さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 トルファン(吐魯番) その5

2010年06月14日 | 海外旅行
高昌故城の後は、ベゼクリク千仏洞を見学しました。

ベゼクリク千仏洞は、トルファンの北東38km、火焔山山中のムルトゥク河渓谷の崖に作られた石窟寺院です。

入口には、火焔山の一部であるピークがそそり立っています。

観光用にラクダもいます。



赤茶けた砂で覆われた火焔山を、ムルトゥク河が渓谷をうがち、緑のベルトが続いています。彼方には、ボゴタ峰を望むことができます。



遺跡は、崖の中腹に広がっています。



ベゼクリク千仏洞は、6世紀の麹氏高昌国時代から宋代まで開削され続けました。幅400メートルで、64窟が現存し、かつては壁画に覆われて、「砂漠の大画廊」とも呼ばれていました。

最盛期は、仏教に帰依していた高昌ウィグル族の時代でしたが、イスラム教がトルファンに広まるとともに破壊されてしまいます。
それに追い打ちをかけたのは、清末にここを訪れたロシアやドイツ、さらに日本の探検家が、壁画をはぎ取って持ち去ったことです。



一般開放されている20、27、29、31、33、39窟を見学しました。



壁画は、ほとんどが切り取られて持ち去られており、壁がむき出しになっていました。

それでも、懐中電灯の光を当てると、千仏像や涅槃像の足元で嘆く各民族の王の姿が闇の中から浮かんできました。

明るい砂漠から窟の中に入ると、目が暗闇になれておらず、何も見えませんでした。ベゼクリク千仏洞では自分で懐中電灯をあらかじめ用意しておく必要があります。





閉鎖されている15窟ですが、ここは誓願図で飾られていましたが、現在では、各国の美術館に散逸してしまっています。

この誓願図をデジタル技術によって再現した試みは、NHKスペシャル「新シルクロード第2集「トルファン 灼熱の大画廊」で紹介されています。



龍谷大学の手によってデジタル復元された誓願図です。

「燃燈仏授記」
中央に立つのは、過去仏と呼ばれ、この世に釈迦が現れる前の前世に生まれた仏です。

ニューデリーとソウルに分かれて所蔵されている壁画です。仏の足元がよごれないよう泥の上に自らの髪を敷き詰める青年こそは釈迦の前世の姿です。うねるような黒髪は功徳の象徴です。

このような巨大な誓願図が、15窟には何枚も壁を覆って飾られていました。現在まとまった絵として見られるのは、エルミタージュ美術館所蔵のものだけで、ドイツに持ち去られたものは、第二次大戦の際のベルリン空襲によって粉々になり失われてしまいました。



上野の国立博物館にもベゼクリク千仏洞の壁画は所蔵されています。
「衆人奏楽図」
「石窟の奥に造られた塑造涅槃像の枕もと(入り口からみて左側の壁)に描かれていたこの壁画は,仏の死を喜んで堅笛,横笛,太鼓や弦楽器などを演奏する異教徒(外道)の楽人をあらわしたもので,彼らの身色や風貌だけでなく心理的な背景の点からいっても,向って右壁に描かれた釈尊の足元で,その死を悲泣する仏弟子らとは対照的な表現である。背景の赤地や首の前で結んだマント状の服制から見て,ベゼクリク石窟第20窟壁画の一部とみなされる。大谷探検隊が将来した西域壁画断片中,最も大きなもので,緑や赤の彩色が印象的な画面である。 」と解説されています。

このような文化財の国外への持ち出しを、略奪といって返還を求める機運も高まっています。しかし、文化財の保護、略奪からの防止という点からすると、問題はそう簡単なものではないように思われます。、



ウィグル族の老人が弾く民族楽器の音色が、静かに石窟寺院に流れていました。

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