Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

昭和新山鉄道遺構公園 8月30日 2016年

2017-01-20 | Weblog
開館前の郷土資料館を後にして、次の目的地は「昭和新山鉄道遺構公園」です。

実は先程郷土資料館に向かう時に運転しながら横目で見ていました。

「あれ?やけに小さなスペースだなぁ~」って。

駐車スペースは6台分くらいしかありません。

先の郷土資料館ほどの広大な駐車スペースがあると勝手に想像していたのでビックリです。

駐車スペースの奥に鉄道遺構へアクセスする赤矢印で示した「登山道?」みたいなものが見えます。

「まさかここを歩くの?」と心配になりました。

今は都合の良いことに雨は上がっています。

しかし、またいつ横殴りの雨になるか分かりません。



レインブーツに履き替えレインコートを羽織ります。

撮影機材も持たず、ウエスト・ベルトにぶら下げた「メモ・カメラ」だけで登山道?を上り始めます。

あ、それと“クマ避け”の傘を持ちました。

急にクマと遭遇した時に傘を広げて脅かすと、クマがビックリして逃げてゆく…らしいのですがホントかな?

こちらがビビッているので藁にもすがる気持ちです。



「ふ~ん 170mかぁ 大したことはないな…」と思いながら歩き始めます。



傾斜が思ったよりもきつくて「はぁはぁ」しながら歩いていると、「あと100m」というプレートが出てきます。

なるほど、「あと…」という気持ちが分かります。



「鉄道遺構」に到着です。

意外とコンパクトにまとまった展示です。



傾斜地に残された遺構ですが、橋台自体も傾いているように見えます。





橋台の周りを観賞します。



コンクリート製の橋台はこうして残っていますが、そもそも路盤はどうなっていたのでしょうか…

この辺りは経験が浅すぎて自力で推測推理することが出来ません、残念!



遺構の前にはパネルが設置されています。



「洞爺湖有珠山ジオパーク」とあります。

この一帯はジオパークに登録されているのですね。



パネルには「隆起した大地を削り在来線を保守しながら新線を敷設しました」とコメントの添えられた写真が添付されています。

噴火活動で隆起した大地と復旧作業に従事した方々のご苦労が綴られた手記もあります。



「昭和新山鉄道遺構公園」から数百メートルほど離れた道脇には、写真のような標柱があります。



この時は、写真に雨粒が写るほどの雨降りでした。

画面左隅に霧に霞む「昭和新山」が写っています。

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