昨日の「内閣不信任案否決」は もう何と言っていいのやら・・・
午後になって急転直下 元の鞘に収まって なんのこっちゃない結末を迎えました
菅が「一定の目処がついたら辞任する」と民主党大会で話をしたことから マスコミは速報を打って大騒ぎになり そこから流れが一気に変わったようです
朝までの態度を180度変えた民主党議員が殆ど
「嘘つきは議員の始まり」とは このことか!
そして 人生最大と言って良いほどの難局を無事乗り切った菅は あろうことか
「辞任するなんて言ってない」と嘯いています
フランケン岡田も 夜の番組に出演し
「首相の言葉を大げさに 早とちりして報道したのはマスコミであり 辞任など示唆しておりません」と しらをきりました。
嘘つき政党 面目躍如の茶番劇 チャン チャン
最近、政治の話がタブーではなくなってきました。
会話中に意見の違いが生じて 喧嘩するくらい政治に関心を持つ事が悪い事だとは思いません。
しかし政治の話をする時 未だに日本人の多くは第三者の如く語ります。
失礼ながら、被災地の方も例外ではないと記事を読みながら思いました。
「こんな事をしている場合じゃない」 とおっしゃる方が大多数です。
ではどんな事をしている場合なのか?と聞きたい。
政治家は自らが望むだけでなれる職ではないのです。
立候補者を支持し投票する人間が存在してはじめてなる事の許される職ではないでしょうか?
それは翻れば支持した人間にも政治家の行為行動に対する責務と言うものが何処かで生じていると言う事にはならないでしょうか?
「誰がやっても同じ」 と言う言葉を平気で使う人がいます。
ならば政治家など要りません。
そんな無意味な存在に税金を使われるのは御免被るべきではないでしょうか?
今回の茶番劇を批判するのは容易い。
しかしそんな茶番劇を許した責任は自分達に有る、と感じている有権者がどれほどいるでしょうか?
自分は例外だ、などとは言えませんか。
それは今被災されている方も同じではないか?
何故自分だけ?
いや、今そのような状況に陥っている原因の一端はまさに被災者の方にもあるのではないか?
政治家に結果責任を問う。
しかし、結果を享受するのは己だ、と言う自覚が欠如していては言葉は虚しい。
結果と言うのは自らに差し出されます。
・・・と言う自覚があれば上のような発言は出来ない。
故に、全ては国家に属する全ての国民が負わなければならなくなります。
日本人はまさに、議会制民主主義と言う物の本質を学ばなければなりません。
学ぶのに遅すぎる、と言う事は無いと思います。
例え自分の世代が悲惨でも、学んだそれを子孫に伝える事が出来ます。
他人のせいではない、因果応報、なのです。
もう・・・なんて言ったらいいんでしょうかね。昨日も言いましたが、ホントに「大茶番劇」です。
そして、投票直前の辞任を匂わす発言も、覚悟という形でもっと前に言っておけばよかったのではないかと思います。
形として、辞める総理が陣頭指揮を取っていいのか?ということでは同じですが、初めから「この復興に関しては議員生命を賭けますので、皆さんで協力していきましょう!」と言ってたら、かなり違う展開になってたかと思います。
もちろん、現首相ではどんなことを言ってもダメなものはダメなんですけどね・・・。
とにかく最初からパフォーマンスの繰り返しで実務が進まず、最後の最後でもその場しのぎの発言に終始して。
で、もう1つビックリしたのが、私が知らないだけで過去にもあったのかもしれませんが、造反した某議員が投票をほかの議員に阻止されようとしたのを見て、これが議会制の民主主義のやること!?と思いました。
結果的に投票できましたが、別室に軟禁状態になったりして、崇拝する人が棄権したのに、なんだか・・・哀れです。
ホントに昨日は、日本の国会史の中でもワースト10に入りそうな、ひどいものでしたね。ひどさが凝縮されてました。
ねこでした。ニャン☆
何を言っても始まりませんが どうしてこんな愚かな政党に政権を握らせてしまったのでしょう
後悔先に立たず とは本当に良くいった諺です。
今歯軋りしてみても どうにもならない状況が如何とも悔しくて 諦め?みたいなものに心が占められつつあります
菅は多分 任期満了まで グダグダと首相の座に居座り続けますね
そして政権与党の甘い汁を吸い続けることの利権にどっぷり浸かる意味を知った回りに汚い人間たち 有象無象が蠢いているだけです
いまや どうにも手も足も出せませんよ
民主党の思うとおりに展開していくでしょう