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栗原信秀の輝かしい刀匠人生と憐れな末路3 大芸術家栗原信秀と河鍋暁斎

2016年10月15日 | 日本刀

 栗原信秀。これまでどこで何してた?
 嘉永五年(1852年)。38歳の得体の知れない中年男が突然名刀を作り、世に現れた。以後、信秀は
・嘉永六年 黒船来航に対する幕府の軍備増強のため浦賀で駐槌「於浦賀信秀 嘉永六年九月日」
・元治元年八月~慶應三年二月 長州征伐の兵器補給役として大阪で駐槌
・慶應元年五月二日 筑前守受領
・慶應二年十二月 将軍徳川慶喜に脇差献上
・明治二年または三年 天皇の下命により刀剣制作「御用之儀侯条 明三日巳刻出頭 可致候也」本作は天皇より楠正成を祀る湊川神社に納められる
・明治五~六年 天皇の下命により古代剣を写す「以残鉄平朝臣信秀 明治五年三月 模天国 皇命依一八振謹」「模東大寺正倉院宝剣 明治六年一月三十日 信秀」
・明治六年 ウィーン万国博覧会に出品
・明治七年? 招魂社(現靖国神社)の御神体(剣と鏡)制作
 と、八面六臂の活躍をする。

 信秀の活躍は奇才の画家河鍋暁斎の目に止まり、作品化される。「明鏡和魂」がそれだ。
 中央の鍛冶が信秀、後ろで怪物どもを追い払っているのが研師の本阿弥平十郎である。ウルトラマンのスペシウム光線を想わせる画である。
 招魂社(靖国神社)の御神体制作場面とされ、「名匠が鍛え上げた名鏡が、〈洋服を着た〉あらゆる悪鬼羅刹を退散させている。急速に西洋化する当時を風刺した作品。」と評されている(「画鬼と呼ばれた天才絵師、河鍋暁斎の絵にぶったまげる」より)。

 奇才は奇才を知るという事だろう。日本画でも浮世絵でもない全く新しい暁斎の画風は、間違いなく栗原信秀の世界でもあるのだ。
 刀にアメノウズメを彫り込む非常識さ。それまで誰も考えもしなかったウサギの図。どこかユーモラスなダルマさん。等、信秀の彫技は暁斎の画風と相通ずる。
 そして清麿譲りの荒ぶる地鉄に稲妻きらめく雷雲のような焼き刃。
 幕末・明治の歴史を作り出した破壊と創造のエネルギーが、信秀を通じて刀に新たな芸術表現をもたらしたのである。

 栗原信秀とは、日本刀千年の歴史をぶち壊し、そこから新たな芸術を作り出した、大天才、大芸術家なのである。
 



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