小屋のなか

美術展の感想や、絵画について。俳句もできたらいいな。

ひさびさ

2005-08-11 01:51:02 | 展覧会
ひさしぶりにブログを書きました。
先日、万代島美術館の写真展に行ってきました。
20世紀の子どもたちを被写体にした写真展でした。
印象に残っているのはやっぱり戦争の写真です。
写真て生々しいですね。


銅板打ち出し

2005-03-30 22:22:52 | つれづれ
今、銅板打ち出しに興味があります。でも、なかなか難しそう。硫酸とか、どうするんでしょう。硫酸が手に入ったとして、その後の硫酸銅の始末は…?いろいろとわからないことが一杯です。

ミュシャ展

2005-03-14 22:52:53 | つれづれ
ミュシャ展に行って来ました。
ものすごく混雑していました。東京都美術館が開催する展覧会はいつも混みますね。今回もエジプト展ほどではありませんが、入場制限がありました。20分待ちでした。エジプト展は美術館の外にまで列が続いてましたからそれよりはましですが、思わずため息をついてしまいました。
絵はゆっくり、広々としたところで見たいものです。

エロチックな仏像

2005-01-24 02:00:25 | つれづれ
 高校のとき、社会科の先生が資料集に載っていた歓心寺の如意輪観音像をみて、「エロチシズムを感じないか」と言ったことがあります。多感な年頃だったので、「エロチシズム」という響きにとても抵抗を覚えました。友人も「先生変態だー」と言っていました。こんな可愛い時期もあったんだな…と懐かしい気持ちです。
 さて、歓心寺のくだんの像ですが、先生を「変態」だと言いつつもわたしもこの像をエロいと思っていました。顔がふっくらとしているので、全体的に太った印象を受けますが、腕は結構ほっそりとしていて、少し首をかしげて頬に手をあてているポーズは妙な色気をかもしだしています。一体、仏師はどんな思いでこの像を造ったんでしょう。

やる気

2005-01-17 20:43:35 | つれづれ
 仕事に対する意欲が低下中…。がんばらなくちゃ。

雪舟の〈破墨山水図〉

2005-01-15 14:57:08 | つれづれ
 初めて〈破墨山水図〉を見たとき(といっても画集でですが)何が描いてあるのかちっともわかりませんでした。遠景に細長い、中国っぽい山が薄墨で描かれているのはわかりましたが、その手前に描かれているものがわかりませんでした。
 つい最近、水墨画について調べてみようと思って、図書館から『水墨画の鑑賞基礎知識』という本を借りてきました。ずっと気になっていた雪舟の〈破墨山水図〉はあるかな、索引を調べるとありました。何年かぶりに見てみると、初めて見たときのような疑問はわかず、なんとか描かれているものがわかりました。切り立った崖の下に家がたっています。なぜ初めて見たときはわからなかったんだろう、と思いました。今見ると、特別わかりにくく描かれているわけでもないような気がします。
 絵が変わることはないんですから、きっとわたしの見方が変わったんでしょう。知識もちょっと増えたし。絵はただぼんやり見たんじゃ理解できないこともあるな、と思いました。知識で見たり、経験で見たり、いろんな見方があるんだと思います。

凍結した道路

2005-01-12 23:57:13 | つれづれ
 長いことペーパードライバーだったのですが、今年から運転を始めました。四月から車に乗りはじめて、やっと慣れはじめて今日この頃。雪が降りました。自宅前の道路には吹きだまりができ、凍結してつやつやと光っています。その上吹雪いて視界は最悪。車がスリップするのを初めて経験しました。恐ろしかったです…。冬場はいつも以上に気をつけなくては、と実感した日でした。

芸術って…

2005-01-11 01:14:59 | 展覧会
 現代アートというと、なんだかとても難しい、深淵なテーマを持った芸術、というイメージがわたしにはあります。何を表現しているのか理解できないこともしばしばです。表現方法も多様で、乱暴な言い方をすると、「これは芸術である」と宣言してしまえば何でもありな感じがします。
 去年、森美術館で「クサマトリックス」という草間弥生の展覧会がありました。その時同時に開催されていた展覧会で、若手芸術家の作品を展示して観覧者がその作品に投票する、というものがありました。その中で、テントの中に入って映像を見たり、ヘッドホンで音を聞きながら小さな画面で映像を見たりといった作品が印象に残りました。何が表現されているのかわかりませんでしたが、とても心が揺り動かされました。小さな空間に入ったり、自分一人だけが聞こえる音を聞いたりという作業で、作品に対する集中力が高まり、それを通して自分の心の奥底をちらっとのぞいたような、変な感覚を体験することができました。こんな個人的な芸術もあるのか、とその時思いました。何を感じるかは作品を体験した人におまかせ、というような。

唐招提寺

2005-01-10 00:30:24 | つれづれ
 今日、「時空サイエンスロマン 金堂復元!唐招提寺1200年目の真実」という番組を見ました。唐招提寺の金堂を解体し、修復する過程でその謎に迫る、という内容のものです。唐招提寺は天平宝字3年(753年)、鑑真によって建立されました。この時代に建立された金堂や講堂などが現在まで残っています。
 番組でテーマとされたのが現存する建築のうちの一つ金堂で、これは東征絵伝によると如宝が建てたものだそうです。東征絵伝は鎌倉時代に制作されてた絵巻で、鑑真が来日して仏法を広める次第が描かれています。その中に鑑真の弟子、如宝という人物のことが記されているそうです。彼は胡人(現在のウズベキスタンあたりの出身だったらしい)で、日本に来た時はまだ出家する前の優婆塞(うばそく)という立場だったそうです。鑑真が唐招提寺を建立した当初は金堂はなかったらしいです。柱に使われた木材の年輪から、781年に建立されたのではないかと番組に登場した研究者が推測していました。
 金堂が後から建てられた理由としては、寺の機能の変化があげられていました。鑑真の頃には唐招提寺は法を学ぶ場として機能していたのが、後に教義を広める寺に変わっていったのだそうだそうです。金堂には三体の仏像が納められ、それぞれが本尊となりうるような大きさ、立派さです。番組の中でも言われていたのですが、同じ規模の仏像、それも全く違う姿のものを三体並べるというやり方はあまりバランスが良くありません。いったいどの像に向かって祈ったらいいのやら、という感じです。でも、迫力は申し分がないような気がしました。西洋の教会は神の家として、人々の教化と宗教的体験を促すものでした。仏教寺院にも同様の働きがあったのでは、とその三体の仏像をテレビで見て思いました。大きく迫力のある仏像でびっくりして、何かしら人知を超えた力を感じる、というような体験ができたんじゃないかな、と思いました。どういった種類のものであれ、心を動かされるというのは布教にとって重要な要素ではないでしょうか。
 

画家がスパイ

2005-01-09 00:10:50 | つれづれ
 以前、友人からヤン・ファン・アイクが隠密だったという説があるというのを聞きました。その時は「冗談だろう」と思っていました。でも、その後ヤン・ファン・アイクの画集に載っていた年表を見たら、彼は「秘密の旅行」というのをしていました。「秘密の旅行」ってなんでしょう。
 松尾芭蕉忍者説と同じくらい気になります。画家が外交に関わっていた例はそれほど珍しいことではなかったようなので、スパイ活動した画家がいたとしてもおかしくないかもしれません。ルーベンスは外交官の役割もしていましたし、ベラスケスも画家であると同時に官僚でもありました。
 画家は肖像画を描くために貴族や王族の近づく機会に恵まれていたでしょうし、スパイもできたかもしれませんね。