さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 キャンディ その4

2016年03月31日 | 海外旅行
仏歯寺の本堂の見学を終えて外に出てきましたが、境内には他にも多くの建物が並んでいました。



灯明を捧げる建物も設けられていました。



ここでは、ロウソクではなく、ココナツオイルの灯明が用いられていました。



建物の一つに巨大な像の剥製が展示されていました。

これは、ラージャと呼ばれ、ペラハラ祭りの際に聖なる仏歯を背中に載せて行進する勤めを65歳に亡くなるまでの50年間にわたって務めた象の剥製です。

なお、ラージャというのは、「牙(タスク)を持つ立派な象」に贈られる共通の名前です。姿と同時に、行進の間に周りの見物人の騒音にも動じないで堂々としている品格も備えている必要があります。ある時、このラージャに仏歯を載せたところ、動こうとしなくなったことがあり、調べると容器を止めるベルトが緩んでいたというエピソードを現地ガイドが紹介していました。



脇の壁には、ありし日の写真が飾られていました。



ラージャと並ぶスリランカの第2代大統領になったJ・R・ジャヤワルダナ氏の写真が飾られていました。J・R・ジャヤワルダナ氏は、第二次大戦後の日本の復興に大きな貢献をした恩人として忘れることはできません。

J・R・ジャヤワルダナ氏は、1951年には国連に蔵相として参加し、サンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席しました。その際の会議演説で彼は、「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」と述べ、また、「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という法句経の一節を引用して、セイロン(現スリランカ)は日本に対する賠償請求を放棄する旨の演説を行って各国の賛同を得、日本が国際社会に復帰できる道筋を作りました。

閣僚・首相・大統領として、さらに政界引退後もたびたび日本を訪れて、日本とスリランカの交流に尽力しました。1996年の死去に際しては、献眼を行い、「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、片目は日本の女性に贈られました。



仏歯寺を囲む壁の上から本堂を振り返ったところ。



かつては王宮だった考古学博物館。



向かいの建物では象が飼育されていました。



キャンディ湖の畔にでると、修復工事中でしたが、王家の沐浴場がありました。



王宮であった建物のようです。



入口付近には、お供え用の花を売っていました。



キャンディ湖の美しい眺めが広がっていました。

キャンディ湖は、王朝最後の王になったスリー・ウイクラマ・ラジャシンハによって12年をかけて造られたものです。建設当時は、無駄なものとして評判が悪かったそうですが、現在ではキャンディの景観に無くてはならないものになっています。

海外旅行では、評判の悪い王様が残した建造物が、現在では観光に大いに役立っていることが多くあり、これは歴史の皮肉といえます。

島がありますが、王宮のハーレムになっており、トンネルで王宮とつながっていたといいます。

人ごみをかき分けて、キャンディダンスの会場へと急ぎました。
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