今回の記事は『薔薇の名前』(1986年、監督:ジャン=ジャック・アノー)です。
中世ヨーロッパの修道院で起こった殺人事件を荘厳な雰囲気で映像化した重厚なる映画。
残酷でグロテスク、ダークな要素も満載だけど、切なく儚く美しく感じられる一面も確かにあるゴシック・ミステリー・サスペンスの傑作です。
ショーン・コネリー演じる修道士の穏やかにして渋い魅力が光ります。
午前十時の映画祭上映作品。
■内容紹介 ※午前十時の映画祭ウェブサイトより
ヨーロッパで宗教裁判の嵐が吹き荒れていた時代。
キリストの財産をめぐる教皇派とフランチェスコ修道会との争いを調整するための会議に出席するべく、修道士のウィリアム(S.コネリー)とアドソ(C.スレーター)は北イタリアに向かっていた。
ところが、若い修道士が不審な死を遂げたことをきっかけに、ウィリアムは調査をすることになる。
そして起こる第2、第3の殺人……。
修道院という戒律に縛られた世界で起こる連続殺人事件の結末は……?
中世のイタリアの修道院で巻き起こる謎の連続殺人事件……
■感想
この映画はとにかく、冒頭から重厚な雰囲気が全開で凄かった。
この重厚さが映画の格調を1段も2段も高いものに押し上げていることは間違いないでしょう。
また、錯綜する展開は面白く観ている人を決して飽きさせない。
こういうものをゴシック・ミステリーというのだと思い知らされます。
ところどころにグロテスクな描写があるので苦手な人は注意が必要です。
グロテスク度合いはかなり“高”です。
加えて修道院にいる人たちがみんな不気味でちょっと怖い。
修道院長アッボーネ(恐ろしすぎるぞ、目が)と、図書館副司書ベレンガー(太った白塗りの人)の不気味さは半端なかった。
そんな中でショーン・コネリー演じる修道士ウィリアムと、その弟子のアドソ(クリスチャン・スレイター)はかっこ良かった。
ショーン・コネリーには渋い魅力溢れる俳優というイメージを持ってるのですが、80年代当時からその渋さは凄かったんですね。
ウィリアムの戒律に縛られない柔和さと、かといって人として誤りを犯すことを良しとはしない厳しさは渋かっこよかった。
全体に穏やかな優しさが溢れていてとても魅力的でした。
アドソもかっこ良かった。
まだ若くどこか頼りないところもあるのですが、誠実で真面目な人柄は大きな魅力。
悩みながらも自分の道を模索する。若者はこうあるべき。
師のウィリアムを心から慕っているのも確かに伝わってきて、いい師弟関係だなぁーと思っちゃいます。
かなり個人的な思い込みかもしれませんが、彼、日本の今をときめく若手俳優の三浦春馬に顔立ちが似ているような気がしました。
(ファンの方で「そんなことは絶対にない」という方がいたらごめんなさい)
終わりは、それまでの陰惨さを見事に消してくれる穏やかでちょっと切ない締めくくり方となっています。
このシーンまできて、映画タイトルの意味が頭に浮かんで鳥肌が立った。
こういうタイトルの付け方もあるのだなと感心してしまいます。
以下、個人解釈ですのであっているのかどうかは不明です。
またネタバレを含むので文字反転させておきます。
薔薇の名前の意味は(修道士アドソが知りえなかった“その人”の名前なのだと思う。
彼が生涯で唯一愛した村娘の名前、それがローズ、もしくは薔薇を意味する言葉だったのだと思います。
アドソは彼女の名前を結局知らないまま映画は終わるけど、彼女の名前は実は観客には最初から提示されていた。
けれどそれに気づくのは最後まで観た時。
そんな巧さがこのタイトルにはあるんだと思った。
これはバンプの「K」以来の題のつけ方の巧さだと本当に感心した)。
『薔薇の名前』は間違いなく名画です。
重厚な映画が観たい方はぜひご覧になってみてください。
(★は最高で5つです。★:1pt, ☆:0.5pt)
■Link
+⇒公式HP(Japanese)※午前十時の映画祭特設ページです。
+⇒薔薇の名前(1986) - goo 映画
+⇒午前十時の映画祭レビュー索引
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中世ヨーロッパの修道院で起こった殺人事件を荘厳な雰囲気で映像化した重厚なる映画。
残酷でグロテスク、ダークな要素も満載だけど、切なく儚く美しく感じられる一面も確かにあるゴシック・ミステリー・サスペンスの傑作です。
ショーン・コネリー演じる修道士の穏やかにして渋い魅力が光ります。
午前十時の映画祭上映作品。
■内容紹介 ※午前十時の映画祭ウェブサイトより
ヨーロッパで宗教裁判の嵐が吹き荒れていた時代。
キリストの財産をめぐる教皇派とフランチェスコ修道会との争いを調整するための会議に出席するべく、修道士のウィリアム(S.コネリー)とアドソ(C.スレーター)は北イタリアに向かっていた。
ところが、若い修道士が不審な死を遂げたことをきっかけに、ウィリアムは調査をすることになる。
そして起こる第2、第3の殺人……。
修道院という戒律に縛られた世界で起こる連続殺人事件の結末は……?
中世のイタリアの修道院で巻き起こる謎の連続殺人事件……
■感想
この映画はとにかく、冒頭から重厚な雰囲気が全開で凄かった。
この重厚さが映画の格調を1段も2段も高いものに押し上げていることは間違いないでしょう。
また、錯綜する展開は面白く観ている人を決して飽きさせない。
こういうものをゴシック・ミステリーというのだと思い知らされます。
ところどころにグロテスクな描写があるので苦手な人は注意が必要です。
グロテスク度合いはかなり“高”です。
加えて修道院にいる人たちがみんな不気味でちょっと怖い。
修道院長アッボーネ(恐ろしすぎるぞ、目が)と、図書館副司書ベレンガー(太った白塗りの人)の不気味さは半端なかった。
そんな中でショーン・コネリー演じる修道士ウィリアムと、その弟子のアドソ(クリスチャン・スレイター)はかっこ良かった。
ショーン・コネリーには渋い魅力溢れる俳優というイメージを持ってるのですが、80年代当時からその渋さは凄かったんですね。
ウィリアムの戒律に縛られない柔和さと、かといって人として誤りを犯すことを良しとはしない厳しさは渋かっこよかった。
全体に穏やかな優しさが溢れていてとても魅力的でした。
アドソもかっこ良かった。
まだ若くどこか頼りないところもあるのですが、誠実で真面目な人柄は大きな魅力。
悩みながらも自分の道を模索する。若者はこうあるべき。
師のウィリアムを心から慕っているのも確かに伝わってきて、いい師弟関係だなぁーと思っちゃいます。
かなり個人的な思い込みかもしれませんが、彼、日本の今をときめく若手俳優の三浦春馬に顔立ちが似ているような気がしました。
(ファンの方で「そんなことは絶対にない」という方がいたらごめんなさい)
終わりは、それまでの陰惨さを見事に消してくれる穏やかでちょっと切ない締めくくり方となっています。
このシーンまできて、映画タイトルの意味が頭に浮かんで鳥肌が立った。
こういうタイトルの付け方もあるのだなと感心してしまいます。
以下、個人解釈ですのであっているのかどうかは不明です。
またネタバレを含むので文字反転させておきます。
薔薇の名前の意味は(修道士アドソが知りえなかった“その人”の名前なのだと思う。
彼が生涯で唯一愛した村娘の名前、それがローズ、もしくは薔薇を意味する言葉だったのだと思います。
アドソは彼女の名前を結局知らないまま映画は終わるけど、彼女の名前は実は観客には最初から提示されていた。
けれどそれに気づくのは最後まで観た時。
そんな巧さがこのタイトルにはあるんだと思った。
これはバンプの「K」以来の題のつけ方の巧さだと本当に感心した)。
『薔薇の名前』は間違いなく名画です。
重厚な映画が観たい方はぜひご覧になってみてください。
映画データ | |
---|---|
題名 | 薔薇の名前 |
製作年/製作国 | 1986年/フランス=イタリア=西ドイツ |
ジャンル | 歴史劇/ミステリー |
監督 | ジャン=ジャック・アノー |
出演者 | ショーン・コネリー F・マーレイ・エイブラハム クリスチャン・スレイター エリヤ・バスキン フェオドール・シャリアピン・Jr ウィリアム・ヒッキー ミシェル・ロンズデール ロン・パールマン キム・ロッシ=スチュアート ドナル・オブライアン、他 声の出演 ドワイト・ワイスト |
メモ・特記 | 午前十時の映画祭上映作品 R15+指定 原作:『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ、東京創元社) 米国アカデミー賞:主演男優賞(S.コネリー)・メイクアップ賞受賞 セザール賞:外国映画賞受賞 |
おすすめ度 | ★★★★ |
■Link
+⇒公式HP(Japanese)※午前十時の映画祭特設ページです。
+⇒薔薇の名前(1986) - goo 映画
+⇒午前十時の映画祭レビュー索引
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原作のイメージを損なうことなく、ホントよく映像化している。
小説を読んだのも、映画を観たのも、十数年前・・
再びあの濃密な世界に浸ってみたいと思いました。
薔薇の名前の原作は読んだことはないですが、映画の重厚な雰囲気はとても良かったと感じています。
濃密! この映画を表すのにピタリとくる表現ですね。
レビュー書いていながらなかなかそういう言葉が出てこなくて困ってしまいます。