鵡川駅から最初にやってきたのは「春日駅」です。
(会社のすぐ近くにも“大江戸線春日駅”がありますので、なんとなく親近感を覚えます)
廃線跡巡り“超初心者”にも大変わかりやすくしかも見応えのある遺構が残されている“美味しい”春日駅であります。
国鉄再建法により1986年に廃止された「富内線春日駅」でありますが、廃止後28年を数える今日でも大変良い状態で維持管理されております。
駅名標のアルファベットには特徴的なフォントが使われていて独特の雰囲気を与えております。
鵡川駅から2駅目の春日駅ですが、鵡川(*河川の名称の…です)河川敷きを眺めますと目の前の夏草の覆い茂った辺りが“路盤”であったのかなぁ~などと想像します。
画面左手方向が「鵡川駅」の方角となります。
廃線のガイドブックで何度か見た記憶のある「下河原商店」…鵡川の下流にあるからでしょうか、この店名…
最初にこの店舗が目に入ってきたときに「あぁ…ここだ!」なんて思いましたね。
北海道の原野に消えてしまった数々の廃駅たちに比べると、春日駅は圧倒的に判りやすいランドマークを持っています。
「廃駅」というには妙にお洒落っぽい外観の春日駅待合所です。
現在は道南バスの「春日停留所」の旅客待合所として使用されています。
やはり、今日も公共施設として使い続けられているということが、こうして良い状態を保っている重要な点であると思います。
駅前の道路を見ます。
この先が鵡川駅方面です。
道路の左手草が繁茂している一段低い辺りが路盤だったようです。
こちらが「旭岡駅」方面です。
駅前広場?から「春日駅」正面を見ます。
右側の白い壁に「春日駅」と駅名標が掲げられている写真を見たことがあります。(*駅前は舗装されていませんでした。)
富内線の駅舎はその殆どが「木造」で春日駅のようなモダーンな駅舎は他に無かったのでは…と思われます。
アルミサッシで作られた待合所はサンルームのように内部はとても明るいものです。
なぜ「春日駅」だけがこの様な意匠を採用したのか…その点は不明です。
その横には道南バスの停留所が見えています。
アルミサッシの引き戸は全く古さを感じさせませんし、きちんとメンテナンスされているからでしょうが、動きもとてもスムースでした。
「虫が入るから開け放しにしないように…」というような意味の張り紙に臨場感を感じます。(*張り紙の主はロータリークラブではなくて“老人クラブ”でありました)
待合所内部も当然のように大変綺麗で清潔に保たれています。
プラスティックのベンチは屋内のために紫外線の影響も少なく、本来の色調と光沢を保っています。
こちらが“ホーム側”になります。
アルミサッシで構成されている壁面は良い状態を保っていますが、屋根はアルミ材ではないらしく、経年劣化による錆が痛々しいです。
左側のドアーが開いているところは「トイレ」のようでした。
清掃用具が備えられ、定期的に清掃が行われているようです。
ホーム跡の石積みと路盤とを見てみます。
ここが駅跡と判っていて見ていないと見過ごしてしまいそうな遺構です。
私もレールファンになる前だったら、これがホーム跡だとは思わなかったでしょうし、注意すら払わなかったと思います。
こんもりと盛り上がっている部分がホーム跡だったようです。
待合所からホームまではそこそこな距離があったようです。
こうして見ますと、はっきりと路盤跡が確認できます。
自分でも「レールファンとして進歩したものだ…」と、感心します。
こちらもホーム前の路盤跡です。
私はこのシーンが一番好きですし感動しますね。
28年も以前に廃止されてしまった春日駅の駅名標と、その背景には現在でも営みを続けている人々の生活(郵便配達の車両や商店、住宅)…そしてこれまでも毎年決まって咲き誇る色とりどりの草花たち…その28年分の年模様が凝縮されているみたいな絵柄を感じます。(*オデ君も写っていますし…)
ホーム跡とその一部であると思われる石材が残されています。
石材というのは正しい表現ではないとは思います。
響きが素敵なので石材と書きましたが、“コンクリート材”でしょうね。
かといってRC材にも見えません。
富内線開業当時1922年大正11年と言えば、煉瓦・石材からコンクリートへ鉄道建設資材が標準化され移り変わってゆく時代でした。
若い桜の木が植樹されています。
ここの写真は殆どの人が撮影しないだろうと思います。
誰も撮らないだろうから敢えて説明のために撮影しました。
このバス停を利用している学生さんのチャリでしょうか…
(会社のすぐ近くにも“大江戸線春日駅”がありますので、なんとなく親近感を覚えます)
廃線跡巡り“超初心者”にも大変わかりやすくしかも見応えのある遺構が残されている“美味しい”春日駅であります。
国鉄再建法により1986年に廃止された「富内線春日駅」でありますが、廃止後28年を数える今日でも大変良い状態で維持管理されております。
駅名標のアルファベットには特徴的なフォントが使われていて独特の雰囲気を与えております。
鵡川駅から2駅目の春日駅ですが、鵡川(*河川の名称の…です)河川敷きを眺めますと目の前の夏草の覆い茂った辺りが“路盤”であったのかなぁ~などと想像します。
画面左手方向が「鵡川駅」の方角となります。
廃線のガイドブックで何度か見た記憶のある「下河原商店」…鵡川の下流にあるからでしょうか、この店名…
最初にこの店舗が目に入ってきたときに「あぁ…ここだ!」なんて思いましたね。
北海道の原野に消えてしまった数々の廃駅たちに比べると、春日駅は圧倒的に判りやすいランドマークを持っています。
「廃駅」というには妙にお洒落っぽい外観の春日駅待合所です。
現在は道南バスの「春日停留所」の旅客待合所として使用されています。
やはり、今日も公共施設として使い続けられているということが、こうして良い状態を保っている重要な点であると思います。
駅前の道路を見ます。
この先が鵡川駅方面です。
道路の左手草が繁茂している一段低い辺りが路盤だったようです。
こちらが「旭岡駅」方面です。
駅前広場?から「春日駅」正面を見ます。
右側の白い壁に「春日駅」と駅名標が掲げられている写真を見たことがあります。(*駅前は舗装されていませんでした。)
富内線の駅舎はその殆どが「木造」で春日駅のようなモダーンな駅舎は他に無かったのでは…と思われます。
アルミサッシで作られた待合所はサンルームのように内部はとても明るいものです。
なぜ「春日駅」だけがこの様な意匠を採用したのか…その点は不明です。
その横には道南バスの停留所が見えています。
アルミサッシの引き戸は全く古さを感じさせませんし、きちんとメンテナンスされているからでしょうが、動きもとてもスムースでした。
「虫が入るから開け放しにしないように…」というような意味の張り紙に臨場感を感じます。(*張り紙の主はロータリークラブではなくて“老人クラブ”でありました)
待合所内部も当然のように大変綺麗で清潔に保たれています。
プラスティックのベンチは屋内のために紫外線の影響も少なく、本来の色調と光沢を保っています。
こちらが“ホーム側”になります。
アルミサッシで構成されている壁面は良い状態を保っていますが、屋根はアルミ材ではないらしく、経年劣化による錆が痛々しいです。
左側のドアーが開いているところは「トイレ」のようでした。
清掃用具が備えられ、定期的に清掃が行われているようです。
ホーム跡の石積みと路盤とを見てみます。
ここが駅跡と判っていて見ていないと見過ごしてしまいそうな遺構です。
私もレールファンになる前だったら、これがホーム跡だとは思わなかったでしょうし、注意すら払わなかったと思います。
こんもりと盛り上がっている部分がホーム跡だったようです。
待合所からホームまではそこそこな距離があったようです。
こうして見ますと、はっきりと路盤跡が確認できます。
自分でも「レールファンとして進歩したものだ…」と、感心します。
こちらもホーム前の路盤跡です。
私はこのシーンが一番好きですし感動しますね。
28年も以前に廃止されてしまった春日駅の駅名標と、その背景には現在でも営みを続けている人々の生活(郵便配達の車両や商店、住宅)…そしてこれまでも毎年決まって咲き誇る色とりどりの草花たち…その28年分の年模様が凝縮されているみたいな絵柄を感じます。(*オデ君も写っていますし…)
ホーム跡とその一部であると思われる石材が残されています。
石材というのは正しい表現ではないとは思います。
響きが素敵なので石材と書きましたが、“コンクリート材”でしょうね。
かといってRC材にも見えません。
富内線開業当時1922年大正11年と言えば、煉瓦・石材からコンクリートへ鉄道建設資材が標準化され移り変わってゆく時代でした。
若い桜の木が植樹されています。
ここの写真は殆どの人が撮影しないだろうと思います。
誰も撮らないだろうから敢えて説明のために撮影しました。
このバス停を利用している学生さんのチャリでしょうか…