かぶれの世界(新)

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地方分権の現実

2009-10-25 23:26:14 | 国際・政治

政権交代後1ヶ月余りで、次々とマニフェストが実行に移されているが、財源問題だけでなく以前から疑問視されてきた懸案事項が早々に表面化してきた。多くは国の骨格にかかわる問題だ。その中で総選挙直後までは連日メディアを賑わした地方分権が、新政権で一体どうなるのか具体的に見えてこないのが気になる。

テレビ出演率一二を争う論客だった総務相が突然無口になり歯切れが悪くなったのは何故か。郵政民営化見直しで亀井大臣の毒気に当たっただけではない、別の理由があると思う。ここからは例によって妄想たくましく地方自治の現実とそれに対する分権化の問題を議論してみたい。

結論的に言うと、「人生いろいろ、地方自治体もいろいろ」ということではないだろうか。前原国交相が脱ダムとか高速道路など公共事業凍結を宣言した時、地元の首長や直接関わる住民の感情的な反発が報じられた。感情的になるのは歴史的な経緯があって仕方のないことだが、賛成する声も多いのに殆ど報じられず圧力を感じたはずだ。

だが冷静に本来あるべき姿はどうかと考え、或いは30年前の前提と現状は同じか問いかければ、それより高い優先順位の支出が他にあるという印象は免れない。夫々の地域で何を優先するのか住民の声が報道で窺い知れず、結果として対立を煽るだけになった印象がある。

そもそも地方分権の発想には、その地域の実情(優先順位)にあった税金の使い方を地方が決めるというものだった。だが、公共事業凍結に対する自治体の反応を見ていると、この人達に地方分権とかいってお金を渡すと、酷いことになりそうな嫌な予感がした。

実際統計を取ったわけでは無いが、日本全国の自治体の中で地元の建設会社上がりか、もしくは深い繋がりのある首長がかなりいるらしい。又、チェック機能を果たしていない自治体の議会も枚挙に暇がないし、利益誘導を期待する住民が選挙結果を左右しているところもあるようだ。

もちろん、そうでない所も沢山あると思う。だが、戦後60年余の歴史は一貫して都市部や工業地帯の成長から得た成果を地方に分配してきたので、いかにして中央からお金を分捕るかが自治体の遺伝的体質になったのは否めない。

新幹線・高速道路・空港の三種の神器が必要という、どう考えても経済合理性のない主張をする自治体の首長だけでなく、利益誘導を支持する住民もそうだ。国政レベルでは住民の総意は転換を求めたが、地域までとなると、人々の意識が変化したかはよく分からない。

お金を流す「媒体」が公共事業であり「対象」がダム・高速道路・空港や建物だった。それを効率よくやれる人が優秀な首長・議員・公務員であり、期待する住民がいる。中央の官僚のやってきた天下りや税金無駄使いシステムは酷いが、地方にもスケールは小さくても天下りも無駄使いもある。

そのままにして地方分権だと言って、自動的にお金を渡して良いはずがない。地方と一括りで言うのはちょっと乱暴なのは分かっている。国よりも遥かに先進的な取り組みがある一方で、未だにボス支配のような自治体もあると聞く。こんな自治体の多様な問題を指摘する議論が出てこないのか気になる。EUに加盟する国々の差くらいありそうな気がする。

総務省は一体どういう地方分権を計画しているのか。げすの勘繰りをすると、自治体の反発を恐れてフリーハンドの掴み金を渡そうとして財源不足に悩んでいるのか。お金持ちでも生活保護者でも「子ども手当て」を渡す同じロジックを展開する積りだろうか。是非聞いてみたいものだ。■

コメント
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