楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

心に響く!!名経営者の言葉No.075

2015-04-30 | 先人の知恵に学ぶ

  PHP『心に響く・名経営者の言葉』
        第4章 努力を忘れない・No.015
「流れに逆らっちゃいかん。
    しかし、流れに流されてもいかん」
              弘世現  元日本生命保険社長・会長(1904~96)
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  弘世現は旧姓を成瀬といい、東京市麹町区(現在の千代田区)の英国大使館
そばで生まれた。成瀬家は二条関白藤原良基の末裔で、父親は緒方沢庵の適塾
で学び、東京商法講習所(現在の一橋大学)の教頭を務めていた。
 初等科から学習院に通ったが、入学試験を担当したのは乃木希典。
さらに、高松宮のご学友でもあった。その後も天皇家との交際は続き、高等科二年
のときには葉山のご用邸に招かれ、大正天皇の御前で泳いだこともあったという。
 学習院高等科を卒業後、東京帝国大学へ進学。大学二年のときに東大経済学部
教授の森荘三郎博士の仲人で、当時日本生命社長を務めていた弘世助太郎の四
女芳子と見合いをし、弘世家に婿養子に入ることになった。
 東大を卒業すると、「国際的な仕事がしたい」という考えから三井物産に入社した。
だが、最初に配属された会計課ではソロバンを使う毎日だった。
 その後、外国為替、ニューヨーク支店などを経験し、第二次世界大戦が勃発すると
陸軍に召集され、満州で鉄道建設に携わった。昭和17(1942)年に召集解除され、
帰国すると三井物産に復職したが、昭和19年に日本生命の取締役に転身した。
 終戦後の昭和21年に常務に就任。施行されたばかりの金融機関再建整備法に
従って、日本生命の再建の先頭に立った。
 だが、当時の日本生命は紙くず同然となった国債を大量に所持するなど、ほぼ破
産状態だった。
 日本生命を相互会社として再生することになり、英語が堪能な弘世はGHQとの交
渉役をした。昭和22年に日本生命保険相互会社が誕生したが、弘世は昭和23年に
44歳の若さで社長に就任した。それから35年にわたり同職を務め、昭和51年には
アメリカで保険業の殿堂入りを果たすなど、生命保険業界の重鎮として活躍した。
 弘世の人生は、流れに逆らわなかったことがトップに上りつめた鍵のように感じる。
だが、流れに流されていただけなら三井物産から転職はしなかったはずだ。

流れに乗りながら、どちらが本流かを見極める
            選択眼を持っていることが大切だ。 
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平常心是道(びょうじょうしんこれどう)
  日常の小さなこともおろそかにしない心。
平常心とは、現在よく使う「普段の心持ち」という意昧とは少し違う。
禅で言う「平常心」とは、日常茶飯あたり前のことを大切に過ごす日々のこと。
                          :気持ちが楽になる禅の言葉より 



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