さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 バクー その3

2016年08月01日 | 海外旅行
シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿の入口にやってきました。

シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿は、13世紀から16世紀にかけて栄えたシルヴァンシャー朝によって築かれました。当初の首都は内陸部のシェマハにあり、夏の離宮として用いられていましたが、シェハマの首都が地震で破壊されバクーに遷都された後は、宮殿の役目を果たしてきました。

「城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔」という名前で、まとめてアゼルバイジャン初となる世界遺産に登録されています。



シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿では多くの建物が並んでいますが、超代的なフレームタワーが見下ろしています。



メインの宮殿の入口ですが、土色の壁で派手さはありません。



まずは、脇の会議場を見学しました。



会議場の周りには柱の並ぶ回廊が設けられていました。



会議場の壁には、イスラムののアラベスク模様のレリーフが飾られていました。



メインの宮殿に入ると、シルヴァンシャー朝の家系図が掲示されていました。馴染みのない王朝なので、説明を聞いても頭には入りませんでした。



壁には、織物が飾られていました。



小部屋が連なっていました。



展示されていたサーベルと短剣。

コーカサス地方では、イスラム勢力の刀剣の様式が導入されて、カフカース・サーベルとも呼ばれる湾刀が用いられるようになりました。18世紀から行なわれたロシア帝国の南下政策によるカフカースの植民地化により、このサーベルはロシア軍に借用されてシャシュカと呼ばれるようになり竜騎兵とコサックに採用されるようになりました。

また、カフカース地方で伝統的に用いられていた両刃の短剣は、カフカースが植民地化されると、コサックの装備として取り入れられてキンジャールと呼ばれるようになりました。展示物は、キンジャールよりも長いようで、その元になった形のように思います。



絨毯が敷かれたハーレムの広間。



水差し。



民族楽器。



宮殿の風景を細密画風に表現したアニメ。見ていると、絵の一部が動きだしました。



装飾品。



ステンドグラス。

今回のツアーでは訪れることができなかったシェキの街にあるシェキ・ハーン宮殿では、シャバカと呼ばれるこのようなステンドグラスが見どころになっているようです。



それぞれの部屋には、展示物が置かれていました。



衣装。



サンダル。



帽子。



バクーの旧市街の模型が置かれていました。



手前のドームが見られる付近が、シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿です。



他の建物の見学を続けました。



塔はモスク付属のミナレットのようです。



神学校でもあったケイクバット・モスク。





壁には、水没した夏の宮殿からの発掘品が飾られていました。



シャーモスク。



礼拝のために絨毯が敷かれ、メッカの方向を示す窪みのミフラーブも設けられています。女性のためには、脇に小部屋が設けられていました。



シルヴァン・シャフ・ハーン一族のお墓。



この墓石の形は、トルファンの蘇公塔の脇にあったウィグル族の墓と同じ形をしています。ウィグル族の墓では、上がとがっているのは男性で、丸いのは女性のお墓という説明を受けました。

その説明に従えば、ここには、男性の墓ばかりが並んでいるようです。

トルファン・蘇公塔



ハマムの跡。

小さな部屋が設けられているのが見えます。中は立ち入り禁止で、上から見るだけ。



シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿の見学はこれで終わり。この後は、旧市街を歩いて乙女の塔に向かいました。
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