さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 コリントス

2010年10月12日 | 海外旅行
アテネの西方約80kmの所にあるコリントス地峡を境にして広がっている半島がペロポネソス半島です。この半島は、紀元前13世紀のミケーネ文化の発祥の地をはじめ、五輪競技の発祥の地のオリンピアや、古代時代にアテネと覇を競ったスパルタがあり、ギリシャの歴史を語る上で重要な地域になっています。

コリントス地峡には、現在コリントス運河が開かれています。

コリントス運河は、全長6343m、幅は水面部で24.6m、深さは8m、運河の途中に鉄道橋と道路橋があり桁下は52mとなっています。従来のペロポネソス半島を大きく迂回するルートに比べて航路が400kmあまり短縮されますが、幅が狭いため大型貨物船の通航はできず、現在では主に観光船の通航に利用されています。

この運河の開削には、古代ローマ時代にもカエサルやカリグラ帝も関心をもちましたが、ネロ帝の時代になると、実際に大規模な開削が試みられました。67年にネロ帝は6000人の奴隷を動員して運河の開削を行い、3.3kmあまりを掘りましたが、ローマでガルバらの反乱が起こってネロは自殺してしまい、工事は中断しました。スエズ運河の開通によって、ギリシャでも運河の開通の機運が高まり、1893年に完成にこぎつけました。



コリントス運河を渡った先には、コリントスがあります。小アジアとイタリアを結ぶ重要な貿易都市として栄え、前5世紀のペルシャ戦争の際にはギリシャ軍の主戦力として、ペロポネソス戦争の際にはアテネと覇権を競いました。後に、ローマの属領になるとともに街は衰退しました。

遺跡に入ると、レカイオン道路続いています。この道は、港から続くものでした。左右には、商店街や浴場、庭園があったといいます。



レカイオン道路を進むと、ペイレーネの泉に出ます。内部には4つの貯水槽があり、6つのアーチのついた出水孔から噴き出てきます。



コリントスの遺跡は、コリントスのアゴラである、石灰岩からなるアクロコントスの岩山に見下ろされています。



ペイレーネの泉には、物語があります。ペイレーネは、息子のケンキリアスを、女神アルテミスに殺され、その悲しみのあまり涙を流し、泉になってしまったといいます。

また、別な物語もあります。ベレロポーンは、ティーリュンスの王のもとに身を寄せていたところ、王妃の誘惑をうけますが、これを断ってしまい逆に恨みをかいます。ティーリュンス王は、殺害の依頼の手紙を持たせて、リュキア王イオバテースのもとに送ります。リュキア王によって、頭がライオン、胴が山羊、尾が蛇、口から火を吐く怪獣のキマイラ退治が命じられます。途方に暮れたベレロポーンですが、アテネの助けによって、ペイレーネーの泉で水を飲んでいたペーガソスを捕らえ、これを慣らすことに成功します。ペーガソスに乗ったベレロポーンは、空中からキマイラの口に鉛を突き入れてこれを殺すことに成功します。リュキア王は、ベレロポーンを自分の娘の婿に迎えます。
しかし、後に増長したベレロポーンは天上に昇ろうとしたため、ゼウスの怒りに触れます。ゼウスはアブを花ってペガソスの尻を刺させます。暴れだしたペガソスから振り落とされたベレロポーンは、一命をとりとめますが、足が不自由となり、また盲目となって荒野を彷徨ったといいます。



ペイレーネの泉と書かれた標識。



遺跡で発見された柱頭が並べて展示されていました。



広大なアゴラの遺跡が広がっていますが、建物のアーチが残っているところがあります。




これらの遺跡は、ローマ時代のものがほとんどのようです。



このコリントスの遺跡では、パウロがキリストの教えを説いてもいます。



悲劇の泉とも呼ばれるグラウケーの泉。

グラウケーは、コリントスの娘でした。その土地に、コルキスで黄金の皮衣を奪い取る際に結ばれたイアソンと魔女メーディアが移り住んできました。イアソンはコリントス王のお気に入りになり、グラウケーと結婚するように勧められました。イアソンとメーディアの間にはすでに数人の子供がいましたが、イアソンは、出世の欲のために結婚を承諾してしまいます。メーディアには国外追放の命令が出るますが、復讐のために猛毒を仕込んだ結婚衣装をグラウケーに送ります。グラウケーがこの衣装を着ると、たちまち毒は炎となって燃え上がり、彼女は悲鳴をあげてグラウケーの泉に飛び込んで息絶えました。メーディアは、イアソンとの子供たちを自らの手で殺し、コリントスを去ります。

古代ギリシアのエウリピデス作のギリシア悲劇「王女メディア」として知られています。



オクタヴィアの神殿。
オクタビアは、アウグストゥス帝の姉のようです。

オクタヴィアとガイアス(後のアウグストゥス)は、早くから母を失い、親戚の間を転々とし、カエサルの家でも過ごすことになります。オクタヴィアは母親代わりにの面倒をみて、弟への影響を強くします。時を経て、オクタヴィアは結婚しますが、その夫は外国の王女のもとへと去ってしまいます。その復讐のためか、弟はその王女の国を滅ぼしてしまいます。その裏切った夫とはアントニウスであり、王女はエジプトのクレオパトラでした。

このような神殿がギリシャにあるということは、オクタヴィアの影響力の大きさがうかがえます。



物語は、ギリシャ時代からローム時代にまで広がっていきます。



アポロンの神殿。

ドーリア式の柱が七本立っており、コリントスのシンボルになっています。さらに4本は倒れたままになっています。これらの柱は、つなぎ目の無い一本の石からできています。



遺跡の各所からアポロン神殿をのぞむことができます。









コリントスでは、ギリシャ神話の世界が身近なものに感じられてきました。
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