いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

人が食ってるモノを見て

2008-02-27 01:24:31 | 特選いぶたろう日記
「今日もそれ食べてるの~?好きだね~」
「~~さんって、いっつもソレ食べてるよね~、飽きない?」
「毎日~~じゃカラダに悪いんじゃない?」

等々、コミュニケーションのつもりだか、
マメ~に観察してはコナかけてきたり、
あるいは先入観でものを言ったり。
そういう人、身近にいませんか。

飽きねえから、食ってんだよ。
あるいは飽きてるけど、やむなく食ってんだよ。
カラダに悪いのなんざ百も承知だよ。

・・・3、


・・2、


・1、




ほっとけあほぅ!


で、こっちがほっといてくれバリヤーを張ると、

「こっちは心配して言ってあげてるんだよ~」
「ちょっと言ってみただけじゃな~い」

とくる。

じゃあ何か。

あんた方は雑木林行ったら、
そこらじゅうのカブトやクワガタやアブラゼミに、

「今日も樹液ですくゎぁ~~?」
「飽きませんくゎぁ~~?」

とか声かけて廻るってのかい、おう?

小さな親切、大きなお世話、中途半端の愛想笑い。
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川を何と呼ぶか

2008-02-11 04:19:23 | 教えてみよう
「ミシシッピ河」は、"Mississippi River"。
「ナイル河」は、"Nile River"。
「アマゾン河」だって"Amazon River"。
「長江」も"Chang River"。

なのに、なぜ。

「荒川」は"Arakawa River"なのだろう?
なぜ、"Ara River"ではないのだ?
「江戸川」も"Edogawa River"だ。

謎が謎を呼ぶ。
誰か教えて。
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誕生日なのだった

2008-02-06 23:30:18 | いぶたろう日記クラシック
33回目の誕生日を迎えました。
実に多くの方々からお祝いのメールを戴いてしまいました。
いやー、恐縮です。
覚えててくれるってのが嬉しいよね、ほんと。
みんなそれぞれに覚えてる年齢が違うってのもまた一興(笑)。
10万いくつとかお約束も忘れずに(笑)。
とにかくどうもありがとう。

実は今、自宅のネット環境が移行中で、
現在メールもネットも出来ない状況です。
繋がり次第、お礼のメールを書こうと思ってますが、
ひとまずはこの場を借りてお礼を述べたいと思います。


さて、忙しいのはようやく一段落したんだけど、
いまはちょうど中学入試の結果が出てくる頃でね。
2年間本当に密度の濃い時間を過ごしてきた子どもたちが、
悲喜こもごもの報告をしてくれるんだよ。
喜びの報告はもう、一緒に万歳でいいわけだけど、
辛いのは本当に頑張ってた子が結果に恵まれなかった時。
僕は偏差値で学校の価値を計る考え方は嫌いで、
自分の目標校に果敢に挑戦する、
そして努力は100%の成功を保障してくれるものではないと知る、
しかし努力無しには何物もなし得ないということも実感する、
この経験こそが人間としての成長を呼ぶと信じているけれど。
それにしたって、やりきれない。
たかが紙切れ数枚の出来不出来で、あんなにいい子たちがばっさりと切られるなんて、
その厳しさこそが現実の世の中でもあるのだろうけど、
やっぱり、つらい。

決して少なくないんだけれど、結果論や技巧論、ましてや精神論で
傷ついた子どもたちに横合いから偉そうなことを言う大人は大嫌いだ。
塾の先生としては大甘なんだろうけれど、
やはり僕は彼らと共に歓喜も傷心も分け合いたい。
その上で、これがすべてじゃない、
ここからが大事なんだ、見失うなと言い続けていたい。

それは音楽を途中で諦めざるを得なくなった、
僕自身の心の声でもある。
彼らがそれを受け止めて大きく成長してくれるとすれば、
それはそのまま僕の存在証明でもある。
教師として、なんて職業意識的なものはわりとどうでもよくて、
一個の人間として、だ。
彼らの涙に向かい合う、この時間の重みを忘れない。

そうして僕の道のりもまた、まだまだ続くのだ。
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久方ぶりの

2008-02-04 00:08:40 | せんせいとよばれて
大雪だね。
地球温暖化が叫ばれる昨今、
まだまだこういう日があるとちょっとほっとしてしまう。

しかし、一方でこの日に勝負をかけた受験生には過酷な試練だ。
まして今日は2月3日。
初日の1日ならいざ知らず、3日というのがまた厳しい。
というのは、1月中旬の千葉から始まって、
東京都内の私立入試を2月1日・2日とこなして、
なお思わしい結果の出ていない受験生たちが多く臨むのが、
この日以降の入試なのだ。

無論それがすべてではないし、受験というのは厳しい、
勝負の世界はそういうもんだといえばそれまで。
しかし弱冠12才の彼らが、
どれほどの重圧の中、どんな思いで闘っているか、
生で知っている僕としては、そんな安易なあるべき論には乗れない。
遊びたい盛りの彼らが色んなものを我慢して、
懸命に腕を伸ばして、それでもなかなか届かなくて、
最後に一縷の望みを託して戦場に赴くその日に、こんな雪だなんて。
自然現象に何を言っても仕方ないが、「無情の雪」だな、と思う。

中学入試の世界では色んなことを言う人がいる。
でもそのほとんどは、大人の視点だ。
技術論に傾斜していたり、精神論を振りかざしたり、
単なる理想論だったり、よくできた営業トークだったり。
僕がそれらを批判する権利はないが、違和感を覚える機会は多い。
もちろん現場レベルには多くの心ある先生がいると信じたいが、
それが具体的に見えない以上、
せめて僕くらいは本音で彼らと向き合う存在でありたいと願う。

僕は思う。

努力は100%の成功を保障してくれるものではない。
しかし、成功した者はすべからく努力している。

これに尽きると思う。
これを信じるしかないのだとも。
テレビや漫画とは違って、苦労の果てにハッピーエンドが待っているとは限らない。
努力だけではどうにもならないこともある。
世の中とはそういうものだ。
それを知ることが何よりも大きな勉強なのかも知れないし、
何より、そのために重ねた努力の日々が、
結果によって倍の価値を持ったり、ゼロになったりするものではない。
たまたま今回は結果につながっても、その後で失敗することはままあることだし、
たまたま今回は結果につながらなくとも、その後で取り返すことは十二分に可能だ。
何より大切なのは、自分を見失わないことだ。
人生はまだまだ続くのだ。
人生の価値は紙一枚の点数で決まるものではない。
君たちのすばらしさは他ならぬこの僕が認めている。
誇りを持って、生きていって欲しい。


雪、か。
思えば雪の積もった朝を純粋に喜べたのはいつの日までだったか。
いつの間にか、困ったなあ、鬱陶しいなあと思ってしまう自分になっている。
そう思うのは、責任のある何かを背負った証拠なのだろう。
つまりはいい加減大人になった、ってことか。
それが良いことなのかどうかは、まだちょっとわからないけれど。
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