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ある秋の日の対話

2017年07月06日 22時22分04秒 | 日記
「ある秋の日の対話」ー 2017年7月6日

秋の長雨もすぎたある日、男は南早稲田の駅を降りると、まだ木々の緑が残る辻通りを歩いて、木立の中の家に立ち、格子ガラスの玄関を叩いた。奥からハイと女の声がして家の玄関を開けた。
「マアお久居ぶりです」と女が挨拶すると、男はぶっきら棒に、「先生居ますか?」とだけ声を出した。

「どうぞ上がって下さい」と、女は言うと、靴を脱いでいる男を置いて、自分が先に進み南に面した八畳二間程ある主人の書斎戸を開けて、「あなた寺田さんが見えましたよ」と云い於いて自分は台所の方に下がった。

男は玄関の靴脱ぎで靴を揃えると、長い廊下を歩き、主人の部屋の洒落たガラス戸を開けた。ガラス戸には赤や緑の色ガラスを使った風景画や、花が描かれて美しい色合いを醸し出している。「お邪魔します」、鞄と手にした帽子を絨毯の置いて、背広の上着を脱いで座った。

主人ー「どうしてる?元気でやってますか?」と、男の顔を見ながら声をかけた。
主人は、「何かあったのだな?」と思いながらも、この男がこのあいだ、俳句雑誌「ホトトギス」に書いた随筆を話題にした。「随筆を読んだよ、気持ちに沁みたよ」と話しの水を向けた。

男ー いや、先生の初小説は人気が有って結構です。友人達の有様を猫が見た風景ですかね。先生らしいや。僕の「団栗」は、高浜さんに謂われて、家内の追善の意味でも、いまの気持ちを書いて置こうと思いましてね。「ホトトギス」は、俳句の雑誌だと聞きましたが、小説や随筆まで載せるとはね。実際、私的な同人誌の雑誌だから、むしろ題材は自由に載せられるのは好いです。

主人ー いずれ大学は辞めて小説で行こうと思う。自信は無いが、嫌々ながら大学で講義をするよりは気持ちに合う。多難な事かも知れない。まあ先は分らないが、これも自分の天命かも知れぬと覚悟はしているよ。

男ー ぼくの方はですね、諸事雑多と色々ですが、いまの職場の同僚が表面はお上手を言い、陰に回っては論文の内容のケチをつける、それでいて ぼくと面と向かうと涼しい顔をしている。結局そういう中傷の話は、他のルートを回ってぼくの所にまで達するのだが、もう何度こんな事が有ったか、先生には今まで言わなかったけれど、意図的に足を引っ張るのは、ぼくだって人の子だから度々のそういう陰湿な中傷には心中激昂もする事がある。

主人ー 職場の具体的な内容は知らぬが、それでも僕も構図は分る。寺田君、世の中のヒョウロク玉を相手にして居ても、埒は明かんぞ!。世の中には、馬鹿野郎が雲蚊の如くいる物なんだ、こいつ等を相手にしていたら、中身のある仕事など出来やしないのだ!。 自分にも、嫌な事は多々あるが、勉強をしないので叱った生徒が、その一週間後に滝壷に投身したのでは、まったく寝覚めが悪いじゃないか。これは何も架空の事はないぞ、実際の話なんだ。それに五高の先輩でもある小泉さんを追い出した様に言われてしんどかった。

男ー ハハ‥先生に愚痴を言いに来たわけではないので…

主人ー いや構わんよ、ドンドン言いなさい、ぼくも言うから。ところで、この前に話しを聞いた、あの研究はその後どうなった。その物質の結晶の構造を明らかにするとか云うやつだ。

男ー X線の応用ですね。やってますよ。電圧をかけた電子を銅の標的にぶち当てると、そのとき急に停止した電子のエネルギーが波長の短い電磁波として発生する、それは相当短い波長で、大抵のものは透過してしまう。密度の高いものでようやく停止できる、例えば鉛のような比重の重いものです。その透過性を使って我々の周りの物質に当てて、その構造がどうなっているのか知ろうというものです。

主人ー 面白そうだ。それで、そのX線を物に当てると、物が原子が組んである。原子で出来ているのが分るのかい?その線には害はないのか?

男ー 今迄は単に想像で、仮想的な原子の構造や組み方などが考えられていましたが、それが現実に分かる可能性が有ります。身近にある、例えば食塩の構造はどうなっているか?とか、砂糖の構造はとか?、それは、遣る事沢山有りますよ。X線の害は、当面重大な害があるとは思えないのですが、長期的にはどうなのか?分らないという事ですかね。この目に見えない光線は物質を透過してしまい、乾板に何かの影を残す。それを調べれば、物質の構造がどうなっているのか分る。それで原子の組み方が判断出来るのではと思い実験をやっている訳です。目に見えない世界を知るには、このX線は有効です。肉は透過し骨は密度が高いから乾板には白く出ます。将来、将来はこのX線が、人間の病変を探る医療に応用されるだろうとフト思いますね。

主人ー 直接には目に見えない極微の世界だからな、それで構造が分れば、物がどうなのかも、元素がどう出来ているか、比較が出来ると云う事だな。君がやっている様な事をして居る人は他にもいるのかな?

男ー たぶん、そりや沢山居ますよ、X線はドイツで発見されました。発見者はW・レントゲンという人です。この透過性を使って、物の構造を知ろうとする人は他にもいると思う。これも競争です。

主人ー 科学は、そういう面白い世界が沢山あるからね、世の中はまるで謎の塊だ。未知のものだらけだからな。然し競争となると、面白いだけでは済まないようだな。やはり優先権と云うものがあるのかね?

男ー 科学では、どんな発見もアイデアでも、先に論文発表した方がプライオリティを、詰まり「優先権」を持つ。それが科学界の不文律です。それは一日でも早い方が優先権を持つのです。外国には大きな研究所が有ります、例えば、英国にはケンブリッジにキャベンディシュ研究所という組織があり、研究員がそこで資金を貰い、好きな研究をしているし、独国にはカイザーウイルヘルム協会というのが有って同じような事をしています。仏国にも同様なものがある。今の日本には、彼等の組織に相当するものがない。大河内正敏さんなどが、日本にも研究組織が必要だと言っているので、いつかは出来るでしょう。然し資金はどうするのか?それが問題だ。

主人ー 組織を据えるとなれば大きな資金が必要だろう、しかし日本としても、科学的に独立し国力の隆盛を図るには、そんな組織が是非とも要るな。発明や発見で資金を宛がうことが出来れば好いが。

*-ここに主人の奥方が、部屋にお菓子とコーヒーを持って入って来る。

奥方ー マア、マア、寺田さん、ここの所、見えないので、海外にでも行かれたのかと思いましたわ。ホントに、ご立派に成られて…、寺田さんというと、あたしは未だ貴方がまだ五高の学生だった頃をいつも思い出しますわ、最近は俳句は作っていらして?

男ー もちろん作っていますよ、俳句は先生に教えられた当時から興味が湧きましたから、なかなか深いものです。これは極めるのは容易な事ではありませんね。

奥方ー あなたがが来て下さると、主人は、その後々まで機嫌が好いのですよ。度々来てくださると助かりますわ(笑)。それから「ホトトギス」の随筆読みましたわ、本当に残念でしたね。あたし胸が締め付けられる思いがしました。寺田さん今日はどうぞゆっくりなさっていってください。

*少し話して奥方は戸を開けて台所に下がった。

主人― (熱いコーヒーを飲みながら)、折角来たんだ、どうだ、今日はゆっくりと話しながら夕めしでも食って行かんか?

男ー (同じくコーヒーをすすりながら)先生の創作の邪魔になるのではないですか?

主人ー 書くことも大切だが、取材も同じく重要なのだ。

男ー 取材って、ぼくのことですか?(笑)

主人ー 君のような話題を持って来る人は、他に居ないんだよ(笑)、話は面白いし、今までの、君の一生も面白い、いずれこの事をモチーフにして書いてみたいが、好いだろう?

男ー どうぞ何なりと書いてください(笑)、なにも面白そうなことは無いと思いますが…


主人ー 出会いも面白いものだったな。寺田が五高の二年生の時の事だったかな?、確か、試験で落第点を取った生徒の加点を頼みに、2~3人で来た中の一人だった。僕は点をやるとも、やらないとも言わなかったが、結局は落第はさせなかったよ。勉強しない生徒は容赦しないつもりなのだがね。

男ー あれは恒例でしたが、あの時M君のことで、僕も頼まれて断れなかった。じっさいMは、真面目で普段なら落第点を取る様な男ではない。あのとき母親の病気で田舎に帰り試験前のふた月近く、家の用事や看病に当たっていた。それで先生の授業には出ていないはずです。

主人ー まあ仕方がない、それで、ぼくと君は知り合いになったのだから、怪我の功名と言うべきものだ。落第も好い物なのだよ。そういう経験と言うものは、人生で思いがけない関係を創るものなんだからな。

男ー 先生も落第したのですか?(笑)

主人ー そりゃ~したよ!、病気で学年末の試験が受けられなかったのだ。今なら、再試験してもらえば好いと、謂う者も居るが、自分は一層のこと落第しょうと思った。落第はしない方が変じゃないか?おかしいんじゃないか?、落第しない方が損をしているぞ、寺田(笑)。君はズーッと、秀才で通したのだから、そんな経験はなかろうが、落第は金もかかるし、世間的にも外分が悪かろう。でもな寺田、人の出会いと別れは、落第の様な、思いがけない偶然が大きな役割をするんだよ。実際にぼくがそうだ、落第したお蔭で米山保三郎という面白い男にも出会ったし、人生で文学を選択する切っ掛けにもなった。米山は若くして死んでしまったが、もしも生きていれば傑物になっただろう。文学ではまともに食えないだろうというのが世間の常識だが、しかし、これは後世に大きな影響を持つんだと米山は言ったよ。それはそうだ、どんな偉大な哲学や思想だって一般人は一生の間にどれだけ読むか?学者や奇人だけだ。だが文学は違う、これはどんな連中だって、少なからず面白いと評判の物は金を出してまで読むんだよ。

男ー およそ科学が未来を創るというのは知的世界では常識ですが、確かに文学は人間の日常を活写しますから、それは古代から引き継いできた、日本の古典文学と同様でこれからも残るでしょう。文学で食ってゆくのは大変だと思います。何か二股を掛けて生活費を稼ぐには生業を持ったうえで文学を趣味に遣るなら好いんですが、文学だけで食おうとなるとね。先生から薫陶を受けた以上、ぼくも研究の合間には、随筆を書いてゆこうと決意しています。

「猫」は、実に傑作でした。飼い猫の視点は将に斬新だ、然しこれからどうします?、いつも猫の様なものを書き続けるわけにはゆきませんよ。

主人ー そうなんだ、温めている物、思い付く物は幾つかある。この世界にも同じ連中がいる、例えば露伴や鴎外だ、露伴はどうやって行くのか知らんが、鴎外は軍医と言う生業を持って居る。そりゃ生業の合間に書くのは大変だろうが、それでも結構何とかなる。困るのは書けなくなった時だ、その時は食うに困る。

男ー 種はいくらでも有るハズです。ただ男子一生の仕事とするには、食う為だけのこと、それ以外の何かが無くては。今は実験物理をやっていますが、何を専攻するか迷っている時、一層「心理学」でもやろうかと考えた事もあるんです。

主人ー アアそれなら自分も最初は「建築」でもやろうかなと思ったよ、心理学も面白い、俺も理科の方に進めば、こんな事には成らなかったかな? 心理学は単に意識や精神と言うものの発生と構造機能を探求するだけでなく人間の心の病理も扱うのだろうな?
そうすると日本では、「心とか悟り」とかいう場合には、仏教を抜きにしては何も見通しが附かない。大學時代に鎌倉の寺で参禅した。だが俺の悩みの根源を、坊主は少しも理解しなかった。

男ー 本来の仏教って、元々は心理学では無いのですか? どうもそう思いますよ、唯識にしたって中観にしても、それは心理分析ではないですか?かなり日常感覚を超えた、一種の記憶の下に降りてゆくような修行です。詰まるところ座禅は、そんな修行になる。人間の深層意識探求は仏教の常套手段だから、少し乱暴だけど。

主人ー 仏典、読んだ事あるのかい?

男ー いや改まって読んだ事は有りませんが、解説を幾らか読んでみると「八識」というのがあります。眼、耳、鼻、舌、身、意識、末那識、阿頼耶識、の八つです。この様に唯識では心を分類している。最初の六つまでは、感覚神経系で、外の世界からの情報を得るためのものです。しかし、あとの二つは意識には直接掛からない、未知のもので、我々の日常の思念の世界を成り立たせる底辺にあると思われているものです。むかしこの世界を悟れではなくて、数量化、或いは現象化出来ないかな?と思い、これは心理学をやってみたいと考えた。

主人ー 成る程な、そうか面白い。もしかすると文学と言うのは、その底辺の世界と現実の娑婆をつなぐものかもしれないな。それが出来れば文学的には成功という事だろう。そうだな、そう、その己を突き動かす得体のしれないその意識と末那識を繋ぐものを明らかにできれば好しとすべきだ。

男ー 仏教は、勿論それだけではないですが、たぶん初期は心理学に近い立場だったのでしょう。仏教の始祖である仏陀ですか?釈尊というのか?パーリ語ではゴータマですね。彼が始めた当時は、彼以前にも心理学探求の先人が居た。六師外道と言う名称で謂われている人達です。彼らはどんな人たちであったのか?面白いです。ギリシャ文明で云う所のソクラテス以前の哲学者という分類が六師外道と酷似していると思います。彼らは瞑想の実践から深層の真実を把握した。これは現在の心理学の探求レベルを超えている。偉大な事です。心理学は巨大な設備や高価な実験道具を必要とはしない。瞑想と集中力だけです。それがどんなに大変な事か!。もう一度その心理現象の根底を探求し再現したい。

主人ー 寺田は坊主にでもなる気かね?(笑)

男ー 坊主になる気はありませんが(笑)古い仏典は、昔の人間が初めてこの世の意味を探求した記録の一つですから、然も真剣に心と謂う現象の批評と分析の集大成ですからね。心理学の参考の一つには成ると思いますよ。但し、かなり変な分析もあります。地獄や極楽もこの古い原始仏教時代の概念には無いんですね。

主人ー ほお~、それはいつから出来たのかね?

男ー さあ~、生まれた以上は万物は死ぬわけであり、それは「無常」であるわけです。永遠に存在するものはこの世界には存在しない。今の生活形態が死後も続くという先入観が抜けなかった為に、来世という事が考え出され、そしてこの世の中で正しい生き方をした者は極楽に、悪にまみれた生き方をした者は地獄に、という考え方で創り出されたのが、あの世観ではないですかね。

主人ー 人間が始まって以来、そんな事が繰り返されて来たんだな。それはそうと次の小説だが、自分が東京から愛媛の松山中学で暮らした一年間のことを書いてみる積もりだ。あのときは全く出鱈目だった。生徒からして小生意気で弱ったな。

男ー  まったく不思議な縁ですね、この世のランダムと必然性は人の智慧を越えている。世の中は自然に無秩序の移行するのが普通です、それは時間の進行と共にあらわれる必然性だ。エントロピーと言う熱力学の分野の基本法則です。このエントロピーと謂うのが、この宇宙の形成と並行している。この分野は時間の現象と絡んで、今後の物理学の根幹をなす興味深い世界です。


主人ー そのエントロピーというのは具体的には何なのだね?。


男ー そうですね、形あるものが壊れて、バラバラの無秩序になるというのが自然の流れで、それが時間軸の必然性だという事です。人は、この世の因果性を言うが、大宇宙の始まりでは因果性は存在しなかった。因果性は時間の流れが出来てからの話です。この宇宙が無から生成するとき、時間も空間も、そして物質も存在し無かったのだから、因果性は有るはずがない。無と言っても先生、空っぽの事では無いんです。すべて、ある時、無の宇宙がシャボン玉の様に急激に拡大を始めた。そして物質が生まれ時間と空間が生まれた。順番を云えば、まず時空が生まれて、次に物質が生まれた。その物質を司る力は、重力が次に強い力、つまり原子核を纏めて居る力が生まれ、次に、弱い力つまり、原子核を変換する力が生まれた、次に我々の最も身近な電気力磁気力がうまれた。その順番は、宇宙の進化を示している。この過程の中からわれわれ人間も生まれて来た、という事です。

主人ー バラバラになる方はエントロピーだとしても、じゃ、形を創る力の方はどうなんだい?、何だか因果性の世界のようで面白いな。俺も理科を選ばずに失敗したかな?(笑)


* 秋の日は暮れるのが早い、男が主人の家を訪ねて二時間もすぎると、日は西に傾き外は急に暮れだした。男は帰り支度をはじめようとしている。


主人ー なんだ夕めしを食ってゆかんのか?


男ー 今日は家に用事がありまして、残念ですが帰ります。


*- 主人は立ち、台所に行くと、


主人ー おい、寅彦が帰ると言っているぞ…。

奥方ー まあ、牛肉を買いにやらせて、いま帰って来たところなのに…

主人ー 包んで持たせてやれ。

奥方ー 直ぐ用意します。確か、寺田さん甘いものが好きだったはず…。


* 主人が玄関の方が行くと、男はたたきに座り靴の紐を緩めて履こうとしている所だった。奥方がその後からついてきて、買って来たばかりの牛肉とイチゴジャムの瓶を入れた包みを持って居る。


奥方ー 食べてゆくものとばかり思っていましたので残念ですわ。

男ー ええ、また今度伺います。その時にはゆっくりと頂きます。

それから、これは先日、外国人を浅草に案内した時に買ったものです。子供たちにあげてください。
(大袋の中には小さなお人形が三つと二十枚以上のメンコが入っていた)

奥方ー これお持ちになってください(笑)

男ー ありがたく頂きます。では先生又来ます、お邪魔しました。

* 男は軽く会釈すると、もうすぐ暮れる、西に傾いた秋の日を顔に受けて帰って行った。

人の幸せとか不幸とかに関係なく、月日は過ぎてゆく。人の一生も四季の変化のように、若い春があり、力漲る夏がある。人生の秋がきて、それは春から生きて来た取り入れの時間であり、やがて静かに眠る冬が来る。人はその時その時の時代の中で、季節を過ごすように一途に生きるほかに方法がないのだ。
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