さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 プラハ その15

2011年11月23日 | 海外旅行
ヴィシェフラドから再び旧市街に戻ってきて、ユダヤ人地区を中心に見学することにしました。

地下鉄を乗り換えてStaromestska駅でおりました。地上に出ると、通り向こうに芸術家の家がありました。この中には、ドヴォルザーク・ホールがあり、チェコ・フィルの本拠地になっています。ネオ・ルネッサンス様式の建物は、19世紀後半に建てられました。

ドラマ版「のだめカンタービレ」では、チェコ・フィルの前の首席指揮者のマーカルが、千秋の子供時代の先生のヴィエラ役を行って、演奏会に加えて、「オー、タマゴッチ」と叫んだ場面は印象的でしたね。



ピンカス・シナゴーグ

ユダヤ教徒は、他から隔離された一定の地区に住むことを強制されていて、ヨーロッパでは、ゲットーと呼ばれるユダヤ人地域が造られ、現在でも残されています。迫害の歴史を歩んできたユダヤ人ですが、チェコがナチスに占領された際には、占領下の各国から強制収容所に送られて、このユダヤ人地区で戦後まで生き残ったのは2500人にすぎなかったといいます。



ピンカス・シナゴーグの門はすでに閉められていましたが、ダビデの星が付けられています。

このピンカ・スシナゴーグは、15世紀後半にラビのビンカスによって建てられ、ユダヤ人地区で二番目に古い建物になっています。このシナゴーグの内部の壁一面には、強制収容所で殺害されたおよそ8万人の名前と、志望場所、死亡日時がびっしりと書きまれているといいます。



19世紀半ばにプラハ市の一部と認められるまでは、ユダヤ人地区は細い迷路のような路地がめぐらされていたようですが、現在では、経済的豊かさを表すように、立派な建物が並んでいます。



マイゼル・シナゴーグ

マイゼル・シナゴーグは、16世紀後半に地区行政責任者であったマイゼルが個人的に建てたものです。



ダビデの星



ガイドブックの地図を見ると、ユダヤ人地区のはずれにカフカの生家と書かれています。探しながら歩いていくと、聖ミクラーシュ教会の裏手にありました。この建物は、現在、博物館になっているようです。



建物の角に、カフカのレリーフが飾られていました。

カフカは、1883年にユダヤ人の子として生まれました、カフカが生きた時代のプラハは、チェコ人、ドイツ人、ユダヤ人が混在していました。カフカは、日常会話はチェコ語を使いましたが、小説はドイツ語で書いたため、ドイツ文学に含まれる小説家ということになっています。



再びユダヤ人地区の中心に戻り、これは旧新シナゴーグ

奥に見えるのは、ユダヤ人地区集会所です。



ユダヤ人地区集会所に、二つの時計が見えますが、上は普通の時計。下はユダヤ式の時計です。ヘブライ文字は右から左に読むので、この時計も逆回りに回転するといいます。現在は6時20分なので、時間と分を表す長針と短信の関係も逆なようです。



旧新シナゴーグは、1270年頃に建てられたヨーロッパで最も古いシナゴーグです。もとは、新シナゴーグと呼ばれていましたが、その後に新しいシナゴーグができてしまったため、現在の名前になっています。

初期のゴシック建築にあたります。



続いて儀式の家

この建物は、1912年に造られ、遺体置場や儀式に使われました。



クラウセンシナゴーグ

ゲットーで最大のシナゴーグで、埋葬組織の拠点として使われました。

この背後に、旧ユダヤ人墓地があるのですが、時間の関係で入れませんでした。また、ユダヤグッズを売る土産物の露店も並んでいましたが、店じまいしていました。



スペインシナゴーグ

プラハに最初に建てられた礼拝所が取り壊された跡に、1868年に建て直されました。外観がスペインのアルハンブラ宮殿に似ていることから名前が付けられています。

ユダヤ人地区をひと通り見学して、旧市街広場に戻ることにしました。朝から歩き続けで、足も限界に近くなってきました。
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