪費したりCO2を出してしまうことがあったり(ソースは武田邦彦)。
「結果は同じだからバカをほっといても実害は無い」という場合もありそうな気はしますが。それだったら、ロンボルグのように「温暖化よりも大きな問題がある」と主張してエネルギーの希少性を説いたほうがよっぽどいいと思います。
ちなみにロンボルグ本のエネルギーの章に関しての批判文↓
http://www.nextftp.com/musaokuo/skeptical.htm
>まあ何とかなると言えばなるんでしょうが大きな変革と混乱になる可能性は高いように思えます。
枯渇することよりもそれに伴う争奪戦・争いが一番怖いですから。
エネルギーを奪い合うってことは、そもそも誰もエネルギー源を持たずに戦うことになる。そうなると戦闘は兵器を駆使したものではなくて、白兵戦が中心になる。そこでは素手で相手を即死させるような、高度な格闘術を体得した人間が最強。
北斗の拳ですね笑
前者が「地球全体」に対する問題意識であるのに対し、後者が「人類至上主義」であることだ。
>そもそも、人類はそんなに偉い存在なのか。
どちらも人類至上主義です。人類の問題意識はすべて人類至上主義です。例外があるなら教えて欲しい。
ロンボルグさんは人命を経済価値に換算するために短期的な大向こうウケのよさげなネタを故意に拾っている感じ。「地球全体派」(そんなのあるのか知らんけど)は長期的カタストロフィーリスクヘッジを重視し、カタストロフィーリスクを最小にしようとする。
何が違うかといえばマラリアとかエイズとか凍死者だの熱中症死者などカタストロフィーリスクとしては事実上ゼロなので全然深刻じゃない。一番怖いリスクは海で、海面上昇なんてどうでもよいような巨大なリスクを抱えていること。温暖化をトリガーにして、海自身が二酸化炭素を吐き出すともう誰にも止められなくなるというリスクがある。
両者が違う土俵で戦っても話がかみ合わないのは当然。
http://www.nytimes.com/2007/10/15/opinion/15krugman.html
クルーグマンはどちらかというと危機論者のようで、その中には
"Leave it up to the free market, and in a few generations Florida will be underwater."
といった表現も見られます。
1年前の同コラムでは「不都合な真実」についても書いています。
http://select.nytimes.com/2006/05/26/opinion/26krugman.html
最近ではこんな記事も。
http://select.nytimes.com/2007/02/23/opinion/23krugman.html
http://krugman.blogs.nytimes.com/2007/02/23/time-to-act-on-global-warming/
そういえば山形さんはクルーグマンの熱心な紹介者としても有名ですが、クルーグマンのこの当りの言説については何も反応していませんね。
今年のハイリゲンダム・サミットでも、温暖化についての共同宣言が出たし、来年の洞爺湖サミットは「環境サミット」だそうですが、感染症にも水質汚染にも何の言及もない。こういう首脳レベルで(しかも全世界で)アジェンダの設定が狂っているから、配分される予算もそれに見合ったものになるのです。
有限な政策資源を、効果があるかどうかもわからない(われわれの誰もその成果を生きて見ることのない)政策に最優先でまわすなんて、後世の人から感謝されるどころか、笑いものになるでしょう。
一. あきらかに過去ログを読んでいないと思われる、一見さんの愚問は承認しません。
一. 20行以上または改行・行送りのあるコメントは承認しません。
・・・等々
荒し目的以外の普通の人は、一度言われたら同じことをしでかさないと思いますが、それでも減らないのは、一見さんが増えていることの証かと。。。それらにいちいちご対応されるのは不毛ですし。。。
>われわれの誰もその成果を生きて見ることのない
というものなのです(石油の枯渇は生きているうちに訪れるかも知れませんが)
未来のどうなるか分からない人間のために、どうなるか分からない問題を解決するための莫大な政策資源を最優先で回すより、今、苦しんでいる人々に回す方がよほどいいでしょう。
ロンボルグも
>どうしてわれわれは100年後の気候変動を心配するのに、いま起こっているもっと深刻な問題を心配しないのだろうか。
と言っています。
温暖化に関してはそれを防止する有力だったり見込みのある研究機関などに京都議定書のコストの100分1ずつでも使った方がよほど京都議定書を実行するよりよいのではと思うのですが。
http://www.iat.jaxa.jp/res/adtrg/innovativetech/e01.html
>この研究成果は、地上への転用も可能です。例えば、砂漠などの日射量が多くあまり使い道の無い土地にこの装置を設置することで、同じ面積の森林よりもかなり多くの二酸化炭素を酸素に変換できます。
こういったものがありますが実現はむずかしいんでしょうかね?
実際、こういったものが出来たら森林伐採問題なんかが起きる懸念がありますが。
誤解を受けるといけないので断っておくが,人類至上主義=環境破壊容認論ではない.環境問題も人類にとっての利害得失の立場から考える立場を意味する.
一部に地球温暖化よりもエネルギー問題を重要視する意見があるが,後者は前者と深く関わっている.地下資源である石炭を考慮すれば,100年のスケールでエネルギー問題は生じない.しかし,CO2の問題から考えた場合,石炭は最悪のエネルギー資源となる.今の段階では地球温暖化問題は解決できる可能性が残っている.しかしながら,経済的に利用可能な石炭資源を利用し尽くした暁に,とてつもない地球温暖化問題が生じることは,現在の地球科学の水準でも断言することができる.
>人類は死滅するかもしれないが、生物の(個体数で)大部分であるバクテリアは、今より繁殖するでしょうよ。
地球が人間に汚染されたんで、『風の谷のナウシカ』の世界みたいにバクテリアやカビが爆発的に繁殖して修復するのかも。
植物も虫も動物も自然に対してそれなりの役割を果たしてるよーなんだけど、人間って何か役割を果たしてるのかなぁ?
個人的には人間が地球に与える影響は微々たるものだと思います。今の「環境のため」とか「地球のため」という活動はどれも地球を人間に合わせようとしていると思いますがそれよりも、人間の方が地球に合わせるべきだと思います。
ロンボルグのこの言葉には残念、失望した。ゴアの空想映画に代表される温暖化をめぐるバカ騒ぎの原因がIPCCにあることは疑いようのない事実なのに。
いまのIPCCは、数年前のビッグマウス全盛期の亀田家状態だろう。
人間の腸内細菌や皮膚に住むダニ、その他家ダニやアブラコウモリやゴキブリやネズミなど、人間がいなければ生息域が大幅に縮小する生物群などの「自然」を支えるという立派な役目を果たしています。
今は多くの生物に必要な光合成植物も、最初は今の人類を上回る環境汚染をもたらす生態系破壊者だったわけで。
>ホモサピエンスが地球の存在を壊す程、柔じゃない。
地球はビクともしないでしょうが、石油は尽きると思います。現在の消費量で後50年といわれていますが、中国やインドの25億人が今の先進国並に消費すれば10年で尽きます。
供給がタイトになれば、価格があがり消費量が下がります。
>供給がタイトになれば、価格があがり消費量が下がります。
石油が他のエネルギー資源との競争力を完全に失った時点で事実上枯渇したことになります.ついでに言えば,石炭は石油との競争で劣勢ですが,競争力を完全に失っている訳ではありません.
私はIPCC報告の信頼性は高いと考えておりますが,環境原理主義者(「環境のため」という枕詞がついた主張や運動を盲目的に信じたり実践する人たち)ではありません.この立場から,武田邦彦氏の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」を購買し期待して読んだのですが,大変失望し,半分読んだところで放り投げてしまいました.私は環境問題の専門家ではありませんので,武田邦彦氏の個々の主張をデータにもとづいて反駁することはできませんが,理系における平均的論理思考力のある人であれば,この本に散見される非論理的展開には辟易するでしょう.このような本が30万部近く売れていることに驚くとともに,この本が環境問題(含地球温暖化問題)に関する建設的議論に及ぼす悪影響を考えると空恐ろしくなります.
環境原理主義者や環境商売にうさんくささを感じている人たちが跳びついたのかも知れませんが,産業革命や都市問題に端を発する環境問題に対して,様々な対策が講じられてきた歴史の上に現在があることを忘れないでほしい.現在の環境問題および将来の環境問題にも人類の英知を結集すべきである.
私が推薦したいのは、ロンボルグの本を生み出すきっかけとなったジュリアン サイモン(Julian Simon)のThe Ultimate Resource2です。
この本も残念ながら、翻訳がないので英語で読むしかないのですが、とてつもなく重要な本です。この翻訳がない翻訳者の怠慢には強く反省を求めたい。
そもそもロンボルグは、この本を反証しようとして研究をはじめたところ、逆にサイモンが正しいことが分かってしまったということがロンボルグの本のはじめに書いてあります。
もっともロンボルグ自身は未だに左翼を自称している人なので、その結論部となる提言はやはり政府に税金使ってなんとかせいというオチで台無しです。
東大の安田先生という人も、基本的な経済学を全く知らないで経済問題に発言をする理科系人間の典型のようですが、サイモンの本くらい読んでから講義して欲しいものですね。
Simon/Kremer moderlの話は、次を読むと分かりやすい。
http://econlog.econlib.org/archives/2007/10/malthusian_myop.html
自然現象と経済現象の区別も全くついてないようで、まったく話にならない。
こういう勘違い爺さんはゴアと同類で、人類の子孫にとって迷惑千万な老害でしょう。
ちくまプリマー新書「環境問題のウソ」池田晴彦 2006.2 というのを読んでみました。読みづらいと評判のロンボルグも使って(他の研究についても整理して)温暖化で一章書かれてました。これでは太陽活動の影響が最も大きいという説を支持していました。温暖化を問題だとしてビジネスにしている利権がダメだとも。
温暖化はウソでも技術革新につながるならメリットもあるなと個人的に思ってるんですがね。石油が少なくなり値段が上がったとき、電化製品のほとんどを省エネ世界一の日本製品が席巻する、なんて姿を夢想します。
しかし、相当数の人間が温暖化がないと困るんだとこの本のアマゾンレビューを見て思いますね。非論理的だと評価1にしながら、そう評価する根拠を提示できない。本当に知ってたら何か一つの例くらい書きたくなるのが人情だろうに。
入念なリサーチをして書いているようで、面白くてためになりますよ。:-)
さすが、超頭脳!?
http://jp.reuters.com/article/JPOddlyEnough/idJPJAPAN-27678620070902?rpc=112
地球の温暖化防止で中国当局を相手にするする場合上記の論点を持ち出す事を前提に論理を組み立てる必要があります。
ひとつの「正しい」のもとにみんなが突き進むのは恐ろしいということ,たしかに地球はここ何年かで温暖化しているかもしれないですが,そこまで焦らないといけないことなのかということ,明日の天気予報もはずれるのに,地球温暖化の原因が特定できるのかということです。
私もアイドリングでむやみやたらに排気ガスをまき散らしたり,水の無駄遣いをしたりするつもりなんかまったくありません。コンビニに行っても,「袋はいりません」と言います。「STOP!温暖化」と言われて,アイドリングストップさせられるよりも,「ガソリンがもったいないからアイドリングストップしなさい」とか「排気ガスが臭いのでアイドリングストップしてください」と言われる方が,ずっと実感がもてますし,ごく自然だと思います。"Think Globally, Act Locally"ではなく,時には,自分に身近に感じられるところから始める"Think Locally, Act Locally"も必要なのではないかと思います。話がそれてしまったかもしれませんが,身近に感じられることとして書かせて頂きました。
(p261) オイルショック以降八〇年代前半にかけて、資本主義の中心部では、石油資源がもうすぐ枯渇するという説がさかんに唱えられた。あと二、三〇年もすれば石油はなくなってしまうから、はやく代替エネルギーの開発をすすめなくてはならない、と。しかし、あれから実際に二、三〇年たった現在でも石油が枯渇するけはいはない。けっきょくそこで達成されたのは、莫大な利潤が見込める――しかし安全性に関して異論が噴出しており、激しい抵抗も予想される――原子力産業でのあたらしい資本の形成であった。「資本主義は、宇宙の限界、資源やエネルギーの限界に直面するような振りをする」(同[「千のプラトー」]、五一八頁)
地球温暖化のストーリーが、かりに荒唐無稽なものだったとしても、その作られた「限界」「危機」意識をもとに、資本主義はさらに新しい「なにか」をつくりだしてくれるのではないか。その「なにか」を先に見通せた人間が、現世での「勝ち組」になれるのでは。(まあ、勝つことに意味があるかどうかはともかく……)
確かに池田氏のような視点も大切だとは思います。温暖化に対する関心の高まりが、現在起こっている問題を覆い隠すことになってはならないでしょう。しかし、「途上国」も持続可能な形での「自立」を最終的に目指していく必要があるとすれば、やはり「環境保全型」の取り組みを目指す必要があるのではないでしょうか。また、古生代石炭紀に莫大な植物が繁茂していたことを思えば、石油・石炭を現在と同じように使い続けて大きな問題が起こらないとは思えないのです。子孫に持続可能な社会への希望を残すのか、不安・最悪の場合絶望を残すのか、私にはやはり大切な問題であると思えます。
このたびの受賞やイギリスでの判決、武田氏の『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』について私なりに意見をまとめてみましたので、よろしければ下記のページをご覧ください。
http://sky.geocities.jp/shchan_3/
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