猿毛岳の遭難捜索活動によって猿毛岳を訪れた人も多くなり、これまで忘れられていた猿毛岳スキー場の廃墟が久しぶりに多くの人の目に見つめられています。
手元に資料がありますので、猿毛岳スキー場について書いておきます。
捜索活動とは直接関係ありませんが、遭難者が道を見失ったのは、今は杉林に変わっているスキーゲレンデ内であったと思われます。このロッジ跡まで到達できていたのなら、現在地が確認できただろうし、ロッジ跡や周囲の廃屋の中に避難できであろうにという残念な気持ちがわいてきます。
猿毛岳スキー場は、昭和35年1月24日に、地元有志によってロープトウと休憩所の設備によってスタートしました。しかし、猿毛集落から20分ほどの歩きが必要なため、利用者は頭打ちでした。
そこで、加茂市と地元有志が、新潟交通に本格的なスキー場の開発整備を申し入れました。
当時の下越方面のスキー場は、冬鳥越、弥彦、赤谷、津川などで、いずれもリフトはありませんでした。
スキー場は、昭和38年8月3日に起工し、12月には完成し、翌19年1月4日から営業を開始しました。
リフト 1基
ロープトウ 1基
夜間照明
スキーロッジ などがスキー場設備の概要です。
せっかく開設した近代的スキー場でしたが、雪不足のため、初年度の営業成績は、大盛況とはいきませんでした。
スキー可能日数 31日
新潟からの直通バス 延 57台
リフト輸送人数 延 16000人
その後も雪不足は続き、営業はふるいませんでした。44年の水害による影響で、45年は休業。
地元の要望で、46年に再開したものの、結局50年代に入って休業閉鎖に至ったといいます。
現在でも、ロッジの土台と煙突が目を引きます。
スキー場が閉鎖してから30年以上が経過しているのですね。
手元に資料がありますので、猿毛岳スキー場について書いておきます。
捜索活動とは直接関係ありませんが、遭難者が道を見失ったのは、今は杉林に変わっているスキーゲレンデ内であったと思われます。このロッジ跡まで到達できていたのなら、現在地が確認できただろうし、ロッジ跡や周囲の廃屋の中に避難できであろうにという残念な気持ちがわいてきます。
猿毛岳スキー場は、昭和35年1月24日に、地元有志によってロープトウと休憩所の設備によってスタートしました。しかし、猿毛集落から20分ほどの歩きが必要なため、利用者は頭打ちでした。
そこで、加茂市と地元有志が、新潟交通に本格的なスキー場の開発整備を申し入れました。
当時の下越方面のスキー場は、冬鳥越、弥彦、赤谷、津川などで、いずれもリフトはありませんでした。
スキー場は、昭和38年8月3日に起工し、12月には完成し、翌19年1月4日から営業を開始しました。
リフト 1基
ロープトウ 1基
夜間照明
スキーロッジ などがスキー場設備の概要です。
せっかく開設した近代的スキー場でしたが、雪不足のため、初年度の営業成績は、大盛況とはいきませんでした。
スキー可能日数 31日
新潟からの直通バス 延 57台
リフト輸送人数 延 16000人
その後も雪不足は続き、営業はふるいませんでした。44年の水害による影響で、45年は休業。
地元の要望で、46年に再開したものの、結局50年代に入って休業閉鎖に至ったといいます。
現在でも、ロッジの土台と煙突が目を引きます。
スキー場が閉鎖してから30年以上が経過しているのですね。