建築設計者の日々是好日

建築家として感謝をもって生きる日々の記録

自動運転技術と運転免許

2017年04月01日 | Weblog
最近、車の自動運転技術が実用化されようとしている
高齢者の事故減少に役立つだけでなく車での移動について意識が変わるだろう
これからは車をドアツードアの移動手段として考えるケースと、車を運転することの楽しみと考えるケースに2分されるのかもしれない

ある自動車メーカーでは自動運転技術の開発は車の購買意欲をなくすことにつながると考え開発を中止したという報道があった
これでは世界の趨勢に逆行してしまう
メーカーは社会のニーズに沿ったプロダクトを提供することをやめたら生き残ることはできない
それが世界一のメーカーであろうともだ

しかし私は自動運転が実用化されるとしても自分で運転することを楽しみたい
車は自分の身体拡張装置でもあると思う
車をドライブすることの楽しみは、馬に乗りこなすことの楽しみと同じように、自分ではできないような速さで走り、曲がり、移動し、止まるということ自体を楽しむことなのだと思う

いつまで運転免許を使って「車を運転すること」を続けることができるのか?わからないがこの楽しみはずっと続けたいものだ

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

罪作りな道路計画

2016年09月05日 | 環境
幹線道路計画は利用者から見れば公共の利便性など社会的な価値は高い
ただし、土地を収用される土地所有者や周辺住民から見れば迷惑なシロモノであることがある
その最たるものは騒音だろう
鉄道と違い深夜でも交通量はゼロではないので幹線道路沿いになってしまうお宅は悲惨である
また痛みも激しく何年かおきに道路修復工事がある
それも深夜なので大変だ

土地利用については、不公平な状況が散見される
幹線道路沿いになった土地の所有者の多くは価値が上がり、売却するにせよ、利用するにせよ利益を得ることができることが多い
ただし用途指定によりほんの僅か離れているだけで天国と地獄ほどの差が生まれる
それは路線価に現われる
商業地域で日影規制もなく容積率500%のところから100mも離れていないのに住居系地域で200%指定の上日影規制もあるため200%も使えないというところがあるという状況が生まれる
両者に路線価の違いは2.5倍もないのである

このような状況は不公平と言ってよい
かたや商業地域では不動産賃貸経営で左団扇なのに住居系地域では相続税を払うことにも困るという結果となる
社会的事業は公平を旨とすべきである
個人的に困るだけでなく、地域社会の崩壊にもつながる由々しき問題と捉えるべきだ
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

開かれた学校

2016年07月20日 | 活動
先日、大学時代の教科書で「開かれた学校」を見直す機会があった
この本の主題は、建築計画上の学校建築の方向性を提案しているものだが、子供の教育手法や方針、学校という機能が地域にも開かれていることが大切だということが述べられている

今年4月から私の母校が地域協働学校に指定された
その協議会では、学校教育の枠を超えた地域との協働による教育の充実を検討している
学校からは、昨年の準備校段階から2015年度に文部科学省が打ち出した「OECDにおけるキーコンピテンシー」取得に関する教育方針が示されている

キーコンピテンシーは3つのカテゴリーがあり、
 社会、文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力
 多様なグループにおける人間関係形成能力
 自律的に行動する能力
の習得を目標にしている

「開かれた学校」では、
 一斉学習から一人一人の子供の進度に応じた学習
 自主的に勉強してゆく能力、責任を持って意思決定できる能力
 教師は教える側から助ける側へ
 運営に保護者の参加
などが掲げられており、45年ほど前にすでに文科省の目標とするOECDの基準を先取りしていたことがわかる

『歴史は繰り返す』ではいつまでも発展はない
今度こそ、先達の提案してきた新しい教育を実践することが求められる
そして、その継続性が問われることになる
我々委員は、その仕組みづくりのサポートをすることが大切だと考えている
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

新緑の季節と土地税制

2016年05月07日 | 環境

大きな木の根元で見つけた実生のモミジ
どこかのモミジが種を飛ばして芽を出したようです



近くの草花も陽を浴びて新緑がキラキラ輝いています
新しい芽吹きを見るのはいいものです



緑は社会に潤いを与えてくれます
大切にしたいものですが立派な森や林が都会から消えてゆくことがとても残念です
税制、特に都市部での土地相続税に環境優遇といった仕組みを盛り込めないものでしょうか?

環境行政で緑を増やす努力をしている一方で、緑を切らざるを得ないような税制は自然と共に生きてきた日本人の心と相容れないものではないでしょうか?
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

空間ワークショップとファシリテーター

2016年05月01日 | まちなみと景観
 建築家協会中野地域会で小学生を対象に行っている空間ワークショップは三多摩地域会を始め各方面にも広がりを見せている
 この秋にも近くの小学校で実施を計画させていただいている

 このワークショップで講師を務めている建築家はファシリテーターと称している
あまり聞きなれない言葉かもしれないが、始めから教えるのではなく自発的な学びを手助けする役割をする者を指している

 私たちの活動は、角材を使って家をつくりまちを作ろうというワークショップであるが、単に構造やデザインを教えるというスタイルではなく、簡単に導入を手助けしたあとは、子供達自身が角材を使ったものづくりを身体的に実感してもらうことを重視している
そのなかからすぐにはこわれない構造のしくみや、美しさ、実用性などを考え理解し、家が集積してまちを作る意味や効果としての景観まで理解してもらうことを期待している
さらには仲間達と共同して作業することの大切さやよろこびを学んでほしいと考えている

 こども達の希望やアイディアを理解し、自由な発想をのばし、個性ある創作を促すことは根気が必要でなかなか難しい
しかし、こども達が自分の意思で方針を選択し、ものづくりをしてゆく喜びを知ってもらうことこそ私たちの喜びでもある
ティーチングからファシリテーションへ
これからも、我々自身がさらなる挑戦をしてゆくことが大切と信じて活動してゆきたい


近藤 弘文@イデア建築研究所
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

氷上走行

2016年02月24日 | 環境
何年かぶりにスキーに行ってきました
天気は晴れで人工雪でしたが非常に良いコンディションで楽しめました
宿の近くの湖では氷上走行のトライアル?をやっていました
皆さんうまいものでスピンしている車はいませんでした
それにしても氷が割れないか?心配になりました
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

30年ぶりの金沢

2015年12月15日 | まちなみと景観
30年ぶりに金沢を訪れ、建築家の相田先生の展覧会と講演会のため金沢工大に行ってきた。

金沢工大がJIAと建築アーカイブという事業を行っていて、今回は相田先生のスケッチ、図面、模型などを展示し、あわせて講演会を企画した
会場では積み木のブロックで子供がワークショップで家づくりを行うなど単なる展示に終わらないいいものだった
手書きの図面など貴重な史料を保存、公開する非常に大切な文化事業を行う金沢工大に敬意を表したい

帰りに大学時代の友人に案内してもらい、からくり館や醤油の醸造工場、民家を改修したすし屋、21世紀美術館、鈴木大拙館、武家屋敷を見て歩いた
武家屋敷界隈は家々の土塀にこもがけをしたばかりであったが、住民のかたがたが街の景観(取り決め?)を守っていることに非常に感心した
武家屋敷からは駅まで歩いて戻ったが、まだまだいい町並みがそこここに残っていて風情を感じる
京都が一部しか残っていないのを考えると金沢も同じ運命なのだろうか
それでも、醤油工場の工場内が町並みのように整備され、歩くのが楽しい空間となっているような動きもあり希望が持てる

金沢工大の先生から都市計画の見直しなど努力されていると伺ったが、ハードの誘導策だけではいかんともしがたい現実があるので心配だ
この国の法律や税制などに文化に対する敬意が足りないことを残念に思う

駅のアトレの中にある金沢の地酒が揃ったお店で生酒を試飲した
加賀鳶という銘柄の天翔をお願いした
香りも良くふくよかな味わいで美味しかった
聞いた話では県知事がどこかの駅に県内の地酒を全て揃えたというのを聞いてそれにならったということだ
お酒の弱い私には多すぎるくらいそそがれてどうしようかと思ったが、帰りの新幹線の時間までだいぶあったので飲んでしまった
昨日も金沢工大の先生達と飲んだので私にとっては飲みすぎだ

金沢は料理も美味しいし、風情のあるお店でいいお酒も飲めていい街だった
金沢工大の先生方、友人そしてお誘いいただいた相田先生に感謝です
皆様、ありがとうございました
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「フェアであること」と「正直であること」;国立競技場問題とJIA

2015年09月29日 | 建築
私は日本建築家協会(JIA)という公益社団法人の会員です
国立競技場問題では、以前の投稿でコンペのやり直しを提案しました
しかし、白紙に戻したというものの事態は思わぬ方向に進んでいます
工事費問題だけが一人歩きしている印象で、とても社会のために良い方向に進んでいるとは言えません

私は、所属する日本建築家協会が日本の建築文化を守る砦と考え活動しています
ところが、現状はそれに危惧を抱かざるを得ない事態となっています
日本建築家協会は毅然とした意見表明、そしてお詫びをして、真に社会に寄与できる活動をすべきと考えています
以下、私が今後の日本建築家協会が社会に認められる団体となってゆくために今求められる活動とスタンスについて考えていることです

私が求めるのは「フェアであること」と「正直であること」です
私はよく「ソクラテス主義」だと言います
「悪法も法」ということです
ルールを決めたのであればそれに従うべきです
ルールが間違っているのであれば決める前に正すべきです
JIAはそれをしたのでしょうか?
あとでとやかく言うのはフェアではありません
社会はよく見ていて、今になって業界団体が何か言っているとしか見ていません
JIAは早い段階でルールに問題があることを強く言わなかったことを「正直に」反省するべきです

今は日本の建築文化を正しい方向に導くためにも、一般の方々に今後の建築コンペはこうあるべきという明確な判断基準を提示することがJIAに必要なことではないでしょうか
そうすれば、今の事態がどう問題なのか理解いただけるのではないでしょうか
専門的な世界に入り込まずに、常に社会からみてわかりやすい説明をしなければなりません

現在は白紙に戻ったといっても、デザインビルド的なコンペに転移し、設計者が施工者とは独立して設計を行うという立場のJIAの主張とは到底相容れない事態に陥っています
これは当選者のザハ氏からも懸念の意見が出ていると聞いています
会長以下執行部には、白紙後の体制にJIAが参画すらできないという現状に自己批判をもって社会に訴え、意見表明しなければならないくらいの危機的な状況という視座を持って欲しいものです

今までの意見や立場にとらわれているときではありません
矛盾や齟齬に対し、うわべだけ糊塗することなく、問題点を明らかにし反省の念を表明することが大切です
いさぎよく社会に対して公益社団法人としての社会的責務を放棄していたことを謝罪し、JIAの責任を明らかにした上で、社会にとって大切な未来への道を指し示すこと、それこそが社会に認められる第一歩と考えます
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

建築学会

2015年09月05日 | 建築
今日は何年かぶりに建築学会に参加するので気になるセッションに顔を出そうと思います
それにしても東海大相模原は家から2時間近くかかります

まずは1号館で環境分野の発表を聞きます
始めは音環境で拡散音場と入射角の関係
次に電力研究所の省エネ改修の発表
蓄熱や熱回収を含め年間の省エネ効果は改修後48%で負荷を平準化できた
どのくらいの費用がかかるか?とこの先どのくらい運用できるか?で評価も変わると思いますが立派な数字です
デシカントの発表も聞きたかったのですが終わっていたようです

お昼は14号館4階で行われた建築基本法準備会の昼食懇談会です
少人数でよかったのですが、時間が足りなかったのが残念でした
この国の建築文化復興の力になるのか?
建築は経済論理で消費される対象から文化にできるのか?
長期にわたる都市形成の良き指針となり得るのか?
制定までにはまだまだ時間がかかりそうですが、課題は山積しています

午後は14号館地下で建築学会賞展示を見て帰りました

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

32年ぶりの丹沢大倉尾根

2015年07月22日 | 
日曜日に古くからの登山仲間と丹沢の大倉尾根を登ってきた
何しろ本格的な登山は32年間行っていない
高尾山には行っているがハイキングだと思う

結果はさんざんで、花立小屋で時間切れノックアウトとなった
今年の夏に槍ヶ岳登山にお誘いいただき、その気になったものの脚力の衰えが気になりバロメーターとして大倉尾根に出かけたのだった

今までのブランクは大きい
毎年北アルプスに行っていた頃は、片足スクワットを50回できて、大倉尾根を走って登っていた
しかし、今は3回がいいところで、両足50回もやっとという状態
これでは槍ヶ岳はきびしい
山は自己責任である
人様にご迷惑をおかけすることはできない

お誘いはうれしい限りだがお断りするのが正しい選択だろう
また鍛えて来年はぜひ行きたいと思う
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

国立競技場再設計提案;このままでは建築家の名が泣いてしまう

2015年07月13日 | 建築
最近非常に気になることがある
国立競技場の設計案について新聞やテレビでの報道が連日のように出ているが、これも喉元過ぎればなんとかで消えてゆく「一時的事件」なのだろうか

そもそもこのコンペ結果が公表された時には建築界の各方面から懸念の声が上がっていた
それらの声の本質は正確に取り上げられず議論されずにここまで来てしまったと感じる
論点は非常に多く、焦点が定まらなかったかに見えたが、工事費が当初想定の2倍に膨れ上がったころから取り上げられるようになったようだ
いろいろな意味でもこのコンペはどのような性格のコンペだったのか理解しなくてはいけない

われわれが考える一般的な設計のコンペティション(設計競技と訳される)は敷地、法的制約、予算、要求空間と面積などが提示され、それに沿ったデザインを含めた計画案を作成して競うものである
これらは設計条件と呼ばれるが、これに違反しているもの、合致しないものは当選案とななれない

今回のコンペはどうだったのだろうか
敷地は与えられていたのに、当初案では中央線を飛び越えるというものだった
本来はこの時点で失格であるはず
審査員はデザインを選べばよかっただけではないことは自明のことである
細部は審査員の能力で法的に実現できるか?技術的に実現可能か?予算的に収まるのか?などつまり想像力に委ねられていた
さらに提出後に当初案から反転した案に変更になるなど、規定にも違反している疑いがある

ここまで問題が伸ばされてくると時間的な制約も厳しくなると思うが、当初のデザインとは全く別物の実施案はさっさとあきらめて、当選者にあやまり、国際的にもきちんとあやまり、再コンペを行うことを提案したい
そうでなければ、当選者も胸を張って自分のデザインだということはないようなしろものが出来上がってしまう
国民のみならず当選者にとっても不幸な結果が残ることになる
この辺が、マスコミでは理解されていないと感じる
さらに、日本ではコンペのいいかげんさだけが歴史に残ってしまい、今後の建築文化の発展への影響が心配だ

今度は、完全公開で、設計条件をはっきり提示し、予算も守れないような案は捨ててもらい、何か問題があるときの責任区分もはっきりして、臨んでもらいたいものである

コンペは選ぶ方も審査されるのである
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

卒業式のシーズン

2015年03月25日 | 活動
今日は出身小学校の卒業式に出席してきた。
学校評議員として来賓の立場だった。
毎年恒例で同じような進行だったが、今日はなんとなくいい雰囲気だった。
読み聞かせや、空間ワークショップのボランティアを通じて顔見知りの児童がいたこともあるかもしれない。
しかし、卒業証書授与の後の校長先生の祝辞が良かった。
「ありがとう」「ごめんなさい」「さようなら」の3つの言葉の効用を紹介し祝辞としたのだ。
それぞれ、感謝、勇気、独立をあらわし、彼らのこれからの長い人生に向けたメッセージとしていいものだと感じた。

そしてこれも恒例の4、5年生による卒業生を送ることばとコーラス。
それに応える卒業生の歌声が素晴らしかった。
終了後に参列者が口々に聞き惚れたと賛辞を送っていた。

かくいう私も保護者として息子の高校卒業式に出席した。
こちらは体育館が大きく、天井が半円形で祝辞やコーラスの響きが良くなかった。
この高校の設計には、建築家協会のメンバーが建設委員会に参加していたということなので残念なことである。

今日の小学校の卒業生の将来を語る言葉の中に「建築家を目指したい」というのを聞いた。
空間ワークショップのボランティアで昨年の秋に担当した子供たちだったので、少しは建築の楽しさをわかってくれたのかなと一人うれしかった。
卒業生には夢を追い続けてチャレンジして欲しい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

プロフェッショナル(職人技を持つ人たち)の生きる道

2015年03月05日 | Weblog
 われわれ建築設計者は無から有を作り出す仕事と言える。
しかし、その中身は昔とはずんぶん変わってきた。
私が組織設計事務所に入った頃は、まだアルミサッシができはじめたころで、学校の設計でもサッシといえばスチールサッシで、さらにスチールの型材を組み合わせて特注サッシを作る方法を教えられたものだ。

 翻って、現在はどうだろう?
スチールの特注サッシはできないことはないが、いざやろうとするとべらぼうな価格になってしまう。
スチールがいいと言っているわけではなく、そのような職人技を持つ人たちが減っていて、いたとしてもとても特殊な技能の持ち主という位置付けになっていることが心配なのである。
 なぜ心配かといえば、特注のサッシではなく一般の既製品のサッシを使っていれば(設計で仕様を指定することを意味する)なにも困ることはないのだが、ちょっと寸法を変えると高いものになってしまい、全体のコストコントロールを考えると躊躇してしまうという状況がいいとは思えないからである。
 そして、デザインの幅が狭められる。

 どの世界にも職人、匠、親方、プロフェッショナルといろいろな呼び方で専門家が存在する。
しかし、今の社会は特別なことをする、できる人間を使わない方向にあるように思う。
これは、非常な社会の損失と言える。
規定の製品しかできない社会になってしまったら、なにかの拍子に機械が止まったらなにも対応ができないということになりかねない。

 「技術は人についてくる」
人がいなくなればその技術も消える運命にある。
なんとかみんなでプロの技を使うことにしよう!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

住宅の設計施工一括請け負いで起きている問題と建築主の不利益

2014年12月05日 | 建築
住宅の設計施工一括請け負いで起きている問題がある

設計事務所登録もしている施工会社が設計者となり施工も請け負うことは法的には問題がない
ところが、設計事務所登録をしていないため(していても同様だが)、設計を他の設計事務所に依頼して建築確認申請では設計者は別で、施工のみ自己名義として、設計施工一括請け負いするケースがある
設計者欄には設計事務所の名前が記載され、施工者欄に施工会社の名前が記載され法的には設計監理責任は設計事務所に帰すことになるわけである
しかし、ほとんどの場合は建築主と設計事務所との間で設計委託契約は取り交わされず(素人は設計施工一括で設計を下請けに出していると思っているので)、施工会社が下請けとして建築確認を取る為にだけ設計事務所を利用するケースが目に付く
建築主から見ると設計者は設計事務所であり、施工は別の法人であるはずなのに、設計料が設計事務所に直接支払われることはなく責任の所在が曖昧だ

どういうことが起きているか?
設計のみ下請け的に事務所にやらせて設計料を支払い、監理業務はやらせないで施工会社が勝手に自分の都合のいいようにすすめるという事態がおきる
設計事務所は依頼されていないものをやるわけにはいかないし、やる必要もない
工事の進捗に必要な設計内容の確認が設計監理者によることなく工事が進められるばかりでなく、工事完了時の完了検査を受けずに(工事中に問題があれば検査が通る訳はないので)引き渡され、使用開始されるケースが非常に多い
これは、建築基準法違反ではないのか?

後になって違反状態が露見するのだが、完成当時は素人である建築主は知る由もない
建築主が増築をしようとしたときに、検査済み証がないために申請も出せず許可が下りずに不利益を被ることになる
時間が経っている為に建設会社が倒産でなくなったり、設計事務所も閉鎖していて責任を問うことが出来なくなっているケースもあるだろう

これは誰が責任を負うべきなのか?
設計者なのか?施工会社なのか?
設計者は頼まれた設計だけをやったと主張するだろう
その上、建築確認申請では、「設計者」に加えて「代理者」という欄がある
建築確認申請を行う代理者という意味である
この代理者の責任は?
なおわかりにくいのは、建築確認申請書で、(設計)監理者という欄があるが、これに設計者が記名しているのがほとんどだが先に述べたように実際には監理していない
設計監理者は監理報告責任から逃れることは出来ないはずだ

当面は検査済み証を取得しないで建築主に引き渡すことを厳しく処分するしかないと思う
一般向けに検査済み証がない建物に入居することは違反であることを法律で明示し広報するべきだ
一般の方にはわかりにくい建設業法、建築基準法、建築士法を一挙に整理統合して建築に係る法律の再整備を急ぐときだと感じる
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

わかりにくい日影規制

2014年08月18日 | Weblog
みなさんは日影規制という言葉を耳にしたことがあると思いますが内容をご存知でしょうか?

例えば近隣商業では3階かつ10m以下の建物は日影規制に該当しません

それでは北側の1種低層住居専用地域に建物の影が落ちるときにもこれは適用できるのでしょうか?
答えは複雑で我々設計者にも難題です。
建物が建っている状況などで変わるのです。
建物の敷地が全部近隣商業地域の場合はもちろん規制は近隣商業地域の定めの通りです。
しかし敷地が近隣商業地域と1種低層住居専用地域にまたがっているときは複雑です。
敷地の中の地域の境界線をまたいで建物が建っている状況では規制の厳しい1種低層住居専用地域の基準が適用されるのです。しかも1種低層住居専用地域の境界線を境にそれぞれの地域が受ける規制値をクリアしなければなりません。

建物が近隣商業地域の境界線の中に収まっている状況では北側の1種低層住居専用地域に日影が落ちても3階10m以下であれば日影規制自体が適用されません。
いかがですか?
わかりにくい規定です。

余談ですが、
東西に走る道路の路線20mの近隣商業地域で道路の南北の敷地ともに測定水平面GL+6.5mというのもおかしな話ですね
道路の南にある敷地は日影が道路に落ちるので比較的高い建物が建設できるのです。
また、以前は日影規制の判断基準面が地面+4.0mだったのですが現在は6.5mですから整合性がとれません
(ある建物で1997年当時の建設時には4mだったものが今は6.5mです)
こんなことでは社会の法の公共性、信頼性、継続性を失わせることになりますね

都市計画的法規制は経済的事情で判断されるべきではないと考えています
マンション建設を念頭に繰り返される容積率緩和措置、天空率、総合設計制度などは一般の方にはとてもわかりにくい法体系です
法は誰もが直感的にわかりやすくなければいけないと思います
ドイツやイタリアなど欧米の街々を見るにつけ、何世代にも渡り守られ誰にも分かりやすい指針となるデザインコードを決めるような法体系にする必要があると強く感じます
コメント
この記事をはてなブックマークに追加