さすらい人の独り言

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さすらいの風景 フエ その3

2013年03月21日 | 海外旅行
フエの阮朝王宮の中心になる建物は、大和殿です。中国の紫禁城をまねて造ったものですが、規模は小さくなっています。阮朝初代のザーロン帝が造り、その後修復が繰り返されましたが、ベトナム戦争中の1968年のテト攻勢の際に破壊され、1970年に再建されました。

ここで阮朝の歴史を振り返ってみましょう。

阮朝は、1802年から1945年にかけて続いたベトナム最後の王朝です。

中国・明の支配から脱し、チャンパも破ってベトナムを完全に支配した後期黎朝も、無能な王が続いたため、諸侯の対立が続くようになりました。ベトナム南部を支配していた地方王族の広南阮氏は、北部を支配していた鄭氏との勢力争いに負けて、ほとんどの王族が殺害されてしまいます。1777年以後シャムに亡命していた阮氏の生き残りの阮福暎(後のザーロン帝)は、シャム王やフランス人宣教師などの支援を受けて反撃に出て、1802年に首都を中部北方の富春(現在のフエ)に定め、広南阮氏を再興しました。1804年には清の嘉慶帝から越南国王に封ぜられ、ベトナム国(越南国)を正式の国号としました。第2代の明命帝(ミンマン帝)の時代には、清の制度に倣った中央集権化が推進され、科挙制度や省区分の地方制度が整備されました。

嘉隆帝(ザーロン帝)は建国の際にフランス人司教ピニョーの支援を受けていたためフランス人を優遇していましたが、通商要求に対しては一貫して拒否していました。さらに、明命帝(ミンマン帝)の時代になると、次第にフランス人に対する優遇措置も認められなくなり、ヨーロッパ人宣教師の死刑も行われるなど、キリスト教徒迫害が越仏関係を悪化させていきました。

フランスはベトナムへの武力進攻を決意し、両軍の武力衝突が繰り返されました。清朝地方で成立した武装組織の黒旗軍の反撃によってフランス軍を敗北させるといった反撃もありましたが、一年たらずで四名の皇帝が交代するなどの阮朝内部の混乱もあって、1883年に阮朝はフランスの保護国となってフランス領インドシナになってしまいます。フランスによるベトナム統治が開始された後も、阮朝は司法行政権のほかに典礼、恩赦、勲章授与など、名目的な権限のみを与えられていました。

以後もフランスに対する反乱は続きましたが、近代的なフランス軍の前に敗北していき、咸宜帝(八代ハムギ帝)はアルジェリアに流刑となりました。第一次対戦中には、維新帝(十一代ズイタン帝)を擁しての反仏革命が計画されましたが、事前に露見して維新帝はマダカスカル島東部にあるレユニオン島に流刑されました。第二次大戦が起きると、1945年に保大帝(十三代バオダイ帝)は日本軍に協力して反仏クデターを発動して、ベトナム帝国としてベトナムのフランスからの独立を宣言しましたが、日本軍の敗北によって、ホーチミン指導によるベトナム八月革命が起こってしまいます。保大帝は、フエの宮殿で退位式典を行い、ここに143年に及ぶ阮朝は滅亡してしまいました。143年の阮朝の歴史の上で、13人の皇帝が現れたことを考えると、非常に脆弱な王朝であったことが判ります。

ベトナム民主共和国が成立したものの、フランス軍による再植民地化によって、血みどろの抗争が勃発して、第一次インドシナ戦争からベトナム戦争へと続いていくことになります。

ベトナムの阮朝の歴史を振り返ると、日本の明治維新が、綱渡り状態で奇跡的なものであったと思わずにいられません。



大和殿の前には、武官と文官に分かれて整列する際の官位を示す標石が置かれていました。



階段には、龍の飾りが置かれていました。



大和殿は、内部では撮影禁止ですが、外からは撮影できます。玉座が置かれていました。



大和殿を抜けて、奥を眺めたところ。



振り返り見た大和殿。



大和殿の裏庭の中央には、巨大な印璽の模型が置かれていました。



鼎。これは、当時から使われてきたもののようです。



裏庭の左右には、高級官僚の詰所であった左廡、右廡という建物があります。こちらの右廡は、武官の詰所で、現在は王宮内で使われていた生活用品の展示場になっています。



こちらの左廡は、文官用で、記念写真撮影や売店に使われています。



裏庭の奥に進むと、一面の原っぱが広がっていますが、これはベトナム戦争中に建物が焼け落ちてしまったためです。



回廊が一部再建されていました。





いずれは、阮朝王宮内の他の建物は再建されるのでしょうが、このような原っぱもベトナムの歴史上、重要なモニュメントであると思います。



時間が無くて、他にある建物を訪れることができなかったのは残念でした。



東の門から退出しました。



観光用の象が歩いていました。



顕仁門が現れました。この顕仁門は、細かい彫刻が施されていました。



銘板の下に飾らられているのは、魔除けの像でしょうね。



外側からの眺め。



門前置かれている像は、中国風に呼べば唐獅子ですが、仏教伝説ののシンハ(ライオン)に似ていますね。



王宮の塀に沿って歩いて駐車場に戻りました。



城壁には、所々穴が開いていました。これは、ベトナム戦争中のテト攻勢の際の縦断の跡です。

ベトナム戦争を題材にした映画は数多くありますが、スタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」は、フエでの市街戦がクライマックスになっています。

阮朝王宮は、ベトナムの歴史を振り返りながら見学すると、より一層興味深いものになってきます。
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