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栗原信秀の輝かしい刀匠人生と憐れな末路2 信秀は鏡師ではなかった

2016年10月14日 | 日本刀

 家や車といった高い買い物をする場合、いくつかの候補の中から選ぶのが普通だろう。私が信秀を買った時の対立候補は左行秀だった。
 左行秀は私が刀剣趣味に目覚めた時から欲しいと思っていた刀であり、博物館で実物を見て、その地鉄の美しさ、沸・匂の深さ、焼き刃の明るさに感心した。何より見ていて感じる心の静けさ。それは久能山真恒や安綱、正宗と共通するものであった。私は行秀が欲しかった。
 そんな時、刀屋から行秀が入ったとの連絡があり、見に行くと信秀も置いてあったのである。その信秀は地景の入った強い地鉄に入道雲を想わせる焼き刃が不穏に踊り、何とも波乱を感じさせる出来だった。
 私は信秀を選んでしまった。
 刀屋の主人は「お目が高いですね。これだけ出来の良い信秀は何振りもありませんよ。行秀なら似たようなのがいくらでもあるけど」と言った。
 静けさを求めていたのに、激しい方に行ってしまう。
 故杉田善昭刀匠の作品を手に入れた時もそうだった。
 それが私の業かもしれないが、多くの人々が陥る過ちでもあるだろう。人を煩悩の嵐に導く心の無明である。故杉田刀匠も信秀も心の無明に翻弄されて人生を終えたように思う。関連記事「杉田善昭作品に宿る哀しい力」
 
 信秀は文化十二年(1815年)新潟県西蒲原群月潟村に生まれる。幼名・健次(謙司)。父・栗林氏。母・池氏。弟・信寿。妹・きん。7歳の時父死亡。母再婚。継父・今井氏。異父兄弟二人。母再婚後新潟県三条市古城町に引っ越す。10歳から、①三条市横町の鎌鍛冶・小山小左衛門の下で修業 ②その隣町の金具師・石黒金八の下で修業 の二説ある。13歳~15歳の間にで家を出る。
 と、ここまでは江戸時代の百姓にしては詳しく判っている。だが13歳以後の事は全く判っていない。京都で仏具屋の娘と結婚したとされるが妻の名前は不明。妻との間に一男一女。生涯で養子を3人取っている。
 巷間通説のようになっている、信秀は刀鍛冶になる前は京都で鏡師をしていたとの説は間違いである。
 信秀は京都で生活していたかもしれないが、鏡師だった事実を裏付ける証拠は何もない。例えば左行秀にはリボルバー式拳銃の作例があり、刀鍛冶であるだけでなく銃器製造者でもあった事実が立証されるが、信秀には鏡師だった事を裏付ける物的証拠もなければ何らかの証言もないのである。
 信秀鏡師説がまことしやかに言われるのは、信秀の晩年に鏡の作例がいくつかあり、靖国神社(招魂社)の御神体の剣と鏡も作っているからである。しかし信秀が作った鏡は全て鍛錬した鋼に焼入れして作った鏡であり、鍔制作の技法に基づくものである。鏡師が作る伝統的な日本の鏡は銅で作られる。信秀はそんな鏡は作っていない。
 信秀の鏡は日本刀制作技術を鏡に換骨奪胎した独創的な芸術作品と見るべきだろう。

 通説では、信秀は嘉永二年(34歳)頃清麿の弟子になり、僅か2、3年で師の技を学び取って独立したとされている。その根拠は、清麿最後の弟子である清人が信秀は自分より2、3年先輩だと言っていた事にある。清人の入門時期は嘉永五年五月(宮内省が行った刀鍛冶調査・明治十七年四月実施)。そこから逆算して信秀の入門時期が嘉永二年頃と考えられるようになったのである。
 だが信秀の技量と作域の広さからから考えて、嘉永以前から清麿の弟子であったと見る方が自然だ。あるいは清麿の弟子になる前から刀鍛冶としての技術を身に付けていたのかもしれない。また信秀の彫技は清麿とは別の所で修得したものである。
 信秀自身は晩年、「俺は刀鍛冶になりたくて、ある時小道具屋で一番上手な刀鍛冶は誰ですかと聞いたんだよ。するとその小道具屋が源清麿が日本一だと言うので、清麿を訪ねて行って弟子になったんだよ。俺の師匠は名人だったよ」と言っていたそうだ(同論文部P.73)。
 日本刀の世界で小道具と言えば、鍔、目貫、小柄笄、縁頭である。信秀は刀鍛冶についての情報を求めたのだから、この小道具屋とは日本刀関連の小物を扱う業者だったのだろう。ならば刀鍛冶になる前の信秀は日本刀の小道具作りで生計を立てていたのかもしれない。事実信秀には刀鍛冶になって以後、鍔、縁頭、小柄、小刀の作例が多数あり、それらは皆出来が良い。鍔には「愛蓮」という銘も使っている。刀身彫刻の技術はこれら小道具の彫金技術が基になっていると考えられる。
 しかしこれも単なる憶測でしかなく、ハッキリしているのは嘉永五年(1852年)、信秀は38歳(数え年)でいきなり完成度の高い名刀を作り始めた事だけである。現存する信秀最初期の作例は以下の通り。

『栗原信秀の研究』図版部P.20-21所載
「應好荒川義和 嘉永五年五月 信秀彫同作」刃長72.4 反り1.81 元幅2.9 先幅2.0 元重ね0.75 切先長3.5 中心長18.8 中心に反り僅かに付く 鎬造り 庵棟 
鍛え 板目詰み 地沸付き 刃寄り流れて柾掛かる
刃文 互の目 大互の目交じり 足入り 表所々刃寄り飛び焼き入り やや荒めの沸付き 金筋・砂流し掛かる
帽子 湾れ込み先小丸 僅かに掃き掛ける
彫刻 表草の倶利伽羅 裏護摩箸
中心 生ぶ 先栗尻 鑢目大筋違い 目釘孔一

 以後、信秀は刀鍛冶として華々しい成功を収めて行くのである。


参考文献 『栗原信秀の研究』昭和51年 日刀保新潟支部



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