けんのぺーじ

英知とは、自分の使命とその使命を果す方法をしること トルストイ

『武将列伝 戦国揺籃篇』

2009-01-06 02:15:54 | 諸書巡歴
海音寺潮五郎『武将列伝 戦国揺籃篇』文春文庫、2008年4月10日新装版第一刷

○あらすじ(文庫背表紙より)
今回登場する武将は足利尊氏、楠木正儀、北条早雲、斉藤道三、毛利元就、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉の八人である。南北争乱を経て、世は下克上の戦国時代へと移るにしたがい、武将の資質も変化していく。軍事的才能だけではなく、領内を経営する能力も必要とされていく、つまり軍陣と経営者両面なのである。

現実は観念論では動かない。長い歴史の間には動いたように見えることも有るが、それはかならずその観念論が必要となっているときである。明治維新がそれだ。世界が統一国家時代となっているとき、突然開国して国際場裡に登場した日本としては、統一国家となることが最大の急務であった。勤王論はここにおいて現実の必要とマッチした。統一には中心が必要であり、それには国初以来一系相伝えているとの国民信仰のある皇室にまさるのものはなかったからである。
維新の志士らは、これを明確には把握していなかったに違いない。感覚的、あるいは本能的に感受して、勤王運動によって日本を統一国家とし、ひいて明治・大正の盛世を将来したのであるが、明確把握していなかったために、そのたたりが昭和年代になって出てきて、こんどの大戦のようなことになってしまったのである。p57

人間に運不運のあることは誰も知っている。それは生きているうちにもあるが、死後にもまたある。時代思想の変化によって、人物の価値基準が変動するのである。歴史上、そんな人物はずいぶんあり、英雄豪傑といわれる歴史上著名な人物は皆それをまぬかれないといってよいのであるが、楠木正成をトップにする楠木一族くらいその変動のひどかったのは、あまり類例がない。p62

英雄の素質があって大志のある者は、その微賤の時代には空威張りなどはしない。かえってへりくだって俊傑の心を攬り、おのれの羽翼にすることを心がけるのである。p116

「およそ国主は親で、民は子である。これが昔から定まった道である。しかるに、世の末となって、国主らが貪欲となり、いろいろな税目を考え出し、百姓らに重い課税をしてはたりとることが習わしとなった。そのため、国主はぜいたく三昧のくらしをしているが、百姓は餓死せんばかりとなっている。これが今日の国々の実状だ。わしはまことにあわれと思う。わしが(北条早雲)一介の旅人の身でありながら、その方共の主となり、その方共がわしの民となったのは、浅からぬ宿世の縁あればこそのことであろう。わしの望みは他にない。その方共が豊に暮らすようになることを、ひたすらに念ずるばかりだ。されば、わしの領内では、税は田税だけにして、他は一切取り立てるまい。しかも、田税も従来より五分の一を減らすことにする。さらにまた、もし諸役人や知行主らが法にそむいてきびしい取立てをしたり、そなたらを虐げたりするようなことがあったら、遠慮はいらぬ。直接来て、わしに訴えよ。かならず諸役人や知行主らの罪をただすであろう」p142

「わし(北条早雲)から二代の間は、武士共に扶持をあたえるにも特別な心得がいる。二十前の若者や七十以上の老人には、功あっても知行地をあたえず、金銀を与えるようにする必要がある。老人はいのち短いものである故、すぐその子の代となる。その子の器量が尋常ならよいが、つたなければ取り上げねばならぬ。しかし、取り上げれば、必ずうらみを含むようになる。二十以前の若者は、成人してどんな人物になるか検討がつかぬ。若い時はすぐれていても、成人してうつけものになるもの、度々あやまちをしでかすもの、世上少なくない。これまた知行地を取り上げねばならぬが、これも必ずうらみを含むようになる。当人だけでなく、縁につらなる親族一般の気風がゆるんでくる。とかく、あとくされのないよう、金銀をあたえておくべきものじゃ」p159

共通する敬愛する人を持つ時より、共通する憎い人を持つ時の方が親密になるのは、人間のかなしい性質だ。p177

英雄となり得る人物は、大将としての初陣という、こういう大事な時に稀有の幸運に恵まれるものである。もっとも、この時の元就は幸運であっただけではない。実に勇敢である。陰徳太平記によると、敵が厳しく結った木柵を、乱箭の飛来する中に自ら引抜いて、ひるむ味方をはげましており、最後には武田(安芸の守護大名・武田元繁)と親しく一騎討の勝負をしようと敵軍に割って入っている。大将たるものがこんな危険なことをすべきでないというのは、机の上の批判だ。こうして兵を励まさなければならない場合もあるのである。
幸運だけでも英雄とはなれず、器量だけでもなれない。二つが兼ねそなわってはじめて英雄になれる。「ことを謀るは人にあり、ことを成すは天にあり」という中国の古諺があるが、この間の消息から出たことばであろう。p210

元就は領分境の豪族らに通信するときは、
「何かあの地方でめずらしがるものはないか」
と言ってととのえさせ、手紙につけて持たせてやったので、豪族らは、
「譜代衆とかわりなく待遇下さる」
とありがたがり、心服したという。
また、自分のすまいにはいつも餅と酒とを用意しておいて、小身な士や小人頭や、その組の者や、出入りする百姓らが、季節の花や魚鳥などを持参して、ごきげん伺いに来ると、対面して、「おお、おお、これはよいものを持って来てくれた。ちょうどほしいと思っていたところであったよ」
と言って、食べ物なら、早速に調理を申しつけておいて、
「さてその方は上戸か下戸か」
ときく。
「上戸でございます」
というと、
「おお、おお、飲むか。酒はよいものじゃ。酒がのうては冬は凌げぬ。まして戦で川を渡ったり、夜道を行くときには、飲まんではやり切れんからのう。飲むがよい」
と、酒を出して飲ませる。
「下戸でございます」
と答えると、
「おお、おお、下戸か。上戸はよく過ごしては、気が荒くなって乱暴したり、言うまじきことを言うたりする。飲まぬとは殊勝な。餅を食べよ」
と、餅を出して食べさせる。
これについて、吉田物語はこう説明を加えている。
「すべて大将たる人は、身分が高くなるにつれて、下々との間が遠くなり、直接のことばなどをかけるのはごく限られた人だけとなり、その以下の者とはまるで疎遠になってしもう。そうなると、下々の者は奉行や組頭を自分の主人のように思い、ほんとに恩をこうむり、生命をつないでいる主人を、奉行や組頭の半分も貴く思わず、大事な時にご用に立つ者も少なくなる。このようなことも考えて遊ばされたのであろう」p258

人間はデビューが大事だ。はなやかな出方をするのと、地味な出方をするのとでは、生涯のうち何十倍、何百倍の損得がある。p333

ほめられて悪い気のする人間はいない。はじめのうちは用心していても、くりかえされると、つい心が動いてくる。p340

信長は勝負の気合というものをよく知っている。調子の出た時には無理を押しても積極的に出る。p351

一坪の溜池の中では鯉は一尺以上にはなれないp418

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ひたすらに 海音寺潮五郎
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