スペイン日記〜渕崎昭彦〜

フラメンコギターリスト 渕崎昭彦によるスペイン日記です。

マジョルカの宴 最終章

2006-05-18 01:11:49 | Weblog
「本当に美味かったな・・・・・・・」

僕と「英兵衛」はステージ会場付近の「バル」でカフェを取っていた。
バルからは ステージを映し出す巨大なスクリーンモニターを見る事もできた、
何が美味かったのかというと、この会場に来る前の出来事である
ホテルまで我々を車で迎えに来た「佐藤氏」はさりげなく言った。

「どうだい 会場に入る前にちょっと うちの店見てってよ・・」
今までも 何度も声をかけていただいたのに スケジュールの関係で
ずっと立ち寄る事が出来なかったのである。
店内に入って 僕は息を呑んだ・・・
そう まぎれもなく 日本食レストラン「勝軍」は本物だった!!
カウンターの前には 寿司のネタが並び、中庭には日本庭園があり、
絵やら、掛け軸も全て日本なのだ。日本食レストランのほとんどが
華僑で経営されているであろうスペインで こんな繊細な場所があるとは!
案内された 僕たちのテーブルに 味噌汁とのり巻きが並んだ
佐藤氏は、またもさりげなく言う

「ちょっと食べてみてくれない?!」

これも 本物の味だった。一点の曇りもない日本の味である、
この押し付けがましさや、嫌らしさ等無縁である佐藤氏のさりげなく
そして最高の気配りは 僕の胸を打った。最後に彼は言う

「食べてくれて ありがとう・・・・」

僕は思う「この方に会えただけで この遠征は素晴らしかった・・」と


ステージの出番は刻々とせまる、僕の胸はこの世界最高の「味噌汁」のおかげで
アドレナリンが爆発しそうだった。こんなに高ぶって
「早く俺をステージに上げろ!」みたいな気持ちは初めてかもな・・・・
しかし こういう時 時間通りに出番が回ってこないのは 何ともスペインである。
予定の 夜11時?をすぎても始まる気配がないのだ、
我々は 既にステージの袖に待機していた、こうなってくると先程の
アドレナリンはどこかに消え去り 集中力すら失せてくる。
「次か!!!」という時 副市長ホアキンが舞台に上がり 何やら話し始めた
どうも カンテコンクール部門の表彰式が行われるらしい

「??? 表彰式の次に 僕たちがショーをやるの?????」

いくら何でも そんな茶番はないだろう?おまけに僕たちには何の話もない。
眠る人が出るのでは?と思うぐらい長い表彰式  
やがて僕たちもステージにあがり、リーダーである関口氏が
本イベント参加の記念として盾と記念品を受け取った。
基本的には 村祭りだから このイベントに関与した人は皆舞台に上がって
何やら話して「オーーレー・・・」という時間が果てしなく続く
たぶんこの間 無礼にも僕は、ステージで「あくび」した気がする
でも隣にいた「ベンハミン アビチュエラ」もあくびしてた。

この長い表彰式がやっと終わるも僕たちの出番は来ない
行われたのは コンクール優勝者の歌と演奏だ。これも終わり さてどうなる?と
思っていたら 「ベンハミン」ともう一人のスペイン人ギタリストが席についた
「ああ ファイナルのブレリアやるのかなあ・・そうだよなあ・・・」
「むむ??? 我々の出番は自然消滅か???しかし 聞いてないぞお!!」

等の考え事をしていたらば ステージ上からベンハミンが僕を呼び隣の席につかせた。
ますます 判らない状況に僕は心細くなり彼に聞いた
「マエストロ これから何を始めるのでござりますか?」
「はあ? ブレリアに決まってるだろう!!」

そんな会話していたらば ベンハミンが凄い勢いでブレリアを弾きはじめた
何が何だかわからないけど 僕も弾きはじめた、やがて 歌が入り 踊りが入り 宴が始まる
(念のため書いておくと ブレリアというのは 12拍でテンポの速いフラメンコの形式で
 ステージの最後等で即興的に行われる事が多い)

「これはもの凄く嬉しい機会ではないか??」

そうなのだ スペインでスペイン人達とステージで共演できるなんて機会はそうそうない
これを楽しまずして 何を楽しめというのか!!
僕は、エネルギー溢れる歌と踊り、そして圧倒的にドライブするベンハミンのギターに
細胞とあらゆる感性を全開にして堪能した。
「コザト」も唄い そして「関口氏」「小島氏」も踊る。
こうして僕のマジョルカの宴は幕を閉じた。

着替え終わり 外に出てみると 先程まで騒然としていた会場が
宴のかすかな痕跡を残しつつも静寂につつまれていた。 

宴の後の静けさ

僕は、この静けさの中に「諸行無常」の響きをかすかに聞いた気がする
良きも悪しきも時は流れ、存在するのはその「モメント」(瞬間)だけ、
そのモメントだって もしかしたら「夢」や「幻」かもしれない
僕は思う この響きが聞きたかったのだなと



真夜中の3時 僕と「英兵衛」ホテルのテラスに座り「コカコーラ」で
ささやかな祝杯をあげた
「5時間後には グラナダだな・・・・・・・・・・・・・」



マジョルカの宴編  完


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マジョルカの宴 その6

2006-05-12 01:29:07 | Weblog
僕たちは 昨日同様「バル」で練習した後、
会話やら、歌やら、ギターやらを楽しんでいた。

今日でマジョルカも3日目 そして本番2日目でもあり
滞在最終日でもある。

南国独特の太陽と空気のせいなのか、合宿的生活のせいなのだろうか、
それとも本番のステージがひとつ終わったせいなのか
なにやら メンバーとのたわいのない会話とか時間がとても楽しい・・・
メンバーそれぞれの性格とか距離感が上手く溶け合って
不思議なテンションになっていた

昼食は ジュクマジョール市副市長のホアキン氏やら その秘書やら
その他スタッフやら家族やらと取ることになっていた。
青空の下での食事。ハモンやらチーズやらパエージャやらが並ぶテーブルを見れば
当然 昼だろうが何だろうが ビールで喉を潤し そしてワインというものだ!!

「飲むべきか・・・はたまた我慢すべきか」

ここでまたまた恐るべし葛藤が始まる

一人の僕は言う    「君は演奏前にアルコールを取るのかね??」
もう一人の僕は言い返す「スペインでは水もビールも同じだべさ!」
僕は反論する     「酔った頭でギターを弾けるほど 甘くはないだろ!」
更に僕はささやく   「だいたい お前は頭が固いんだよ 何をそんなに
            頑なになるのだ!お前の悪い癖だ 
            ほれほれ 欲望に身を任せたまえ!!」
僕はつぶやく     「むむむ 反論が思いつかない・・・」

僕が一人嘆いていると 隣からけたたましい笑い声が聞こえてくる
横を見ると なんとケシカラン 歌い手「コザト」がすでにワイングラスを片手に
盛り上がってるのではないか!!!
という事で 結局僕は水を飲みながら ひとりつぶやいていた。
「くっくっく 今に見ておれ・・・」 我ながら意味不明である。

この食事で 僕は生まれて初めて「子うさぎの丸焼き」なるものを食べたのだが、
これが 本当に うさぎそのままの形を焼いたものが皿に乗って出てくるのだ、
手づかみで食べていると どうも自分が「オオカミ」やら「ライオン」のような
肉食獣であると錯覚さえしてくる。 
基本的に「魚」を食し「繊細な料理」で長い歴史をを過ごしてきた民族の血を持つ僕は
妙に納得してしまった。

「スペイン人が追い詰められたときに発する
 訳のわからないエネルギーの源はこれか????」 

食事後 ホテルに戻った僕は 夜の本番に向けて
まずプールに浮かんだ。だらだら 練習するより一度リフレッシュしたほうが
集中力を増すという理由だ・・・と言いたいところだが
ただ 水に浮かびたかっただけである

夕刻 「関口氏」と「コザト」はラジオ番組に生出演する予定だったが
急に「ギタリストにも来て欲しい」との事で部屋に電話があり、
プールから上がったばかりの僕は「おろおろ」して
せっかくの機会だが「時間までに準備が出来ない」という理由でお断りした

でも 僕のスペイン語力では ラジオのDJとの会話が成立するどころか
番組そのものが成立しなくなるのではないか?
まあ僕が心配する事ではないけど・・
ちなみに「コザト」はこの生放送で 「無伴奏タンゴ」を歌ったそうだ。あっぱれ!
 
 
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マジョルカの宴 その5

2006-05-09 01:47:42 | Weblog
「いつ始まるのだろう・・・・・・・・・・・」

僕たちがステージ上の椅子に座って既に10分は経過している、
野外ステージだから お客さんにも丸見えだ!
何故 始まらないかというと マイクの音が出ないのである・・
やれ「配線がおかしい」とか「モニターが聞こえない」とか
何ともスペイン的というべきなのか おかげで「緊張」はどこかに飛んでいた

ある じいさんが舞台上にあがって「マイクは大丈夫ですか?」と聞いてきた
「むむ?」 何と日本語だ! 
彼は言う 「私は トマス デ マドリー です」

「なんで 踊りの巨匠が マジョルカでマイクのセットしてるんだ??!!」
なにやら チンプンカンプンだけど 一応セット完了らしい

僕は 静かにイントロを弾きはじめた。モニターの音も聞こえていた
やがて 曲にリズムが入り パルマ「手拍子」が入った途端恐れていた事が起きた
このステージ上 恐るべし宇宙空間とでも言えばいいのだろうか??
パルマの音が モニターとの時差で分身エコー状態の極地なのだ!
この時 メンバー全員の目が合って 今もその表情は覚えているが
残念ながらこれを言葉で言い表すことは不可能だ

そんな状況をよそに マジョルカのお客さんは暖かかった
極東からはるばるやってきた僕たちに 惜しみない拍手やハレオ(声援)を
送ってくれている。そしてどんな時も本番のステージは一瞬で終わる。

ショーが終わり 舞台を降りたとき 一人のおば様に腕を鷲づかみにされ
「あたしゃ マラガ出身なんだけどね! あんたのギター聴いて
 鳥肌たったよ!! 見なさいこの肌を!!!!!」
僕は 丁重に礼を言い ベシート(スペイン式挨拶)をした

「こんな嬉しいこと言ってくれる人がいたのだから 良しとするか・・・・」
1000人のお客さんのうちに 一人ぐらい僕を褒める人がいたって
たぶんばちは当たらないだろう・・・・・・

ホテルに戻った僕たちは部屋に集まり「英兵衛」が撮影してくれた
ビデオを見ながらステージのチェックをしつつ 明日の作戦会議をたてた。
音響に関してリクエストできるのは せいぜいスピーカーやモニターの位置変更の
希望ぐらいだろう。
メンバー全員 誰も自分のプレイを音響のせいにする気など毛頭ないし、
ステージ上での音響トラブルは頻繁に起こりうる事であろう
本物のアルティスタ達は どんな悪条件でも人を感動させるものを見せてくれる
ただ 僕たちは僕たちなりに肉体も精神も全力を出したいだけなのだ
そして 同時に僕は自分にこうも思う
「愚か者渕崎よ おまえは何故こうも欲深いのだ・・・・・・」

英兵衛は僕に言う
「あれだけ 拍手もらって 他に何が欲しいの?・・・・・」

全くだ!!  さて明日は何が起こるのだろう

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マジョルカの宴 その4

2006-05-03 02:10:42 | Weblog


僕は 異国にいると どういう訳か早起きになる。
見知らぬ土地の朝を見たいという ささやかな欲求だったり、
緊張感だったり、興奮だったり いろいろ理由はあるのだろうけど
やはり今晩のステージへの不安なのかもしれない

昨晩のアドレナリンがうまくクールダウンされなかった事もあり
かなり寝不足だったが ここで再度眠る訳にもいかない
僕はラテンの英知とも言える「シエスタ」を昼食後に取る旨
ひそかにたくらんで朝食に向かった。

今晩のステージ本番だが、リハーサルはおろか音響のチェックをする時間も
ないとのことである、まあ屋外で行われるフェスティバル形式のものだし
いた仕方ないといったところだが しかしスタジオとまでは言わなくとも
せめて 1時間でもいいから どこかでグループ練習はしたい。
特に 踊り手の二人は飛行機の移動後であるにも係らず 
ほとんど足慣らしもしていないし、
歌い手だって ホテルの部屋では全開で声を出せない。

コーディネーター佐藤氏は この我々のリクエストを聞いて
彼が経営している「バル」を練習場所として提供する旨申し出てくれた。
日中は営業してない?という事で 最高の好意をありがたく受け入れることにし
これで 我々は 「スペインでぶっつけ本番」という勇敢な行動をする
必要も不安もなくなったわけである

この頃 一人の男が グラナダから飛行機でマジョルカに向かっていた
その名は「英兵衛」 僕の偉大なる友人が応援に駆けつけてくれたのである。
彼の出現でどれだけ勇気をもらったことだろう
僕は 久々の彼との再会の楽しさに併せて
自分の不安を誤魔化すかのごとく 彼と話し込んでいた

彼は言う「指揮者の 小沢せいじさんの言葉なんだけどね・・・」
僕   「ん・・・・?」
    「本当に音楽に集中してる人間は緊張する暇なんてないんだって」
    「!!!! 」

ステージの出番は 夜11時前後の予定である。
我々は車で 会場である「ジュクマジョール市」へ向かった

「おおお  スペインの祭りだ!!」

僕は すっとぼけた感想を口にした。
PLAZAに設置されたステージ 1000人以上は座れるであろう座席の数
後方には スクリーン画面まで設置されている。
そして このスペイン人たちの喧騒・・・・・・・

控え室で準備していると 外からギターの音と歌声そして拍手が聞こえてくる
僕は 興奮してくる自分を感じつつ

「なんて 久しぶりなんだろう・・・・・・」

そうつぶやいていた。
久しぶりも何も スペインの公の舞台で演奏するのは初めてだ!
僕は 1年半ぶりに見る スペインの宴の喧騒や空気、
そして久しく遠ざかっていた自分の「胸の高鳴り」に対して
思わずつぶやいてしまったのだろう

つづく
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マジョルカの宴 その3

2006-04-29 02:30:55 | Weblog
「何て 心地よいのだろう・・・・・・」

ホテルのプールで一人浮かんでいた僕は マジョルカの太陽と水の中の静寂を
堪能していた。人間はリラックスすると 心も体も軽くなるのであろうか・・
僕は 思考を完全に停止し「イカ」の気分でいた。

部屋に戻った僕は ケースからギターを取り出し、音を出してみる。
指の鈍さよりも 音の響きの良さにびっくりした。
「そうだ スペインの音だ・・・・・」
ホテルの部屋のつくりもあるだろうが この程よく乾燥した空気とギターの関係は
相性抜群なのである 1年半ぶりに聞くギター本来の音に喜びを感じながら
約2時間ばかり 驚くほど集中して基礎練習に没頭した。

さて その晩招待されたレセプションというのは
本イベント 即ち「ジュクマジョール市 カンテコンクール」の前夜祭?
みたいものである。 僕は、ステージ衣装以外の正装を持ってこなかった事を
少しだけ後悔しつつ カバンの中に何故ゆえに持ってきたか わからないが
以前ポルトガル リスボンの蚤の市でエクアドル人から買った
インド製 白上下の服?を見つけた。
「これだ!」 
僕は満足気にそれを身にまとい リーダー関口京子氏に見せびらかしにいった。
関口氏は言う

「・・・・・・・  尊師みたいね」

結局 下のズボンをステージ用の黒のパンツに着替えた
最初から こうすれば良かったのだ・・・・・・・・・・。

レセプション会場は ある建物のパティオ(スペイン風中庭)で行われた。
中には 簡易ステージも用意され テーブルにはビール、ワイン、シェリー酒やら 
ハモン、チーズ、その他もろもろが並んでいた。
ギタリストのベンハミン・アビチュエラを紹介され 握手を交わす。
彼は今マジョルカに住んでおり オフィシャルギタリストとして
本日も演奏するとのことだ。

同じテーブルのセニョーラ(貴婦人)達は 僕たちにフラメンコ談義を始める。
「カンテは やっぱり ニーニャ デ ロス ペイネスよね」
「いや マノロ カラコールよ」「伴奏は メルチョール マルチェーナだわ」
と言った具合に 古典フラメンコの名手たちの名前を繰り出す
「むむ この地にこんなアフィシオナーダ(愛好家)がいるとは・・・」
そうこの貴婦人たちは 明日のコンクールの審査員なのである。
中には やはりセビージャ出身の方もいた。
 
先程も建物の内部で フラメンコのアーティストの写真やら
民芸品やらアンダルシアを彷彿させるもの見た、だいたい部屋の中身が
アンダルシア風になっている。
「そうか この島にもアンダルシアの移民がたくさんいるわけで
 ここはその県人会?の公民館??みたいものなのだ!!」

夜は更け 更に時差ぼけと眠気でお酒が回ってくる。
ステージでは ベンハミンが片っ端からおっさん達の歌伴奏をしていた
歌うおっさん達がどんなに音程を外そうと コンパスを失おうと
眉ひとつ動かさず 何事もなかったかのように伴奏している

そんな時 予感は当たった。 日本人チームで何かやってくれというのだ。
貴婦人たちの ハレオ(囃子声)を背に、僕はベンハミンにギターを借り
メンバー全員でブレリアを始めた。

屋外に鳴る僕の音は残念ながら不本意な音だった。
「あれ? おかしい」
お酒のせいでもない、楽器のせいでもない、音響のせいでもない
ましてや 緊張のせいでもない
単に先程まで耳にしていたベンハミンの音の強さとドライブの残像との比較だ

ブレリアを終えると 暖かい盛大な拍手とアンコールをいただき、
喜びと安堵感ととまどいの中 明日本番用のファンダンゴを披露した、
更にセビジャーナスのリクエストコールになり
我々がセビジャーナスを始めると 場内のほとんどの人々が踊りだした。
「おお 何ということだ・・・・・・・・・・・・」

帰りの車中 まだ醒めない先程のセビジャーナスの興奮と
頭に鳴り響くベンハミンの音の残像を聞きつつ 明日の事を考えた

「明日の本番は 何が起こるのだろう・・・」

つづく
 


 
 
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マジョルカの宴 その2

2006-04-24 02:01:06 | Weblog
僕たちは 成田を発ち「コペンハーゲン」「マドリード」を
経由して マジョルカ島「パロマ」行きの便に搭乗した。

最近のヨーロッパ便は 機内食はおろか カフェも全て有料なのだろうか、
僕は空腹を我慢しながらも 久々のスペイン上陸への喜びをかみ締めていた
僕の隣の席にいた マジョルカの少女二人が興味津々でこちらを見ており
久々のスペイン語でたわいのない会話を楽しんだ
もちろん 僕のスペイン語力では 本当にたわいのない会話なのだが。

空港に到着すると マジョルカ在住の佐藤氏が出迎えにきてくれていた。
(本件のコーディネター的な存在、
ちなみに彼は 日本料理「勝軍」・・将軍ではありません・・のオーナーであり
マジョルカの日本人会の会長でもある。そして 柔道の先生でもある) 

僕たちは佐藤氏の車の中で 街中に入った。
「これが マジョルカか・・・・・」
そこは まさにヨーロッパの高級リゾートなのであろう
旧市街を抜けると 海岸通りに高級ホテルが立ち並び
港にはクルーザーが停まり、道端ではバカンスを楽しむ若者たちで
にぎわっていた。
「リゾート」 これが僕の 正直な第一印象だった。
当然ながら一面だけを見て その町を判断するのは危険である、
僕は 車中で一人つぶやいた
「渕崎よ お前はまだ何も見ていないと・・」

翌朝 眠りから目を覚ました僕はホテルのベランダに立った  
 入り込む日差し、かすかな湿った潮の香り、
飛び交うカモメたちは 僕を旅人の気分にさせた

その日の スケジュールは夕刻のレセプションまでフリー、
さて何をしようか・・とはいっても 僕たちは遊びにきたわけではない

一人の渕崎は言う 「お前の指は飛行機の移動で鈍っている・・・
          今すぐ練習を始めなさいと」
もう一人の僕は言う「いや 初めて見る町を見てまず感じるべきではないか?」
更に言う     「いや そういう 中途半端な気持ちで
          ステージに上がるのは言語道断 失礼であると」
そして      「いやいや このわずかな遊び心こそ フラメンコの
          大事な一面でもある 硬く考えるとプレイも硬くなる」
         「ばか者! お前は日本代表??だぞ!!真面目にやれ」
         「いやいや不必要な見栄は捨てるべきだ
          真理とはそういうものではない・・」

僕は どんどん大げさになる一人会話をさっさと放棄して
午前中を近隣の散歩と用事に時間を使い、昼食後に集中して練習することに決めた

そして昼食後 僕はなぜかホテルのプールに浮かんでいた・・・

つづく



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2005夏 マジョルカ島の宴 その1

2006-04-20 01:43:01 | Weblog
昨年夏(2005年)僕はスペイン マジョルカ島での演奏の機会に恵まれた。

前回のスペイン留学から帰国して1年以上が過ぎ、僕は再度グラナダに向かうべく
スケジュールの段取り、航空券の手配などを検討している時だった。
家で考えを廻らせているときに その電話は鳴った。

フラメンコ舞踊家であり いままでもお世話になっていた関口京子氏であった。
彼女は言う「先日 高円寺の店 エスペランサでショーを見に来ていた
マジョルカ島ジュクマジョール市の副市長であるホアキンなる人物より
誘いがあった。8月末に現地で行われるカンテ(歌)のコンクルソ(コンクール)で
ゲストとして日本人グループを招待したいと・・・・・
ついては ギタリストとして参加する気はないだろうか?」
僕は この予想を超えた話を認識できなかったらしく
「エスペランサで 僕がカンテ伴奏をするのですか?」などという
すっとぼけた質問をした 関口氏に再度同じ話をしていただき
ようやく理解し もちろん快諾した。 

踊り手 関口京子、小島裕子  歌い手 小里 彩
ギター 渕崎昭彦 以上4名の編成が決まり 
約20分の持ち時間から 
「タラントの音調のファンダンゴ」
「アレグリアス」・・小島 
「ソレア」・・関口 
「ブレリア」 という演目が決定され エンサージョ(練習)は進んだ。

ここで ふと冷静に考える

「いくらアンダルシアでないといっても
やはり スペインである、ここで 日本人がフラメンコをやって
果たして喜んで貰えるのであろうかと・・・・・・・・・・
ついでに言うならば スペインギター界のレベルの高さは圧倒的だ
ここで 僕なんぞが弾いたら トマトをぶつけられるのでは!!!?
そして もしそんな事になったら もう日本には戻れない・・!」

こういう事は 一度考え始めるとはっきり言ってきりがない
考え続けても 不安は解消されないだろうし
2,3日寝ないで練習して 急激にギターが上手くなるわけでもない。
僕は 見栄を捨てて 「謙虚さと敬意をもって演奏する。」
これを胸に刻み込み 精神の安定を戻していった。

出発日の8月31日 僕はいきなり寝坊して、成田空港での待ち合わせに遅れた。
飛行機の中で僕は考える。
「この大一番で遅刻するとは 僕は 物凄くだらしない人間に
なっているのではないか・・・いや これは達観していつのまにか
大人物になってきたのではないか・・・・」と

やれやれ・・・・・・・・・・              つづく

 
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おお成田空港よ

2006-04-18 01:12:16 | Weblog
僕の職務は 成田空港のセキュリティー業務(常駐警備)だった。
日本の表玄関の名の通り 行き交う世界中の人々を見て僕は興奮した。
この特殊な職場で長い年月を費やした僕が やがて世界に興味を
持ち始めたのは ある意味自然な事だったのであろう、

しかし 24時間勤務でシフトする仕事は体力的にも、精神的にも
楽なものではない、仕事の性質上 忍耐力と緊張状態の持続を要求される、
僕は 仕事と日常に忙殺され いつの間にかギターは埃をかぶり
やがては押入れの片隅にしまわれていた。

入社して3年が経過した頃 僕は仕事以外で 
何か新しいことにチャレンジしたい衝動にかられ「ジムカーナ」と呼ばれる
自動車のタイムトライアル競技に情熱を傾けていた。
0.1秒を競い合う 勝ち負けの明確なこのスピード競技の世界には
麻薬的要素があり、会社の給料をほとんど投資してレースにエントリーする
という生活が約5年近く続いた。

職場は変わらず成田空港であった。
業務上 観察眼を養うことが必須とされていた僕は、
行き交う外国人を見ながら 「あれは アラブ系・・あれはスラブ系・・
あれはユダヤ系?・・」等 観察し、機会を見つけては話しかけ
それぞれの国の言葉で挨拶等を学んでいた。
その興味は やがて世界の歴史や宗教に向かい始める
同時に 「コミュニケーション」というテーマを意識し始めていた。

この興味は やがて旅という形を取るようになる
南へ向かうと言い「フィージー」へ
北へ向かうと言い「アラスカ」への旅を終えた僕は、6畳間の畳の上に
世界地図を置き ユーラシア大陸を西に向かって眺めた
途中「インド」で目をとめた そして更に西へ目を向けた
そこには「スペイン」と書かれた国があった。

「スペイン」何と心地の良い響きだろう
それだけを理由に 僕はスペインへ向かうことになった
1996年 秋の出来事である


  
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バンド時代

2006-04-15 22:52:52 | Weblog
高校一年生の冬
やっとギターを手に入れた僕は練習に明け暮れていた。
もちろん 音楽をやってメッセージを伝えようとか、表現したいとか、
プロになるんだ!とか そういった崇高な目的等なく
あるのは ただカシオペアの野呂一生さんの様に弾きたいという
純粋な気持ちだけだった。 楽譜を買うにも、ギターの機材、消耗品を
買うにもお金がかかる事を知り、コンビニでバイトも始めた。
ギターを習うなんて事もなく たまに友人の家に遊びに行き
弾いているのを見て勝手に参考にしていた。

そして バンドの相棒となる友人に出会うことになる。
ヘビーメタル、ロック、ポップスバンド全盛の僕の学校で、
フュージョンをやろうとする者などほとんどいないと思っていたが
この 会沢浩一というベースを持っていないベース弾きと意気投合し
いつの日かのライブを夢見て バンドを始めることになる。
今では 笑ってしまうが 電話の受話器ごしに練習するほどの
熱中の仕方であった。 ちなみに この相棒は今思い出しても
非常に音楽センス、感性を持ち合わせた男で
今はどこで何をしてるのかも不明だが 僕に多大な影響を与えたことは
間違いない。

やがて 高校3年になり ドラムス、キーボードのメンバーも
確定し、我々は札幌市内のライブハウスで演奏をするようになった。
まさに 青春という言葉を使ってもいいのでは?と思うぐらい
楽しく 熱い時を過ごしていたと思う。

しかし メンバー達は大学受験の準備を機に バンドは自然消滅、
そして そのまま卒業 僕は就職のために上京することになる。
僕は まだ似合わない紺のスーツを着用しボストンバッグを左手に持ち
何を血迷ったか 右肩にギターをしょって 
都内にある会社の本部(受け入れ先)に挨拶に行った。

僕は言う 「失礼します!」 
社員は言う 「君は何だい?」
「新入社員の渕崎です 札幌から来ました!」
「君は仕事をしにきたのかい?」
「はい!!!!!」
「いや なぜギターを持ってるのだね・・・?」
「・・・・・・」

こうして 僕は社会人の第一歩を踏み始めた
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ギターとの出逢い

2006-04-12 01:56:16 | Weblog
スペイン日記に入る前に 僕とギターとの出逢いを簡単に書いてみようと思う。

初めてギターに触れたのは中学の音楽の授業だったと思う。
音を出して何となく親近感みたいものを感じていたことは記憶している。
その頃親しくしていた友人から「カシオペア」というフュージョンバンドの
テープを聞かされ次第に音楽に興味を持ち始めていた。
やがて中学を卒業し高校生となるわけだが、その頃にはカシオペアの
ギタリストである「野呂一生」さんの演奏にすっかり虜になっていた。
ということで 財力を持たない15歳の僕は 母に交渉を持ちかける。
「エレキギターを買って欲しいのだけど」 「駄目」
わずか5秒で交渉決裂。 以降3度にわたり交渉するも全く話にならず
僕はアルバイトをして自分で買うことにした。
ということで選んだバイトは 郵便局の年賀状配達である。
札幌の雪道を 重い郵便物を持った自転車で駆け巡るのは なかなかの労働だ、
そして時給は当時410円。 アルバイト最終日 郵便局に向かいながら
僕は考えていた 「アルバイト料を全部足しても僕の欲しいギターを
買うためには一万円足りない・・・・・」と。
僕は 相当考え込んでいたのだろう 自転車に乗っていた僕はそのまま車道に
飛び出し そして車に轢かれた。自転車はぐちゃぐちゃになったが、
雪のおかげで人間は無傷だった。 運転者は僕に「馬鹿者!!」と怒鳴り
そして自転車の修理代だと言い 財布から1万円を出し 僕に渡し去って行った、
僕は状況を飲み込めない頭で考えた「これでギターが買えると」
こうして 初めて手にしたのが「ヤマハ SG800」というエレキギターだ。
ギターを買った喜びを抑えられず 雪の中 家まで走り転んだことは
今も鮮明な記憶だ。こうして 僕のギターとの関わりが始まった。
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