楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

老子の言葉その39

2016-12-31 | 駄弁り

老子:徳経:順化第五十八

其政悶悶、其民醇醇。
政察察、其民缺缺。
禍兮福之所倚、福兮禍之所伏。
孰知其極。其無正。
正復爲奇、善復爲訞。
人之迷、其日固久。
是以聖人方而不割、廉而不劌、
直而不肆、光而不曜。
 

その政悶悶(もんもん)たれば、その民醇醇(じゅんじゅん)たり。

その政察察たれば、その民欠欠たり。
禍(わざわい)は福の倚(よ)る所、福は禍の伏(ふく)す所。
たれかその極を知らん。それ正なし。
正また奇となり、善また訞(よう)となる。
人の迷える、その日まことに久し。
ここをもって聖人は方(ほう)にして割(さ)かず、廉(れん)にして劌(き)らず、
直にして肆(の)びず、光りて耀(かがや)かず。
 
才能をぎらぎらと光らせない
ちしきや知恵の光は、人生にとって、好ましいものだ。しかし、その光は、あまりにも
ぎらぎら光るものであってはならないだって、なぜどうしてってか!!
禍(わざわい)は福の倚(よ)る所、福は禍の伏(ふく)す所。
不幸だよ思っているところに、幸福が寄り添ってくるし、幸福だと思っている所に
不幸が潜んでいるものである、幸福と不幸は表裏一体である。
二つは切り離せない。が・・・・・、知恵とか才能というものは不幸なことは不幸の一面
しか見えずその不幸な状態を早く脱出するように、画策する。また、不幸な時には
不幸以外に目を向けることは出来ずに、この幸福がいつまでも続きますように錯覚
する。才知の判断はとかく、ちっぽけな正義感で、残酷に人を裁く。
才知の鋭い人は、ひとたび頭の中でこうだと思うと、その一面的な判断を容易に
変えられず、あれこれと計らい事をする。一見もっともらしく人をまどわせ混乱させる
ことがある。この「まごころ」のこもっていない発言で、命を落とすことさえあるのである。

イガ爺、今年最後の“おいら”の駄弁りどうです、
自然の一部である人間や万物(万象)は大自然の摂理に沿って生きる
しかないのである、道理に外れれば、自分の意思でどうすることも出来ない死が
待っていることもあるのである・・・・・・・・。
                                     キビシーイと“おいら”は締めくくる。

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