苦楽時雨つれづれ草紙

フリーライター・三文コラムニストのニュース・文学 政治、経済破り読み!
常識なんて鉛の靴で蹴っ飛ばせ!

落ちぶれたときはあるのか

2016年10月13日 15時58分32秒 | 日記
私は落ちぶれた時期が合った。
というより
落ちぶれた時から人生が始まっていた。
物心ついていたときは
すでに落ちぶれていた。

だから社会って
人生って
こんな物だと
底辺で生きていた。

そして徐々に人並みの人生に近づいていった。

私は落ちぶれた時代を知っているので
今でもどのような貧乏生活には耐えられる。
貧乏が当たり前と思っていたが
その貧乏は当たり前じゃない。

でもこの貧乏生活から何とか脱したい気持ちが
いつもあり
それをめざして生きてきた。

そうして
もっともっと良い暮らしが出来ることを知ったが

私はいつも極貧生活になれば
その生活には耐えられると思っている。

でも家族は違う。
極貧生活なんて知らないから
家族を極貧生活に巻き込むことは出来ない。

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 人生は障害物だらけ | トップ | ミニクイな! 米大統領選 ... »
最近の画像もっと見る

あわせて読む