池波正太郎『火の国の城(上・下)』文春文庫、2002年9月10日新装版第一刷
○あらすじ(文庫背表紙より)
風呂の客のたくましい躰には傷痕がきざまれていた。(この客どの…もとは武士や)湯女の乳房が、客のあたまの上でおもたげにゆれている。後から入ってきた客がうかべたおどろきの表情に、二人とも気づかなかったようだ。伊那忍びの丹波大介は生きていた―。関ヶ原の戦から五年、きなくさい京で、忍びの血が呼びさまされた。(上)
月も星もない闇夜であった。あきらかに、多数の敵が自分を包囲しつつある。(しまった…。)忍びの風上にもおけぬ、大介は自分をののしりつつ走り続けた。―太閤亡き後も豊臣家に衷心をつくす加藤清正を、家康は陰に陽に追い詰める。家康の魔手に立ち向かう、大介、於蝶ら名忍びたちの活躍を描いた忍者小説第二弾。(下)
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「なれど…裏には裏が、あるt、いちおうはこなたも考えてみねばなりますまい」
「うたごうたら切りもあるまい。このように、どこを見てもうたがいだらけの世の中なればこそ、人が人を信ずることを忘れてはなるまい」上p132
徳川家康の意を体した本多正信の問い(関東の家康と大坂の豊臣家の間でやがて一戦起こるであろうと世間の風評がうるさい時に、足しげく大坂の秀頼に機嫌伺いをすることはいかがなものか)に対して、加藤清正の返事は、こうであった。
「これは、ふに落ちぬことを申される。豊臣家が、この清正にとって、いかに大恩のある家か、これは家康公もとくとご存知のはずではござるまいか。なるほど、それがしは徳川家にも恩義がござる。なれど新恩のために旧恩を捨てると申すのは、まkとの武士のすべきことではないと存ずる」下p41
肥後熊本五十四万石の大守が、他の大名たちにはさげすまれている忍びの者に、手ずから茶を点じてくれようというのだ。
(この殿のおんために、おれは死のう)
と大介は、その瞬間に決意をした。古めかしい感傷ではない。
むかしの甲賀の忍びたちは、みな、この感動がなくては、決して、いのちがけの忍びばたらきをしなかったものなのだ。
人と人との熱い血の交流がなくなった“人間の世界”に、なんで、わがいのちをかけられようか……。下p153
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○あらすじ(文庫背表紙より)
風呂の客のたくましい躰には傷痕がきざまれていた。(この客どの…もとは武士や)湯女の乳房が、客のあたまの上でおもたげにゆれている。後から入ってきた客がうかべたおどろきの表情に、二人とも気づかなかったようだ。伊那忍びの丹波大介は生きていた―。関ヶ原の戦から五年、きなくさい京で、忍びの血が呼びさまされた。(上)
月も星もない闇夜であった。あきらかに、多数の敵が自分を包囲しつつある。(しまった…。)忍びの風上にもおけぬ、大介は自分をののしりつつ走り続けた。―太閤亡き後も豊臣家に衷心をつくす加藤清正を、家康は陰に陽に追い詰める。家康の魔手に立ち向かう、大介、於蝶ら名忍びたちの活躍を描いた忍者小説第二弾。(下)
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「なれど…裏には裏が、あるt、いちおうはこなたも考えてみねばなりますまい」
「うたごうたら切りもあるまい。このように、どこを見てもうたがいだらけの世の中なればこそ、人が人を信ずることを忘れてはなるまい」上p132
徳川家康の意を体した本多正信の問い(関東の家康と大坂の豊臣家の間でやがて一戦起こるであろうと世間の風評がうるさい時に、足しげく大坂の秀頼に機嫌伺いをすることはいかがなものか)に対して、加藤清正の返事は、こうであった。
「これは、ふに落ちぬことを申される。豊臣家が、この清正にとって、いかに大恩のある家か、これは家康公もとくとご存知のはずではござるまいか。なるほど、それがしは徳川家にも恩義がござる。なれど新恩のために旧恩を捨てると申すのは、まkとの武士のすべきことではないと存ずる」下p41
肥後熊本五十四万石の大守が、他の大名たちにはさげすまれている忍びの者に、手ずから茶を点じてくれようというのだ。
(この殿のおんために、おれは死のう)
と大介は、その瞬間に決意をした。古めかしい感傷ではない。
むかしの甲賀の忍びたちは、みな、この感動がなくては、決して、いのちがけの忍びばたらきをしなかったものなのだ。
人と人との熱い血の交流がなくなった“人間の世界”に、なんで、わがいのちをかけられようか……。下p153
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