さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
http://iide.hp.infoseek.co.jp/

さすらいの風景 頤和園 その1

2011年11月28日 | 海外旅行
頤和園(いわえん)は、北京市街の北西約15kmにある、西太后縁りの離宮です。

元朝の時代に水源確保のために貯水池が造られ、明の時代には皇室園林としての利用が始まります。1750年、乾隆帝の命により、崇慶皇太后の還暦を祝って清漪園と名付けて昆明湖の掘削と庭園の整備が行われますが、国力の衰退により荒廃し、さらに1960年の第二次アヘン戦争の際には英米の兵によって焼失させられてしまいます。

1884年から1895年にかけて、光緒帝は西太后の隠居所として頤和園の再建を命じます。その造営は費用がかさみ、北洋艦隊の費用を流用したことから、日清戦争において中国の敗戦を招いたともいわれています。頤和園完成後は、西太后の避暑地として利用されました。

頤和園入り口の東宮門。光緒帝の直筆で「頤和園」と書かれた額が掲げられています。

(頤和園の写真は、二度の訪問の際のものが混じっているので、天候がそれぞれ違っています。)



仁壽殿

頤和園の東地区には、光緒帝や皇后、西太后の政治活動や生活のための建物が並んでいます。

この仁壽殿は、西太后が外交や内政を執り行いました。



同じく仁壽殿



徳和園大戯楼

徳和殿は、乾隆帝時代には、側近たちとの詩文茶器が行われた場所です。

その中にある大戯楼は、西太后お気に入りの京劇が演じられた舞台です。正面は三階建てで、地下には井戸も設けられて、演出に水が用いられたといいます。



この大戯楼を見ると、浅田次郎原作の「蒼穹の昴」では、主人公の一人である春児が京劇の難役を見事に演じて西太后のお気に入りになる場面が目に浮かんできます。NHK製作のドラマ「蒼穹の昴」は、韓流ドラマとは違った重厚な作りで、現地ロケも多く行われており、北京訪問時の予習には必見ですが、あまり評判にならなかったのは残念です。



楽壽園

中央には、西太后の宝座があり、西の部屋は寝室、東の部屋は更衣室になっていました。



この建物は、不明。



文昌閣

湖畔に建てられています。



文昌閣を少し離れたところから見たところ。

頤和園は、建物も多く、どこを撮影したものかを思い出すのも大変です。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« さすらいの風景 プラハ そ... | トップ | さすらいの風景 頤和園 その2 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む