さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 ハノイ その3

2013年03月14日 | 海外旅行
ハノイの旧市街地に続いて、ホーチミン廟を訪れました。ホーチミン廟の前は、広大なバーディン広場になっています。



広場には、ベトナム国旗が掲示されていました。

このバーディン広場では、ホーチミンがベトナム民主共和国の独立宣言を読み上げました。



ホーチミン廟は、1975年に造られ、内部にはホーチミンの遺体がガラスケースに入れられて安置されています。

日本軍の敗北が決定的になった1945年、ホーチミンはベトミン軍を指導してベトナム全土を掌握し、バオ・ダイ帝は退位して日本の傀儡国家となっていた阮朝・ベトナム帝国は終わりました。日本政府が降伏文書に調印して第二次世界大戦が終わった同年9月2日、ホー・チ・ミンはハノイにおいてベトナム独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国が建国されました。

しかし、旧宗主国のフランスをはじめとする諸外国は、ベトナム民主共和国を正統政府とは承認しませんでした。ポツダム協定に基づき、北緯16度線を境に北部には中華民国軍(国民党軍)が、南部にはイギリス軍が、日本軍の武装解除を名目に駐留することになりました。

ホーチミンは、フランスに対し、ベトナムの独立のための交渉を粘り強く行いましたが、交渉は決裂して1946年にインドシナ戦争が勃発しました。この戦争はベトナム軍の勝利に終わってフランス軍はベトナムから撤退しましたが、南部に親米的なベトナム共和国が成立してアメリカは積極的な経済的、軍事的支援を続けることになります。ベトナム共和国の独裁政治に抵抗してベトナム戦争がはじまりますが、ホーチミンは、ベトナム戦争の終結への動きが始まった1969年の9月2日に心臓発作によって亡くなってしまいます。ベトナム戦争は1975年4月30日のサイゴン陥落によって終結し、ベトナムの南北統一が実現しました。

なお、立派な廟が造られて遺体が保存安置されていますが、これは、遺体は火葬して、ベトナムの北・中・南部に分骨して埋葬するようにというホーチミンの遺書とは異なっているようです。



バーディン広場の周囲には、官公庁関係の建物が並んでいました。



ホーチミン廟の入り口には、衛兵が立っていました。



1時間ごとに衛兵交代が行われており、しばらく儀式を見学することになりました。









引き上げる衛兵を見送ってから、裏手にある一柱寺に向かいました。



一柱寺は、ベトナム初めての長期王朝になった李朝の太宗(リー・タイ・トン)が1049年に創建した延祐寺内の楼閣で、一本の柱の上に仏堂を載せた形から、この名前が付けられています。



太宗は、蓮華の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見てから間もなく子供を授かったことから、ハスの花に見立ててこの寺を建立したという伝説が残されています。

何回かの改変が加えられましたが、1954年のインドシナ戦争でフランスがハノイを去る際に延祐寺を爆破していき、1955年に再建されたものの、大木を手に入れることが困難であったためコンクリート製の柱を使った現在の姿になったようです。



お参りしていくことんしました。



ご本尊は、千手観音でしょうか。ここでも、煌びやかな光背が取り付けられていました。



お堂の入り口にも観音象が置かれて、沢山の供物が並んでいました。

ハノイの見学はこれで終わり、飛行機で中部の都市フエに向かいました。
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