筆者はこれまでデフレ不況の原因は、長期にわたる円高による歪んだ「国民の収入の略奪」にあることを発言し続けてきた。それは、総務省が公表している国民の消費支出の低下や厚労省が発表している世帯当たりの収入低下に如実に示されている。
特に問題なのは、これからの日本を背負う若年層のワーキングプアーが急増していることである。
アベノミクスで言うところの第一、第二、第三の矢とは、「大胆な金融政策」、「機動的な財政政策」、「民間投資を喚起する成長戦略」いずれも基本的なスタンスがずれている、サプライサイドをいくらいじっても景気回復にはつながらない。
アベノミクス効果があったとすれば、それは「円安とそれに伴う株高だけ・・・株高は庶民に縁がない、円安は物価上昇を招き、収入低下の庶民に物価上昇の追い打ちをかけようとしている。その上に8%の消費税の痛手を負わせた。
その結果、内閣府が9/8日発表した4~6月期の国内総生産(GDP)の改定値は、実質で前期と比べて1・8%減、年率換算は7・1%減だった、明らかにマイナス成長を予兆するものである。
アベノミクスの「矢」は間違った方向へ放っている、いくら何本もの矢を放っても逆方向では日本経済の回復はあり得ない。
経済現象は極論すれば、「需要と供給」しかない。今真に必要なことは、失われた需要を回復することである、需要の回復なくして、デフレは克服できない。失われた需要とは、国民の収入を低下させたことに起因していることは言うまでもない。こんな単純なことが安倍総理にはわかっていないのである。
安倍総理の主張はデマンドサイド(需要サイド)を一顧だにせず、サプライサイド(供給サイド)に凝り固まっている。サプライサイドは、企業のIT化が進み、余力は有り余っている。いくら的外れのサプライサイドをいじくっても効果なし、なんでもありのブラック企業が増えるのみ。
◎本の音色を聴こう♪ ちょいよし わ→るど!
「ちょいよし」とは「ちょっとした良いこと」
「自分が一日怠ければ、日本が一日遅れる」(坂の上の雲 秋山真之の名言)など、
「おっ、それいいね」と思う、あなたが受け入れやすいものを毎日1つ紹介(*^^*)/
出版するのが一番最初に実現させる〝夢〟です!◎
http://ameblo.jp/cyoiyoshi-miyacyan/entry-11914626071.html
鷹山の言葉にビジネスの教訓を見る
さて、今日は鷹山の言葉からビジネスの教訓を得たいと思いますバイバイ
本書からそのまま引用しますので素直に感じていただければと思いますらぶ②
PDCAの元祖?
▷「およそ天下のことを開始するに当たっては、30日前からその理由などを十分検討しておき、それが開始されてからは、実行上変わってしまうことのないように、30日ごとに調査と討議を反復し、1日たりとも中断しないことが必要である。このことを昔から『終リテ即チ始メ有リ』といっている。太陽の移り変わり、月の満ち欠け、寒暑の動きなどはすべて中断されることがない。したがって、このように毎日検討することは天の行である
鷹山は続けます
▷一つの問題を解決するためにはこのようにしなければならない、ものごとがある方向へ行くであろうと予想されれば、それに対してはこのように対策を立てるというふうに、配慮をしておくことが当然である。それをしないで、実際上問題が起こってから、あれこれと苦労しても、すでに効果はない。ことが進行しはじめてから努力してみても、その努力している間に、すでに失敗の要素が生じつつある
これはまさにPDCAですねポイント
PDCAはアメリカの統計学者ウィリアム・エドワーズ・デミングが提唱したものです
彼の生涯が1900年から1993年ですが、それよりも100年以上も前に日本の一藩の藩主が同じことを言っているのです(上杉鷹山は1751年~1822年)
(以下略)
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>自然に学ぶ、すならち実学ですね。
>吉田松陰がそうですね~(みやちゃん)
幕末攘夷維新回天の大業に殉じた吉田松陰や高杉晋作、勝海舟、西郷隆盛、山岡鉄舟ら大和魂武士たち全員が忘己利他菩薩武士道の鑑として一様に心服崇拝していたのが、まさにこの細井平洲上杉鷹山師弟です。
ゆえに松蔭の一番弟子高杉晋作が祀った大和魂の招魂場桜山神社を東京に勧請した靖国神社は、攘夷すなわち欧米列強による植民地化目的日本武力侵略を打ち破って大和の国を防衛(まも)り抜く為の戦に、金も地位も名誉も命も要らぬと忘己利他菩薩武士道大和魂で散る桜のごとく潔く死んでいった清らかな志士たちを、国のまほろばを護った英霊として隔てなく菩薩供養する神仏習合仏教のやしろだったのです。
>吉田松陰がそうですね~(みやちゃん)
幕末攘夷維新回天の大業に殉じた吉田松陰や高杉晋作、勝海舟、西郷隆盛、山岡鉄舟ほか大和魂「武士」たち全員が忘己利他菩薩武士道の鑑として一様に心服尊崇していたのが、まさにこの細井平洲上杉鷹山師弟です。
ゆえに松蔭の一番弟子高杉晋作が祀った大和魂の招魂場桜山神社を東京に勧請した靖国神社は、攘夷すなわち欧米列強による植民地化目的日本武力侵略を打ち破って大和の国を防衛(まも)り抜く為の戦に、金も地位も名誉も命も要らぬと忘己利他菩薩武士道大和魂で散る桜のごとく潔く死んでいった清らかな志士たちを、聖徳太子以来【和を以って貴しとなし篤く三宝を敬う】菩薩常民が和合して暮らす国のまほろば「やまとの郷土(くに)」を護った英霊神霊として、士農工商などの隔てなく遍く菩薩供養する神仏習合仏教の先祖礼拝社堂であり寺所だったのです。
釈迦牟尼世尊は人天(人間世界と天神世界)の師でありすべての宗教の最上位の教えを説かれたので、寺には宗教の分け隔てなく誰でも葬られて菩薩供養してもらえます。よって靖国神社は非武士伊藤博文が廃仏毀釈するまでは、聖徳太子神仏習合本地垂迹来国教が仏教である日本国において天皇は全員仏弟子ゆえ、天皇が供養僧を務める仏堂の招魂供養場が靖国招魂場の第一義となります。日本の国教は先祖代々仏教ですから、廃仏毀釈後も先祖代々菩薩常民の心にとっては靖国神社は元来の意義である仏教徒の仏式先祖供養場のまま現在に至っています。
師匠「何を以ておぬしは失政という」
弟子「例えば乱世の出現、例えば人々の困窮、例えば外敵の跳梁」
師匠「それらは必ずしも失政とはいえん。内乱の勃発は単に中央政府の無力さの証明。人々の困窮は人間社会では常のことじゃ。困窮のない世が逆に例外じゃろう。外敵の跳梁とて、これまた茶飯事。いまだかって世界が一つの政府となり、戦争のなくなった世など十年と続いたことがないわ。」
弟子「では失政などというものはないと?」
師匠「いや、そうは言わん。おぬしのいうことは必ずしも失政ではないというとるだけじゃ。」
弟子「ならば失政とは?」
師匠「その任にあたらざる者をその任につける。これを失政という。おぬしの言ってる失政とはその結果論に過ぎん。」