伊波一志のひとりごと 「日々のこと、写真のこと、沖縄のこと、四国遍路のこと」

沖縄に生まれ、沖縄で生活するフォトグラファーの雑文と写真のブログ。2008年1/1より歩き遍路道中記更新中。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

髪結いの亭主

2007-06-25 07:14:08 | 日々のこと
沖縄は梅雨明けしました!

皆さんご無沙汰で〜す!!

仕事が忙しくて、1週間以上ブログの更新ができませんでした。(今日はやけに普通のブログっぽい導入だなあ)

フリーなので、たくさんの撮影をしてナンボ、スケジュールが空いていれば、基本的に仕事は断りません。

ただ、生来の怠け者なので、5日も仕事が続くと、とても疲れます(笑)(一般のひとは、皆、最低週に五日は働いてるっつーの!!)

妻や子がなければ、(あんまり働いていなかっただろうな)ってときどき思います。

妻は働いていないので、サボるわけにもいきません。

でも、そのほうが僕にとってはいいのかもしれないですね。

妻はしっかり者で働き者なので、ヘタに稼がれたら、僕は絶対に仕事のペースを落とすと思います。

まちがいなく、『髪結いの亭主』と化すでしょう(笑)

『髪結いの亭主』って知ってますか?

大字林によると、『髪結いの亭主』とは、かせぎのよい髪結いを女房にもつと遊んで暮らせるところから女房の働きで養われている男、だそうです。

南の男は、とくに危ない(笑)

東南アジアを旅してると、『髪結いの亭主』がゴロゴロしてますよ。

ほんと、川原の石ころみたいにゴロゴロ・・・(爆)

もちろん、沖縄もそうです。

特に、僕らが子供のころなんて、仕事もしてないオジイが『髪結いの亭主』状態ならまだしも、嫁以外に数人の女がいるなんて、ざらでした。

金持ちのオヤジが数人の女を囲ってる、ていうんだったら分かりますけどねえ・・・

仕事を一切してない男に数人の女がいるんだから・・・わけわかんないですよ。

そういうオジイたちがよっぽどいい男だったのか、おおらかな時代だったのか・・

ちなみに知ってるオジイの何人かは三線の名人でした。

今で言う、ギタリストみたいなもんですかねえ(笑)

ミュージシャンは、古今東西モテるのか?(笑)

ちょっと、羨ましい・・・

すいません、嘘ついてました。

かなり(笑)、羨ましい!!


最後に、『髪結いの亭主』という言葉の語源?というか元ネタの落語のあらすじでシメたいと思います(「落語ネタの不思議なお話・・・厠火事より)

髪結いの仕事をしている「お崎さん」。

年下の旦那がいる、いわゆる姉さん女房である。

年上の女房というのは若い頃はいいが年増になってくると若い亭主の心変わりが気になってくる。

亭主が自分をいつまでも愛していてくれるのかという女性らしい猜疑心が湧いてくる。

本心を確かめたいが真実を知るのも怖いような気がしている。

そこで叔父にあたる人に相談すると、「亭主が大事にしている茶碗を、羽目板を踏み外したようなふりをして割ってしまえ。その時に怪我をしなかったかとお崎さんの体の事を心配したら本物で、そうではなかったら偽者だ」という策を教えた。

昼間から刺身で酒を飲んでるような亭主なので、試してみることにする。

お崎さんは、働かずに酒を飲んでいる亭主のことを嫌っている訳ではない。

末永く自分のことを大事にしてくれればいいと思っている。

お崎さん、家に帰って叔父さんの指示どおりやってみた。

ガッチャ〜ン(茶碗が割れる音)

亭主 「お、お崎っ・・大丈夫かい?」

あわてる亭主・・・

「あたしの体が大事かい?」というお崎さんに・・・・・・


「あたりめえだろ、おまえに怪我されたら遊んでいて酒が飲めねえ」


お後が宜しいようで・・・

チャンチャン!!



コメント (8)
この記事をはてなブックマークに追加

歓喜しながら、けものみちを行こう!!

2007-06-16 13:03:21 | 日々のこと
「自分自身を信じた瞬間から、どう生きたらいいかがわかる」

含蓄のある言葉でしょ?

ちなみに、byゲーテです。

もちろん、ゲーテなんか読んだことはないのですが、『人生の答えはいつも私の中にある』(アラン・コーエン、KKベストセラーズ)という本を読んでいたら出ていたので、メモってました。

あなたは、自分自身と自分の人生を100%信じることができてますか?

そう!今この瞬間、僕のブログを読んでくれているあなたにたずねています!!

もし、あなたがYESと答えることができるならば、あなたは、輝きに満ちた日々を充実感をもって送っているのでしょうね。

間違いなく、人生の流れに乗ることができていると思われます。

さて、NOと答えたあなた!そこのあなた・・・って、なんか書いてるうちに自己啓発の情報商材の宣伝くさくなってきましたねえ(苦笑)(しかも、綾小路きみまろの喋り口調を思い出してしまった・・・)

そういう意図は毛頭ございませんので、心配しないでください。

話が少し横道にそれましたが、NOと答える人が大多数ではないでしょうか。

かくいう僕も、頭や感覚で分かっているつもりでも、しばしば常識や一般論に引きずられ、自分の本心や直感とちがう方向に踏み出してしまうことがあります。

そういうときは、大概ものごとがうまく流れませんし、本心や直感からの行動ではないので、がんばることや努力が苦闘になってしまいます。

とはいえ、自分を100%信じることは、かなり難しいですよね?

ただ時折、何かをキメたときのように自分自身を100%信じられる瞬間があります。

あたかも、自分が全能の神になったかのように・・・

僕自身の過去を振り返ったとき、そのように100%本心や直感に従った行動は、後々かならずターニングポイントの端緒になっています。

周囲からみると、衝動的・短絡的に見えるかもしれないこれらの行動が、いま現在の自分をつくりあげている、と言い切ることができます。

ターニングポイントにおけるすべての行動に対して後悔したことは一度もありません。

皆さん!!

躊躇することなく、あなたの魂に従いましょう!

常識や一般論は、ぶっ壊しましょう!!

本来の自分に戻りましょう!

今まで過去に存在した誰かではなく、本来の自分自身に・・・

ただし、責任は自分でとってくださいね(笑)

本来の自分自身になるために向かう先に、舗装道路は作られていないかもしれないので・・・

最後に、仏陀の言葉を・・・

「誰もが見たことのないものを見るには、誰も行ったことのないところへ行かなくてはいけない」

さあ!歓喜しながら、けものみちを行こう!!(なんか演劇くさい・・・)



コメント (9)
この記事をはてなブックマークに追加

眩暈(めまい)

2007-06-11 21:31:00 | 沖縄
ねむ〜い写真でしょ?

写真右下あたりにうっすらと見えるのが久高島です。

久高島には、『沖縄文化論』(中公文庫)で天才岡本太郎に「何もないことの眩暈」と云わしめた御嶽があります。

僕は2回久高島に行ったことがありますが、本当に何もない島で写真的にひっかけるものがなく、違う意味でめまいがしました(笑)

霊的意識について全く興味もなく、写真家的にいっても野心が先にたつ、そういう時期でした。

己を空っぽにして、繊細な何かを感じながら、そこに立ってみる、という感覚はまるでなかったように思われます。

写真が撮れるわけはありません。

今行けば、写真が撮れるでしょうか?

情けない話、まだ、撮れる自信がないです。

5年間、自分の中で気持ちを寝かしている状態かもしれません。

「気持ちが熟成してるかも」という淡い期待はありますが、まだまだ手ごわい被写体であると直感しています。

久高島と自分との距離感と、自分の中での濃度や焦点に近いイメージの写真だったので、ブログの冒頭に掲載してみました。

写真を注視してみてください!

めまいがしてきましたか?

もっともっとよく見て!!

うん?何?

眠くなってきた?

だんだんねむ〜くなってきた?


Good Night!! baby!!


コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

天皇陛下と皇后陛下の写真をとっかかりにしてオキナワについて考えた

2007-06-04 17:40:53 | 日々のこと
僕はオキナワンだけど、特別、天皇が嫌いとか、天皇制に批判的だとか、そういう類の感情は一切ない。

全く天皇に関して知識がないわけでもなく、興味がないわけでもない。

もちろん、断じて、右翼ではない(笑)

むしろ、大嫌いだ!

高校時代、パチンコに大負けしたある日、イライラして街を歩いていたら、ひとの神経を逆撫でするボリュームで右翼の街宣車が通り過ぎたので、石を投げて逃げたことがある(爆)

それくらい、嫌いだ。(ていうか、文献等をみると、右翼のトップの人間たちが論理的で賢いのは分かるが下っ端の連中が嫌いなのだ。ちなみに、石を投げたのは、ただの八つ当たりだ)

右翼でないからといって、左翼でもない。

カタカナ表記の”サヨク”は、もっとありえない。

沖縄の基地に賛成なわけはないし、当然、戦争や紛争には内容のいかんを問わず反対であるが、むかしながらの反対運動とかは嫌いだ。

「じゃあ、どうすれば基地はなくなるのだ?」と問われても困る。

複雑な問題に対して明快に答える知性もないし、勉強しようという根気も意志もないし、暴れたくなるほど貧乏でもない(笑)

この手のトピックに対しては、いつも感覚的に考える。

論理的な答えを導き出す前段階の材料(知識や体験)がないからだ。

基地に関していえば、具体的に、現実的に少しづつ縮小していけばよいのではないかと思う。

個々人の内面で捉えると、ひとりひとりが日常の闘争、対他者の闘争をやめないのに、「何が戦争反対、基地反対だよ!」って笑ってしまう。

「まずは、てめえの内面の戦争を終結させて、平和になれよ」と思う。(当然、自分自身に向かってもつっこんでますが・・・)

僕の父母も、普天間基地の近くに住んでいるが、父が辺野古関係のニュース(辺野古は、現在普天間基地の移転先とされている地区で反対派の動向がたびたび映像で流れる)を見ながら、ときどき、ひとり言のようにブツブツ言ってるコメントがかなり下品でイケている。

「ジュゴンとオレとどっちが大事なんだ!!早く移せばいいのに、このバカたちが!!」

メチャメチャ自己中心的だ(笑)

田舎のふつうのオッサンだが、一応世間的には知的職業人とみなされているひとの発言である。

環境とか全く眼中にない(苦笑)

全く環境について考えないのもどうかと思うが、確かに、呪文のように「ジュゴン、ジュゴン」ばっかり言ってる輩も何だかなあ、って気もする。

イデオロギーとか思想とかどうでもいいから、バランスよく、無理なく、少しづつ解決できればベターだと思うのだが・・・

ちなみに、掲載した写真は、2,3年前まで妻の実家に掛けられていた天皇陛下と皇后陛下の写真入りの額である。

妻の亡くなったおじいさんが飾っていたものらしい。

僕はおじいさんと会ったこともないので、どういう気持ちで、どういう経緯で飾っていたのか、今となっては分からない。

おじいさんは、日本復帰前は琉球政府の役人だったそうなので、割と親方日の丸的な考え方のひとだったのか、とりあえずどこかからいただいた写真を建前上飾ったのか、いろいろ想像するが、実際はどうだったのだろう。

とても興味深い。


出どころは覚えてないが、数年前、ちょっと考えさせられてしまうエピソードを目にした。

戦後間もない頃、沖縄のオバアに、誰かがこうたずねたそうである。

「オバア〜、ウチナーは唐世、ヤマトウー世、アメリカー世っていろいろな国に統治されてきたけど、どの世が一番いいとおもうねえー?」

「アメリカー世が一番さあ〜」(即答したらしい)

「なんでねえ?」

すると、右手でゴハンを口に入れる仕草をしながら、

「人間これが一番大事! アメリカー世になってからゴハンを腹いっぱい食べられるし、缶詰なんかで肉も食べられるさあ」

って答えたそうである。

単純明快な答えだ。

さすが沖縄のオバア!

ある意味、「まず人間は生きることが大事である」ということを教えてくれる深い言葉だと思う・・・

ただ反面、こういう庶民の素朴な感覚が、アメリカひいては復帰後の日本政府に利用されてきたのだろうな、というやるせない感情も湧きあがってきた。

「沖縄への経済援助等それに類するものは、すべてシャブみたいなものだ」というひともいるくらいだ。

人間は一度「楽(らく)」を覚えてしまうと、「誇り」を押入れにしまいこんでしまうのかもしれない。

腹がいっぱいになったら、少しは次の段階について考えてみようか・・・

今日は、ちょっぴりカタイお話をしてみました。













コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

腰の深く曲がったおばあさん

2007-05-31 16:17:55 | 日々のこと
僕は、腰の曲がった、深く曲がったおばあさんが好きだ。

口がさけてもキレイとは言わないが、存在感や深みがあり、とても美しいと感じる。

むかしは、「このおばあさんは、魔法を使えるんじゃないだろうか」と錯覚するほど、グッドルッキングなひともいた。

でも、最近では、腰の曲がったおばあさんすらあまり見かけなくなった気がする。

今の60代、70代の女性は、「おばあさん!」って声をかけるのがはばかられるくらいオシャレで若く見える方が多い。

そう考えると

皆、しぶとく女をキープしようと悪あがき・・・失敬、キープしようとする乙女心が感じられる。


なぜ腰の曲がったおばあさんが少なくなったのか?

ちょっと調べてみた。

医学的な見地からいうと、腰の曲がる直接的な原因は、骨粗しょう症のようである。

骨粗しょう症は、更年期の後、骨を守る働きのある女性ホルモンの減少により惹き起こされるものらしい。

てことは、逆にいえば、女性ホルモンの減少を食い止め、骨粗しょう症にならなければ、腰が曲がることはないのだ。

栄養状態がいい現代では、カルシウムもむかしに比べれば、足りているはずだし、子供もむかしみたいに、5人も6人も産まないだろうから、相対的に骨の状態も良いはずだ。

加えて、僕の想像だが、むかしよく見た腰が曲がったおばあさんたちは、長期にわたる畑仕事や草刈などをしていたのではなかろうか。

現在日本人は、第1次産業に従事する人口はそれほど多くはないし、第1次産業に従事していたとしても、ほとんどが機械による作業のはずだ。

腰を曲げた状態で、なんらかの作業をする機会はめっきり減っているにちがいない。

そりゃあ、腰の曲がったおばあさんも減るはずだ。

じゃあ、女性ホルモンの減少をおさえるには、どうしているのか?

もちろん・・・

それは・・・

恋である(笑)

半分冗談だが、まるっきり間違いではないと思う。

恋はしてないにしても、皆、現役の女なのだ!

ある70代の女優さんがテレビで、「おんなは70からが旬よ!」って言ってたのだが、僕の記憶にまちがいがなければ、この方は60代のときは「60代がおんなざかりよ!」って言ってた気がするのだが・・・

てめえがいつも中心というか、愛すべきエゴイストというか、ここまでくれば拍手喝采いうことなし、むしろ立派である。

こういう意識のもちかたが、若さと健康、ひいては長生きの秘訣かもしれない。

なんか、徐々に腰が曲がっていなくて若さを保とう、女でいようと頑張っているおばあさんの味方みたいになってきた(笑)

まっいいか。どっちでもいいや(笑)

うちの母も含め、むかしだったら「おばあさん」と言われたかもしれないすべての女性たちよ!!

がんばって、がんばって、がんばって!!!

がんばって若さと健康を維持してくださいね。(ついには、応援団かよ!!)


最後に、10数年前に世界最高齢(120歳)で、当時とても有名だったおじいさんである、泉重千代さんのエピソードでシメたい。

エピソードをきくと、このじいさんも、いかにてめえ中心で生きていたかがうかがえる。

重千代さんがご存命のころ、あるインタビュアーが、こうたずねたそうである。

「重千代さんの好きなタイプの女性は、どんな方ですか?」

「はぁー?」

「す・き・な・タ・イ・プ・の・じょ・せい・は?」

「ああー」

少し考えたのち、重千代さんは、こう答えたそうである。



「年上!」


いねーよ!!!!

世界中さがしても、ぜってーいねえよ!!!!

ジャンジャン。♪♪





コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

大原とタイガージェット・シン

2007-05-28 12:27:40 | 日々のこと

友人、大原広軌が主(嫁の由軌子ちゃんとどっちが強いかは別にして、とりあえず主としておきます・・・)の大原家がホームページを開設しました!

5/30発売が決定した「お父さんは神経症(大原さんちのムスコたち)」のPRもかねて、文芸春秋のHPの中にあります。

内容は由軌子さんの4コママンガ(書き下ろし)や、大原広軌の神経症コラム「神経症ノイローゼ」(笑)(キチガイクレイジーみたいなかんじ? 転じて、ヒクソン・グレイシーみたいな、すごく強そうなかんじ?)等々で構成されています。

文春サイドの、「きちんとこの本を売っていきたい」という意向から企画されたようで、いかに文春が力を入れているのかがうかがえます。

ぜひぜひ、アクセスしてみてください!!

http://www.bunshun.co.jp/ohara/top.htm

あと、もちろん本の方もよろしくお願いします。

おもしろさは、僕が保証します。


ところで、大原のHP内のコラムを読んでいる途中でふと大原と往年の名悪役レスラーであるタイガージェット・シンがダブってきた。

大原の徹底した「神経症ネタ」がシンの必殺技「コブラクロー」(相手ののど仏を2本の指で締め付けるだけの単純な技なのだが、シンの全盛期にはものすごく説得力があったもんだ)が重なって見えてきたのである。

シンはグランドレスリング等のオーソッドックスな動きもでき、実際はテクニシャンであった。

しかし、かなりクレバーだったのであろう。

おそらく、ベビーフェイスのアントニオ猪木とヒールである自らの対立構図を際立たせるため、あえてコブラクローと、凶器攻撃や急所攻撃などの反則攻撃ばっかり使っていたと思われる。

コブラクローもレフリーから反則カウントをとられていたから(プロレスでは5カウント以内に反則をやめないと反則負けとなる。ちなみにシンは5カウントをとられる前に3カウントでフォール勝ちしていた(爆))、すべて繰り出す技は反則のようなものであった。(大原のコラムのタイトル「神経症ノイローゼ」もまさにコブラクローだと思う(笑))

大原も、普段は実に常識もあり誠実な男で(これって、営業妨害?)、神経症ネタ以外に彼から出てくるおもしろい話や知識は山のようにある。

つまり、シンのようにキャラを自分でプロデュースし、コントロールしているのである。(酒のんで酔っ払うと、まんま狂ってることも多いが・・・(笑))

おそらく、彼は「神経症ネタ」を骨の髄までシャブりつくすつもりだ(爆)


冗談はさておき、第1回目のコラムのエピソードもかなり笑えたので、ぜひ、のぞきにいってやってください。

ていうか、本当は、大原のコラムよりも、僕のブログよりも、大原と僕が飲み屋で酔っ払ったときのフリートークの方が、よっぽどおもしろいと思いますよ。(笑)

ほんと、見せてあげたい!!(本気にしないでくださいね。たぶんお互い酔っ払ってグダグダで自分らだけがおもしろいのでしょうから・・・)
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

墓標

2007-05-25 19:48:39 | 写真
ほんと失礼な話、素でひとんちが墓標に見えてくることがあります。

悪気はありません(笑)

被写体にとっては、「めっかっちゃった!!」って感じでしょうか。

人間は、まんま撮ったら大変なことになるような気がします。

皆、いやがると思います。

誰もが、暴かれたくない?

そうかもしれません。

真実なんて誰も望んじゃいない!

ちょっとノッケてかわいく、かっこよく撮ればいいのです。

真実なんて、ありがた迷惑以外の何者でもありません。

真実を暴かれるなんて、実際に素っ裸になるより恥ずかしくてイヤですね。

真実なんて、こっそり自分だけで、風呂場で見るものです。

他人から見たら、真実なんて下品すぎます。


P.S. また、訳わかんないこと書いてブログのIP数を減らしそうだ(爆)

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

日常の中の非日常

2007-05-22 21:12:38 | 写真
「結局、日常の中にこそ非日常が隠れていて、それを見つけ出すのがオイラとか伊波ちゃんの仕事なんだよねー☆」

友人が僕の写真を見て、メールの中で語った感想である。

彼は、小説家だ。

日本語という日本人にとっての共通の記号を駆使して、日常の中に隠れた非日常を表現するために、文章を構築していく。

一方、僕は写真家だ。

僕は、無意識で切り取った日常から隠れた非日常を、見つけ出す。

そして、思考のふるいにかけた後、最後まで残ったお気に入りの非日常だけを、選択する。


・・・なんて偉そうなことを書いたが、最近は写真を撮っても、根気よく考えるという作業を怠っていた。

写真はとりあえずシャッターを押せば写ってしまうので、ついつい感覚的な評価で終わってしまうことが多い。(なんかいい、とか好きとか嫌いとか・・・)

友人の言葉で、なぜ僕が写真を表現手段もしくは表現のためのツールとして選んだのか、改めて考えさせられた。

かっこよく言えば、原点を再認識させられたとでも言えようか。

辞書では、「日常」とはつねひごろ、ふだん、平生、「非日常」とはふだんの生活とは大きくかけ離れていること、とあった。

掲載の写真は、妻の実家の応接間である。

ふだんは、義父が本を読んだり、彼の孫たちが遊ぶ場所となっている。

ちなみに、ここは、僕が妻と結婚する際、義父と義母に初めて挨拶をした場所でもある。

果たして、この一枚の写真から「非日常」すなはち、ふだんの生活とは大きくかけ離れた何かが立ち上がっているのであろうか・・・
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

アンダルシアの白い村、カサレス

2007-05-21 20:28:18 | 
スペイン、アンダルシア地方のカサレスという村です。

1998年12月24日から3日間滞在しました。

海岸沿いの町エステポナから、バスで40分ほどかかります。

ただし、エステポナからカサレスへのバスは1日3本しか出ていません。

僕は、その日、タイミングが悪く、1本目のバスが出発した直後にエステポナのバスターミナルに到着してしまいました。

1本逃してしまうと、3時間ほど次のバスを待たなければなりません。

しょうがないので、読書をしながら、次のバスを待ちました。

このように交通の便がよくないので、観光客はあまりみかけません。

偶然かもしれませんが、滞在中も僕以外の観光客はみかけませんでした。

これは本当に奇跡的なことだったのかもしれません。

今や、どこ行ったって日本人がいるし、ましてや観光客がいないなんて考えられません!

この稀な状況は、クリスマスだったことも関係していると思います。

欧米人にとって、クリスマスっていうのは、日本人にとっての正月、ウチナーンチュにとっての旧盆(笑)みたいなもので、旅なんかしてる場合じゃないんでしょう。

また、日本人にとってのクリスマスというのは、恋人たちの祭典みたいなものでしょうから・・・


カサレスの村のクリスマスは、とても静かです。

村のひとびとは、家族ごとに教会のミサに出席していました。

村の商店はすべて閉まっています。

僕は日が暮れるまで散歩をし、ホステルに戻りました。

ホステルの1階にあるBAR(スペイン語ではバルという)でしか夕食を食べることができないので、部屋で一休みした後、1階まで降りていきました。

バルには5,6人の村人たちがいて、早くもビールやワインでできあがり、楽しそうに談笑していました。

とりあえず、「オラ!」と挨拶をし、僕もカウンターでスペインのお惣菜をつまみにビールを飲み始めました。

村人やマスターと、お互いつたない英語でシンプルな会話を楽しみました。

意味があまり通じなくても、僕も彼らもとりあえず笑っていました。

酔いも手伝ってでしょうが、なぜかそこの空間にいると、楽しくなるのです。

そのうち、村人のひとりがギターを持ち出し、曲を弾きはじめると、ひとり、ふたりと立ち上がり、フラメンコ(らしきもの?)を踊りだしました。

今度はマスターがカウンターから出てきて、手を叩きながら、歌を歌い始めます。

僕も皆につられて立ち上がってしまいました!

踊れないのに・・・(笑)

バルでの小さな祭りは、深夜まで続きました。

その夜は、かたわらに愛を語る(笑)恋人もいないのに(おっさんとおばさんばっかりでした)、人生で一番楽しいクリスマスとなりました。

次にこの村を訪れるときは、「大切な女(ひと)を連れて来よう!」、僕は心の中で誓いました。

まだ誓いは実現していませんが、いつか家族でカサレスに行こうと思います。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

写神

2007-05-17 22:58:12 | 写真
ときどき、ノーファインダーでシャッターを切ります。

この一枚も、車を運転しながら、露出を勘で合わせ、パンフォーカスして、右手で撮影しました。

被写体は、近所の打ちっぱなしゴルフ練習場です。

こうやって思考を経由させずに、写真を撮ると、まれにおもしろいのが撮れます。

滅多に撮れないので、フィルムの無駄使いだと思いますが、何が写ってるのか現像するまで分からないので、あがったネガを見るときはワクワク、ドキドキ・・・

デジカメでは、できない遊びですね。

シャッターを押してから、絵をみるまでの時間が、何故か楽しいんですよ。

ただの失敗作がならんでるだけ、ってことが多いんですが、その分おもしろいコマを発見したときは、メチャメチャうれしいです。

そういうときに僕はこう言います。

「写神が降りてきた!!」

もちろん、「写神」というのは、僕の造語なんですが、本当に神が降りてきたんじゃないかって思うときがあります。

こういうのも、写真をやめられない理由のひとつなんでしょうかね?

コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加