KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

かごしまアジア青少年芸術際

2007-09-30 09:19:40 | インポート

Dsc03927 Dsc03838 Dsc03848_2 「笑顔でつながる、心をつなげる」を合言葉に、第二回かごしまアジア青少年芸術祭が開催された。

Dsc03918_2Dsc03879 最高の感動は、学院生の一生懸命だ。

Dsc03929 昨日のサファイヤプリンセス号の通訳案内から今回の芸術祭でも、ボランティアスタッフとして、疲れも見せずに、文字通り、「笑顔でつながる、心をつなげる」を実践していた。僕らはみんな友達だ!世界中、みんなみんな友達だ!そんな思いが伝わってくる。

Dsc03829 鹿児島アジア青少年芸術際は、アメリカはマイアミからの若者の友情出演を含めて、韓国・中国・香港・マレーシア・マラッカ市長・シンガポール・フィリピン各国からの若者の音楽の祭典だ。

一昨日の夕方からの歓迎リセプションに引き続き、昨日は、県文化センターは宝山ホールで大人顔負けの華やかなステージを披露してくれた。

今日は、市の中央公園で青少年ステージが開催される。学院生のボランティア活動はさらに続く。僕の役割は、青少年ステージで演技力を競う、音楽部門・ダンス部門の出演者の入賞者を表彰することだ。昨年は、冬の寒風で震えながらのステージだったのを思い出すが、今年は、逆に、暑さでバテなければいいがと、ちょっと心配だ。


みんな、みんな大活躍

2007-09-28 23:38:07 | インポート

Dsc03740 Dsc03785_2 9月も終わりになろうとしているのに、真夏のような青空が広がっていた。

Dsc03768 Dsc03766 早朝、7時半総勢35名の本学院の学院生とスタッフが、新設マリンポートに集合した。

Dsc03753 Dsc03758 2600名を超える乗客に、1500名を超える乗組員を乗せた、世界一の超豪華客船、サファイヤ・プリンセス号の皆さんを通訳としておもてなしするためだ。賛否両論はあったものの、数十年の念願であった、大型観光客船が寄航できるマリンポートの開港一番の記念すべき日の入港である。

Dsc03773 Dsc03794 30年近く、豪華客船のプロ通訳、善意通訳教育、指導、派遣に携わってきた本学院にとっても、記念すべき日である。

肥料や家畜を運ぶトラックや澱粉の臭いに悩まされながらも、小さな上屋で、手弁当で、外国からのお客様を、ただ純粋にもてなしたい、そんなおもてなしの心だけで頑張ってきた時代もあった。

Dsc03797 Dsc03799 Dsc03776 クイーンエリザベス号が錦江湾に入ってきたのに、寄航することなくユーターンさせてしまった、苦い経験もある。

今日のこの素晴らしい栄光は、いつも影で支えてくれている善意通訳の学生諸君の大きな力による。みんな、みんな大活躍だ。僕は、若い彼らを誇りに思う。心から感謝して、誇りに思う。

「来る者にやすらぎを、去るものに幸せを」そんな心で迎えられたサファイヤプリンセス号は、また、鹿児島に帰ってくることを約束して、夕方の6時に出航して行った。


自由という人間破壊

2007-09-27 14:14:20 | インポート

犬を散歩させながら考えた。自由が過ぎると人間は破壊される。僕の犬の名前は、ララ、毎朝、六時半になると、クーン、クーンとうるさく泣きわめく。散歩の要求だ。近所迷惑だ。朝寝の自由が奪われる。でも、この不自由が、僕の必要な運動の時間となる。学校、仕事、家庭の決まり、社会の秩序、法律などなど、自由を縛られているように見えるが、こんな決まりごとで人間は成長して行く。学校には行かない。朝は起きたい時に起きる。掃除は面倒だからと散らかし放題。食事は、食べたいときにコンビニに行けば何でもある。生活費は、ちょっと脅せば、親が何とかしてくれる。夜の世界は天国だ。本能で生きているクズのような大人たちがチヤホヤしてくれる。欲しい物は、着飾る洋服や宝石だ。ファッションと耳に流れる音楽がやすらぎのひと時となる。日本の未来を背負う若者達に、こんな自由を与えてしまった大人たちの責任は重大だ。自由という人間破壊の恐ろしさが判っていない。


死に直面して~その5~

2007-09-26 17:53:58 | 九死に一生物語

フレッド・ブランドンは、僕の大切なアメリカの友人だ。
今は、アメリカで旅客機のパイロットをしている。

僕が大学を卒業して、大学の生涯教育学部に勤務している頃の話である。
彼の古里、ワイオミングに招待された。
とてつもなく広大な平原が広がる美しい州だ。
あちらこちらにバッファローの群れがいた。
交通の手段は、車以上に、セスナを飛ばすことが多い。近所に遊びに行くといっても、鹿児島から熊本まで離れているというような距離だからだ。

大自然を満喫して、一週間ほど過ぎた。帰りは、普通に飛行機で帰る予定だったが、彼がセスナを借りてきて、それでユタまで僕を送ると言い始めた。
セスナでロッキー山脈を越えるのは大冒険だ。

ワイオミングを飛び立って3時間ほど過ぎた。眼下には、バッドランドと呼ばれる九州全体ほどの何もない大荒野が続く。
突然、右翼がバキッという音をたててひび割れた。
セスナが回転し始めた。
その後、何が起こったのか覚えていない。

気がついたら、地面に激突したセスナと、痛い胸を抑えていた僕とフレッドがいた。
フレッドの操縦は大したもので、機体に破損はほとんどなかった。
僕も、彼も、無傷だった。奇跡である。
でも、この後が問題だ。この地から、歩いてユタまで行くのは死を意味している。食料は何もない。
彼が持っていたライフルはあるが、銃弾は数発しかない。
遥か向こうを野生のカモシカの群れが走って行った。
結局、飛行機を応急処置して、とにかく飛ばしてみることにした。
握ったこともない操縦かんを握り、二人の力で、なんとか離陸させた。
フラフラと舞い上がるセスナが、何回も落ちそうになる。
操縦かんを握った僕の手から流れる汗は、恐怖で水のようだ。
ロッキーの山を越える瞬間は、死んだと思った。
雪の山を吹き上げる神風がセスナを舞い上げ、九死に一生を得た。
風に乗ったセスナは、滑るようにユタの飛行場に着陸した。

僕らを心配して待っていた、僕のユタの友人、ローリーは物凄い剣幕で、「徹を殺す気か!」と、初めて会ったフレッドに噛み付いた。
そんなローリーだったが、二日後に、フレッドと、とても良い仲になってしまった。
男女関係とは、こんなものなのか?アメリカ人はわからない?色恋は?全然わからない??


貧しき者は幸いなり

2007-09-25 17:14:32 | インポート

アメリカは体験大国だ。人種のルツボ、文化のチャンポン、宗教のサラダボールと、

あらゆる世界、あらゆる考え方、あらゆる生き様を体験体感できる。

1)           アメリカを肌で感じるためには、貧乏学生の僕でも車を必要とした。200ドルで買った車を運転していたとき、車がオンボロ過ぎて、後輪を繋いでいる車軸が折れてしまった。後ろのタイヤは勝手にどこかに転がって行った。そのままの勢いでブッシュに激突。車軸はもともとボロボロに腐っていた。修理不可能である。捨てたことが発覚しない様に、エンジン番号を鉄棒で叩いて潰して、そのまま藪に放置して、ヒッチハイクで帰ってきた。ヒッチハイクをしていたら、目前に走ってきたのは警察(ハイウエイパトロール)の車だった。通り過ぎると思ったのに、親切に拾ってくれた。道に迷った可愛そうな日本人だと思ったらしい。その時は、ばれなかったが、一ヵ月後に、違法投棄の罪で罰金200ドルの通達がきた。結局は400ドルの車になってしまった。前科1犯?だ。「エンジン番号を潰せばわからないよ」と教えてくれた僕の友人は、僕のなけなしの20ドルを借金して、行方をくらました。「貧しき者は幸いなり」???

2)           パパイヤ畑とキュウリ畑でバイトをした体験がある。パパイヤの木が並んで植えてある間を、トラクターで雑草を刈るバイトだ。運転を誤って、20本くらいの木を全てなぎ倒した。前科2犯?即!首になった。キュウリ畑でのバイトは一ヶ月ほど続いた。毎日キュウリを収穫する作業だ。帰りにはいつも20本くらいもらえる。食事は、朝・昼・晩、キュウリだ。そのままキュウリ、塩キュウリ、炒めキュウリの毎日だ。時々、安い鶏肉を混ぜて炒める。最後の日にもらったキュウリがいつもより多い。感謝して帰ったものの、一週間経ってもバイト代が振り込まれない。不審に思って、請求に行くと、毎日渡したキュウリがバイト代だという。議論の末、やっと手にしたバイト代は、予定の半額だった。「貧しき者は幸いなり」???

3)           Dsc02833_1 僕の時代は、アメリカはもっと銃社会だった。僕も、銃を使うバイトを体験したいと思い、デパートの警備員に応募した。合格だ。本音は、かなり時給が高いからだ。ただし、ピストルを使えることが条件だ。海軍の友達から譲り受けたピストルで練習した。僕の腕もまんざらではない。初仕事の三日前にそのデパートに黒人の強盗が入り、警備員が射殺された。怖かったからではないが(苦笑)、さっそく、バイトゴメンナサイを伝えた。前科3犯にならずに済んだ。「貧しき者は幸いなり」???