さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ブハラ その6

2013年06月11日 | 海外旅行
ラビハウズ周辺の見学を終えてバスに戻り、チョル・ミナルに向かいました。

旧市街地の路地を歩いていくと、チョル・ミナルが現れました。



チョル・ミナルとは、四本のミナレットという意味です。



1807年にトルクメニスタン人の大富豪によって、メドレセの門番小屋として建てられました。メドレセは無くなっていますが、この建物だけが残されています。



建物に上がることができました。ミナレットの上までかと思ったのですが、ミナレットが立ち並ぶテラスの上まででした。



チョル・ミナルの脇には、池が設けられていました。



旧市街地の向こうに、カラーン・ミナレットの塔の先端が見えていました。



ミナレットの頭を飾るブルータイルを間近でみることができました。



細い路地を歩いてバスに戻り、イスマイール・サーマニー廟に向かいました。



朝一に見学したバラハウズ・モスクに戻ってバスを降り、しばらく通りを歩いていくとイスチロハット公園に出ました。

とんがり帽子とドーム屋根が特徴的なチャシュマ・アイユブが見えていました。14世紀から16世紀にかけてドームが付け加えられたため、不統一な形になっています。


チャシュマ・アイユブは、「ヨブの泉」という意味です。水不足に人々が苦しんでいたところ、旧訳聖書に出てくる預言者ヨブが杖でたたいたところ泉が湧き出てきたという伝説によります。現在でも水は湧き出ているようですが、疫病の発生によって水汲みは禁止されているといいます。

日本でも弘法大師が杖でたたくと清水や温泉が湧き出てきたという伝説が多く残されていますが、それと同じなのも面白いですね。



公園を抜けていくと、イスマール・サーマニー廟が現れました。



イスマール・サーマニー廟は、892年から943年にかけて造られたイスラン初期建築様式の廟です。9世紀の終わりにブハラを占領して都としたサーマニー朝のイスマール・サーマニーが父のための廟として建てた霊廟です。後に、彼自身や孫も葬られて王一族の霊廟となりました。

モンゴル来襲でブハラの街が破壊された際には、ほとんどが砂に埋もれて周辺が墓地であったため気づかれずにそのまま残されました。1925年に発掘されて、再発見されました。



レンガを積み上げて、模様を作っています。



積み方を変えるだけで様々な模様を造る技術には素晴らしいものがあります。



この廟を願い事をしながら三周すると適うというので、周ってみました。

これで、ブハラの遺跡観光は終わり、ホテルに戻りました。
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