さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 タキシラ その1

2013年10月16日 | 海外旅行
ガンダーラ遺跡のあるタキシラに向かうと、その手前で道路脇に、「ジョン・ニコルソン碑」が現れました。英国人ジョン・ニコルソンは、第二次シク戦争で土地の部族とともにシク教徒と戦って勝利を収め、この戦いによって英国は全インドの征服を完了しました。アラビアのローレンスと似たような活躍をしていますね。



タキシラの街に到着すると、石屋が多くなりました。

紀元前326年、ペルシアを征服してさらに東進を続けたアレクサンダー大王は、ヒンズークシュの山間で、良く整備された豊かな国に出会いました。征服者を歓待して招き入れた王の名はアンビー、国の名前は「タクシャシラ(切り出した石の都」、すなわちタキシラでした。その名残りで、今でも石彫りが盛んなのでしょうか。アレクサンダー大王は、アンビー王の加勢でこの地方での戦いに勝利し、さらに東進を続けることになりました。

アレクサンドロス大王の東方遠征がきっかけとなって、ギリシア文化と、東方のオリエント文化などが融合してガンダーラ美術が誕生します。インドで生まれた仏教は、仏陀そのものの偶像を崇拝することを当初は否定していましたが、この地で神々の彫刻に長けたギリシャ文明と出会い、仏像を初めて生み出すことになりました。



まずは、ジョーリヤーン遺跡を見学しました。遺跡は丘の上にあり、246段の階段を上ることになりました。タキシラの気温は高く、階段上りで汗が湧いてきました。



ジョウリアン遺跡やこの後で見学するシルカップ遺跡は、世界遺産に認定されていますが、我々のグループ以外の見学者はいませんでした。

ジョウリアン遺跡は、紀元前2世紀のクシャーナ朝に造られた仏教遺跡です。



丘の上には遺跡が広がっており、右手の金網で仕切られているのは、メイン・ストゥーパです。



扉を管理人に開けてもらって、まず、メイン・ストゥーパを見学しました。メイン・ストゥーパは崩壊が進んで形を失っていますが、その周囲には奉納ストゥーパが、所狭しと並んでいます。



奉納ストゥーパには、仏陀や菩薩、象、獅子、天空を支えるアトラスが彫られています。



一つ一つは小さな像ですが、印や本尊の両脇の脇侍など、変化に富んでいます。





獅子でしょうか。



天空を支えるアトラス。ギリシャ文化の影響が現れています。



崩壊の進んだ仏像ですが、腹に開いた穴に指を突っ込むと、病気が治るとかの御利益があると言われているようです。



奉納ストゥーパが沢山並んでいるのですが、雑然としており、倉庫のようにも見えます。



大きな仏像もあるのですが、頭は無くなっています。タキシラの博物館に収納されている物もあるでしょうし、英国博物館や各国に流出してしまっているものもあるようです。



釈迦苦行像も見られます。ラホール美術館の「釈迦苦行像」は、ガンダーラ美術の傑作として有名ですが、今回の旅行とは方向が逆で見学はできません。





奉納者の名前が彫りこまれているようです。



遺跡の東側は、僧院の遺跡が広がっています。中央は池が設けられており、その周囲に様々な用途の部屋が並んでいました。



キッチンや貯蔵室と書かれたプレートが取り付けられています。



僧院の周囲にも幾つかの仏像を見ることができました。頭部はレプリカでしょうか。



これはレプリカでしょうね。



階上に上がれるところがあり、遺跡の全体像を把握することができました。



出口近くに置かれていた仏像。これも頭部はレプリカのようです。盗難の恐れもあって、重要な仏像は、博物館に収納されているようです。



遺跡に通じる道の脇に、大麻が植えられた畑がありました。大麻は、パキスタンっでは普通に自生しており、カラコルムハイウェイ沿いでも良く見ることができました。パキスタンでは、マリファナを吸う人は多いようですが、法律上は、麻薬・大麻類の所持は死刑となっているようです。
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