今日は夕方から某所へ。
僕の家から60km近くあるこの地まで、高速で1時間と少し。
約束の時間に少し遅れて、
久しぶりに会う大学時代の仲間たちと合流する。
大学時代はとにかく毎日遊び回っていた記憶しかないのだが、
特に1年生の頃の僕は糸の切れた凧のようだった。
大学生とは名ばかりで、毎日キャンパスには現れるものの、
講義にはほとんど出向くことなく、
いつでも居場所といえばサークルのたまり場か雀荘、スタジオ。
そうでなければアルバイト。
ほとんど家にも帰らなかったような毎日を過ごしていた。
そんな僕が、いったいどこで寝泊まりしていたのかと言えば、
1年生の頃はたいてい親友Mの家だった。
Mはプロレス好き、サッカー好き、バンド好き。
アウトローを気取る剛胆な見た目によらず意外に繊細で、
理屈っぽくってナルシスト、でも憎めなくて、
情に厚くて面倒見がよいので、誰からも慕われる男だった。
僕はこのMと入学早々に意気投合し、
1年の時はもうほとんど彼とツルんでいたといっていい。
国領にあった彼のアパートにはいつも僕が寝泊まりしていて、
しょーもない話で一晩中騒いだり、桃鉄やったり麻雀やったり、
夜中に牛丼食いに出たり、いま思うと実に贅沢な時間を過ごしていた。
「アチャー」と「何事?」が口癖で、
それはそのまま僕の口癖にもなってしまった。
いまでもクチをついて出てしまう。
2年からはお互い彼女ができたり、友人関係も拡がったり、
僕もバンドに費やす時間が長くなったりもして、
以前ほど濃厚な付き合いではなくなったけど、
それでも何かというと一緒になって後輩をいじったり、
飲み会の幹事やったりと、気心の知れた関係は変わらなかった。
卒業後、僕は本格的にバンドを始め、
彼だけでなく中高や大学の友人たちと疎遠になってしまった時期があった。
それでも彼は僕のことをずっと応援してくれていて、
大きなイベントライブになるとサークル仲間を引き連れて観に来てくれもした。
なかなかゆっくり会って話す時間は作れなかったが、変わらず僕の親友だった。
そんな彼が亡くなったのは4年前の冬のことだった。
以前からの難病で入院したとは聞いていたものの、まさかのまさか、だった。
突然の訃報に、胸の奥を鋭利な氷柱でひと突きにされたようだった。
12年前の夏に突然倒れ、数々の手術を乗り越え、ずっと難病と闘い続け、
一時は劇的な回復を見せたのだけれど、最後は本当にあっけなく逝ってしまった。
そして僕は、元気なウチに彼を見舞うことも、
彼を見送ることもできなかったばかりか、
訃報に接してなお、あまりのことに気持ちの整理がつかず、
お葬式にすら行くことができなかったのだ。
行けば、認めざるを得ない。それが怖かった。
とてもじゃないがアイツの亡骸なんて見られない。
焼香なんか冗談じゃない。
ずっと遠いどこかで生きていることにしたかった。
やり過ごしてしまいたかった。
彼は最後まで彼らしく、明るく気丈に振る舞い、
病人のくせに周囲に気を遣い、その姿にまた彼を慕う仲間たちが彼を支え、
そして溢れる創作意欲で闘病記をブログで発信したり、
様々な形で作品を創りあげたりしていたそうだ。
とにかく好奇心とバイタリティの塊のような男だった。
こんなに早く、さぞ無念だったと思う。
あれだけの交誼がありながら、生前に彼を励ますことも、
最期に見送ることもできず、自身の感傷に押しつぶされ、
どうしようもない恥ずかしさや後ろめたさも手伝って、
僕はしばらくお墓参りにも行けずにいた。
それが、今日、ようやく仲間たちと行けることになったのだ。
数年ぶりに再会した彼は、当たり前のことだけれど、冷たい石になっていた。
墓標を目の前にしてもなお、僕にはまったく現実感がなく、
どうして今日Mは来てないんだ?などと、
頓珍漢なことさえ頭に浮かぶ始末だった。
形として線香を手向けはしたけれど、
手を合わせることも、墓石に語りかけることも、
まるで生者にそれをするかのような、
タチの悪い冗談のような気がして、やはりできなかった。
昔の写真を何枚か、そっと墓石の上に置いた。
そこにあるのは彼の足跡だけで、やはり彼はもういなかった。
墓参後にMの奥様にお目に掛かり、可愛らしい双子に会うこともできた。
奥様は心優しく慎み深く、またたいへんに情の深い方で、
おひとりで二人のお子さんを育てることの苦労など微塵も触れない。
ただただ、Mの忘れ形見を大切に大切に守り育てていらっしゃる。
そんなご家族の思いを察するに、僕なんかが何を言えた義理でもない。
仲間が用意した塗り絵やおもちゃのプレゼントを手に、
うれしそうにはしゃぐ子供たちを見つめるばかりだった。
彼らがじっと堪えているだろう言葉を、
僕が口にすべきでないこともわかってる。だけど。
僕は当たり前に居るべき彼がここにいないことが、
急に姿を消してしまい、その後いつまでも現れないでいることが、
さびしくてたまらない。
人間は必ず死ぬ。
でも、何度かに分けて死ぬ。
たとえ肉体がなくなっても、
彼の記憶を留めている人間が居る限り、彼の精神は死なない。
何十年も経って、彼を知る人がいなくなっても、
この子供たちが彼の血を継いでいく。
彼らは父の面影すらも知らないけれど、
毎年彼らに絵本やおもちゃをプレゼントしてくれた、
不思議な大人たちのことは記憶に留めてくれるだろう。
それがみんな、彼らの父を慕う仲間たちであったことも。
人間はそう簡単に消えてしまったりしない。
そう信じることだけが、この寂しさを少しだけ和らげてくれる。
でもさ、M。
お前に聞いてほしい話が、いっぱいあるんだぜ。
僕の家から60km近くあるこの地まで、高速で1時間と少し。
約束の時間に少し遅れて、
久しぶりに会う大学時代の仲間たちと合流する。
大学時代はとにかく毎日遊び回っていた記憶しかないのだが、
特に1年生の頃の僕は糸の切れた凧のようだった。
大学生とは名ばかりで、毎日キャンパスには現れるものの、
講義にはほとんど出向くことなく、
いつでも居場所といえばサークルのたまり場か雀荘、スタジオ。
そうでなければアルバイト。
ほとんど家にも帰らなかったような毎日を過ごしていた。
そんな僕が、いったいどこで寝泊まりしていたのかと言えば、
1年生の頃はたいてい親友Mの家だった。
Mはプロレス好き、サッカー好き、バンド好き。
アウトローを気取る剛胆な見た目によらず意外に繊細で、
理屈っぽくってナルシスト、でも憎めなくて、
情に厚くて面倒見がよいので、誰からも慕われる男だった。
僕はこのMと入学早々に意気投合し、
1年の時はもうほとんど彼とツルんでいたといっていい。
国領にあった彼のアパートにはいつも僕が寝泊まりしていて、
しょーもない話で一晩中騒いだり、桃鉄やったり麻雀やったり、
夜中に牛丼食いに出たり、いま思うと実に贅沢な時間を過ごしていた。
「アチャー」と「何事?」が口癖で、
それはそのまま僕の口癖にもなってしまった。
いまでもクチをついて出てしまう。
2年からはお互い彼女ができたり、友人関係も拡がったり、
僕もバンドに費やす時間が長くなったりもして、
以前ほど濃厚な付き合いではなくなったけど、
それでも何かというと一緒になって後輩をいじったり、
飲み会の幹事やったりと、気心の知れた関係は変わらなかった。
卒業後、僕は本格的にバンドを始め、
彼だけでなく中高や大学の友人たちと疎遠になってしまった時期があった。
それでも彼は僕のことをずっと応援してくれていて、
大きなイベントライブになるとサークル仲間を引き連れて観に来てくれもした。
なかなかゆっくり会って話す時間は作れなかったが、変わらず僕の親友だった。
そんな彼が亡くなったのは4年前の冬のことだった。
以前からの難病で入院したとは聞いていたものの、まさかのまさか、だった。
突然の訃報に、胸の奥を鋭利な氷柱でひと突きにされたようだった。
12年前の夏に突然倒れ、数々の手術を乗り越え、ずっと難病と闘い続け、
一時は劇的な回復を見せたのだけれど、最後は本当にあっけなく逝ってしまった。
そして僕は、元気なウチに彼を見舞うことも、
彼を見送ることもできなかったばかりか、
訃報に接してなお、あまりのことに気持ちの整理がつかず、
お葬式にすら行くことができなかったのだ。
行けば、認めざるを得ない。それが怖かった。
とてもじゃないがアイツの亡骸なんて見られない。
焼香なんか冗談じゃない。
ずっと遠いどこかで生きていることにしたかった。
やり過ごしてしまいたかった。
彼は最後まで彼らしく、明るく気丈に振る舞い、
病人のくせに周囲に気を遣い、その姿にまた彼を慕う仲間たちが彼を支え、
そして溢れる創作意欲で闘病記をブログで発信したり、
様々な形で作品を創りあげたりしていたそうだ。
とにかく好奇心とバイタリティの塊のような男だった。
こんなに早く、さぞ無念だったと思う。
あれだけの交誼がありながら、生前に彼を励ますことも、
最期に見送ることもできず、自身の感傷に押しつぶされ、
どうしようもない恥ずかしさや後ろめたさも手伝って、
僕はしばらくお墓参りにも行けずにいた。
それが、今日、ようやく仲間たちと行けることになったのだ。
数年ぶりに再会した彼は、当たり前のことだけれど、冷たい石になっていた。
墓標を目の前にしてもなお、僕にはまったく現実感がなく、
どうして今日Mは来てないんだ?などと、
頓珍漢なことさえ頭に浮かぶ始末だった。
形として線香を手向けはしたけれど、
手を合わせることも、墓石に語りかけることも、
まるで生者にそれをするかのような、
タチの悪い冗談のような気がして、やはりできなかった。
昔の写真を何枚か、そっと墓石の上に置いた。
そこにあるのは彼の足跡だけで、やはり彼はもういなかった。
墓参後にMの奥様にお目に掛かり、可愛らしい双子に会うこともできた。
奥様は心優しく慎み深く、またたいへんに情の深い方で、
おひとりで二人のお子さんを育てることの苦労など微塵も触れない。
ただただ、Mの忘れ形見を大切に大切に守り育てていらっしゃる。
そんなご家族の思いを察するに、僕なんかが何を言えた義理でもない。
仲間が用意した塗り絵やおもちゃのプレゼントを手に、
うれしそうにはしゃぐ子供たちを見つめるばかりだった。
彼らがじっと堪えているだろう言葉を、
僕が口にすべきでないこともわかってる。だけど。
僕は当たり前に居るべき彼がここにいないことが、
急に姿を消してしまい、その後いつまでも現れないでいることが、
さびしくてたまらない。
人間は必ず死ぬ。
でも、何度かに分けて死ぬ。
たとえ肉体がなくなっても、
彼の記憶を留めている人間が居る限り、彼の精神は死なない。
何十年も経って、彼を知る人がいなくなっても、
この子供たちが彼の血を継いでいく。
彼らは父の面影すらも知らないけれど、
毎年彼らに絵本やおもちゃをプレゼントしてくれた、
不思議な大人たちのことは記憶に留めてくれるだろう。
それがみんな、彼らの父を慕う仲間たちであったことも。
人間はそう簡単に消えてしまったりしない。
そう信じることだけが、この寂しさを少しだけ和らげてくれる。
でもさ、M。
お前に聞いてほしい話が、いっぱいあるんだぜ。