♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ひとり子をささげたアブラハム / 羽鳥頼和

2013年01月19日 | Weblog
2013/1/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 旧約聖書の中に「信仰の父」と言われるアブラハムという人が登場します。アブラハムにはイサクという子がいました。ところがある日神様はアブラハムに彼の愛する独り子であるそのイサクをいけにえとして捧げるように言われたのです。アブラハムは神様に言われた通り愛するイサクをいけにえとして捧げようとしました。アブラハムがイサクを屠って殺そうとしたその時、神様はアブラハムを呼び、「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。」(創世記 22章12節)と言われました。アブラハムが目をあげてみると、1頭の雄羊が藪の枝に角を引っかけて動けずにいるではありませんか。神様がいけにえとして用意してくださったのです。アブラハムはこの雄羊をいけにえとして捧げました。

 聖書はアブラハムの信仰についてこう語っています。「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。」(ヘブル 11章19節)と。アブラムは神様に不可能なことはない、神様はイサクをよみがえらせてくださると信じていたのです。

 聖書は神様の命令を守り神様に信頼することの大切さを教えています。

 それともう一つ素晴らしいことをこの出来事は私たちに教えてくれます。神様はアブラハムに「わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。・・・あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」(創世記 22章17、18節)と言われました。アブラハムが神様の命令に従った時、神様はアブラハムを誉め、彼の子孫を増やし彼の子孫によって世界の全ての国の人々が祝福を受けると約束されました。

 この約束はアブラハムの子孫であるイエス・キリストによって実現しました。イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかってくださったのです。人はキリストの十字架によって罪を赦されて救いを受けることができるのです。神様はすべての人を救うために独り子であるキリストを捧げてくださったのです。

 聖書のことば

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
       ヨハネの福音書3章16節です


 (PBA制作「世の光」2013.1.19放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■「愛」とは / 岩井基雄

2013年01月18日 | Weblog
2013/1/18放送


 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。 キリスト教会で使われている用語には分かるようで分かりにくいことばがありますね。今日もちょっとわかりにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「愛」についてです。

 新約聖書に使われているギリシャ語では愛を表す表現は四つあります。男女の愛を表すエロース、そして友情の愛を表すフィリア、そして家族の愛を表すストルゲーです。この三つとも素晴らしい愛ですが、どうしてもそこには限界があり、相手の状態によって萎えてしまうことがありますね。 男女の愛、友情、そして家族の愛は条件付きの愛だからですね。しかし四つめの愛はアガペーと表現される神の愛で無条件で完全な愛です。それは相手がどうであろうと、たとえあなたを深く傷付けてしまう敵のような人であったとしてもすべてを包む愛なのです。

 聖書には次のように記されています。「 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
 新約聖書 ヨハネの福音書13章34節

 聖書は私たちに、私たちが互いにからアガペーの愛、完全な愛で愛するようにと求めているのです。

 どうすれば、そのようなことができるのでしょうか。この聖書の求めの背後には神様が、そして救い主イエス・キリストが私たちを完全な愛で愛してくださっているという事実があると言います。キリストの完全な愛を受け取って初めて、私たちは互いに愛することができるものとされていくというですね。

 私たちの愛は時には自己中心で自分勝手なものですね。しかしこんな私たちの醜さもきたなさもすべてをご存知でそのすべてを包み、完全な愛で愛してくださる神様の愛、救い主イエス・ キリストの愛で愛されていることを知るとき、私たちもまたその神様の愛によって癒され、生かされ、人を心から愛する者へと変えられていくというのです。

 キリスト教が語るこの愛は、この神様の愛、イエス・キリストの完全な愛に基づいているというのですね。

 あなたもこの神様の愛、この神様の完全な愛に生きる者とされませんか? 私たちも本物の愛で愛し愛される者へと変えられ続けていきたいですね。

(PBA制作「世の光」2013.1.18放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■わたしにした / 福井 誠

2013年01月17日 | Weblog
2013/1/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「わたしにした」です。それではマタイの福音書25章40節から読んでみましょう。

 「まことにあなたがたに告げます。あなたがたがこれらのわたしの兄弟たちしかも最も小さい者たちの一人にしたのはわたしにしたのです。」

 今日は先週のお話の続きです。神様は世の終わりの時には白黒をはっきりさせる、物事が矛盾したままあるいは帳じりが合わないままには決してなさらないということを教えられました。

 しかし私たちにとって心配になるのは、いったい神様はどういう価値基準て白黒をはっきりとし羊の群れと山羊の群れを分けられるのか、ということですね。
 
 続けてマタイの福音書を読むと少し驚かされます。この神様の祝福を受けるように選ばれた人たちは自分たちがなぜ祝福されるのかよく分かっていないからです。お時間があったらぜひ聖書を開いてマタイの25章を読んで頂きたいと思いますが、神様は「あなたがたは本当に私に良くしてくれた、だから祝福を受けなさい」と言います。しかし、いざその祝福を受ける人たちは、「主よ、いつ私たちはあなたに良くしたのでしょうか、全く覚えがありません。」というような応答をしているんです。

 神様が良くしてくれたと言っているのにそれを覚えていない。そこで神様は言います。
 「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ 25章40節)と。

 大事な点は二つあります。神様に良くするというのは人によくすることですね。それも身近な人、しばしば無視してしまいがちな自分の家族や隣人に愛を示していくことです。そして人に良くするということは人の記憶に残る大きなことをすることではありません。毎日出会う人に小さな当たり前と思われるような優しい手を差し延べていくことですね。神様が目に留めておられるのは私たちの日常です。そこで小さな自然な愛を交わし、私たちが助け合い支え合っているかをご覧になっているのです。私たちが真心から人を愛するなら神様はその人を世の終わりにご自分の胸に取り分け、その人を天国に召されます。ふさわしい報いをなさる神様がおられることを覚えて歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.1.17放送でのお話より )

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■嫁に行きます / 板倉邦雄

2013年01月16日 | Weblog
2013/1/16放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「嫁に行きます」という題でお話ししましょう。

 写真1枚の交換もなく700キロメートル離れた所へ嫁に行くリベカの決断を見てみましょう。創世記24章の続きです。

 さて娘リベカの気持ちも聞かずに結婚話は進んでしまいました。兄のラバンと父親ベトエルはアブラハムのしもべに答えました。「この結婚話は主なる神様から出たことですから私どもは善し悪しをいうことはできません。リベカがここにおりますが連れて行って主なる神が言われたようにあなたのご主人アブラハムの息子の妻にしてください。」

 結婚する際よく言われますことは親や兄弟の賛成を得ることは大事なことです。本人よりも親や兄弟は冷静に客観的に相手を見ているからですね。

 さて一晩お世話になったしもべは言いました。
 「私のご主人のもとに帰らせてください。」 
 するとリベカの兄と母親は引き止めて、
 「娘と数日、少なくとも十日私たちと共にいて、それから行かせましょう。」
 「神様が私の道に幸いを与えられましたから、わたしを引き止めず主人のもとに帰らせてください。」
 「では娘リベカを呼んで聞いてみましょう。」
 「リベカ、あなたはこの人と一緒に行きますか?」
 「行きます。」とリベカは答えました。

 このしもべと一緒に行くことは嫁に行くことでした。ではこのリベカを決断に至らせたのは何でしたか? 

 まず結婚相手より親を見ていたからでしょう。アブラハムのしもべの姿を見たリベカはこのような経験で信仰深いしもべの主人、その主人の息子がどのような人物であるかは会わずとも分かったのではないでしょうか。

 第二に、結婚の決意した時に心に平安が訪れたのでしょう。主なる神様は私たちの心に不安や恐れのあることを決断させ実行させるようなことはなさらないということです。私たちに希望を与え将来をお与えになります。

 そして第三に、何よりも兄や家族からの賛成と祝福を得たからですねえ。家族はレベカを祝福して言いました。
 「妹よ、あなたは、ちよろずの人の母となれ。あなたの子孫はその敵の門を打ち取れ。」 創世記の24章の60節 (口語訳聖書)

( PBA制作「世の光」2013.1.16放送でのお話より )

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■とんでもないこと / 山中直義

2013年01月15日 | Weblog
2013/1/15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。今日は旧約聖書創世記44章から、「とんでもないこと」と題してお話をさせていただきます。

 44章7節 「すると、彼らは言った。『あなたさまは、なぜそのようなことをおっしゃるのですか。しもべどもがそんなことをするなどとは、とんでもないことです。』

 この「彼ら」とはヤコブの12人の息子の上の10人を指しています。彼らは盗んでもいない杯を盗んだという嫌疑をかけられ窮地に追い込まれていたのでした。そしてこの兄たちを窮地に追い込んだのは11番目の息子・弟ヨセフであったと聖書は言います。

 この時から22年前、この10人の兄たちは何も悪いことしていない弟ヨセフを奴隷としてエジプトに売り渡すというとんでもない罪を犯していました。そしてその罪を隠し、ごまかしたまま今日まで歩んできたのでした。しかし神様はそんな彼らを真の悔い改めに導き、本当の再出発へ導こうと懸命に関わり続けておられたと聖書は言います。そんな導きの中、神様はヨセフをエジプトの地で守り、総理大臣の地位にまで置いていてくださったのでした。ヨセフもまた兄たちを赦し、彼らに真の悔い改めと再出発の機会を与えようとこのように関わっていたのだと聖書は教えています。

 そしてヨセフが仕組んだ通りその杯は一番下の息子・12番目の息子ベニヤミン の袋から見付かりました。その時、兄たちはこう言いました。「神がしもべどもの咎をあばかれたのです。」 (創世記 44章16節) もちろんベニヤミンが杯を盗んだ訳でもありません。兄たちが盗んだ訳でもありません。しかしこの思いもよらないこと、彼にとってはとんでもないことを通して、兄たちは過去に犯したとんでもない罪ともう一度真剣に向き合う機会を得たのでした。そしてこの後、本当の悔い改め・和解・一致へと導かれていく一族の姿を聖書は描いていきます。

 私たちの人生にも思いもよらないこと、とんでもないことが起こることがあるかもしれません。しかしその背後には私たちに何とか真の悔い改め・再出発を与えようとする神様の深い愛があるのだと聖書は教えています。神がしもべどもの咎を暴かれたのです。真の悔い改めに導いてくださる神様の恵を信頼してください。

(PBA制作「世の光」2013.1.15放送でのお話しより )

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■水をぶどう酒に / 関根弘興

2013年01月14日 | Weblog
2013/1/14放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 今日は新約聖書のヨハネの福音書2章に記されているイエス様が行なった最初の奇跡、ま、御業についてご一緒に考えていきましょう。

 カナという町で行われた婚礼の祝宴にイエス様もそして弟子たちもまたイエス様のお母さんであるマリヤも出席していました。しかし予期せぬ出来事が起こってしまいました。その婚礼の祝いの最中にぶどう酒がなくなってしまったのです。そのことに気付いたイエス様のお母さんマリアは何とかこの事態を解決するためにイエス様に向かって「ぶどう酒がありません」と打ち明けるんですねえ。するとイエス様は手伝いのものたちに、この家にあった大きな水瓶に水を満たすように命じました。そしてその水を汲んで宴会に持っていくと何と最上のぶどう酒に成っていたというんですねえ。

 この水をぶどう酒に変えるというイエス様の奇蹟がヨハネの福音書の最初の奇蹟として記されているんです。一体どんな意味があるんでしょう。

 この舞台になったのは田舎の新婚家庭です。大都会の有名人の結婚式でもなければ何千人の集会でもありません。まあ婚礼の時のぶどう酒がなくなってしまうということはこの世界が抱えてる問題に比べれば何か取るに足りない問題のように思えませんか? しかしイエス様はこの若い夫婦が恥をかかないように、また列席の人々の喜びが損なわれないように配慮してくださったのです。

 イエス様はそれぞれの小さな家庭の中に栄光を現してくださるお方なのだとあなたは信じることができますか? あなたは自分の家庭の問題を誰に向かって訴えますか? 「イエス様、今私の家庭はこういう状況です、助けてください。」と訴えることがありますか? イエス様はあなたの日常の問題に耳を傾けてくださるお方なんです。

 また当時のユダヤの習慣として各家庭に清めのために使う水がめが用意されていました。水をぶどう酒に変えたこの水はこの清めのために使う、ま、宗教的な意味で用意された水だったんですね。しかしイエス様はその水をぶどう酒に変えて下さったのです。どういう意味があるんでしょうかねえ。

 それはイエス様がこれから行おうとしていることを表しているのです。それはイエスが人々の罪を背負い、身代わりに十字架につけられ、血を流してくださることによって赦しが与えられ清めが与えられそして新しく造り変えられる生涯が与えられると言うことなんですねえ。

 聖書はこう約束しています。
 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント 5章17節)

 イエス・キリストはあなたを新しく造り変えることのできるお方なのです。

(PBA制作「世の光」2013.1.14放送でのお話しより)

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■バベルの塔 / 羽鳥頼和

2013年01月12日 | Weblog
2013/1/12放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今日はバベルの塔についてお話しします。

 この出来事は創世記11章1節から9節に記録されている本当にあった出来事です。聖書はまずバベルの塔を建てようとする前、「全地は一つのことば、一つの話しことばであった。」(創世記 11章1節)と教えています。もともと人々は同じことばを話していたのです。

 神様は人に、地に増え広がるようにと命じていました。しかし彼らはこの命令に聞き従わず、シヌアルという地に住みついていました。そして人々はそのシヌアルの地でこう言いました。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(4節)と。

 この「名をあげよう」とは偉くなろうと言うことです。彼らは神様のことを忘れて偉くなろうとしたのです。「天に届く塔を建てよう」というのは自分たちが神様のように偉くなろうという思い上がりから来たことばです。神様はこのような人々の行いを天から見て言われました。「さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」(7節)と。こうして人々のことばは通じなくなってしまいました。そのため人々は工事を続けることができなくなり塔を建てることを止めなければなりませんでした。

 聖書はこう言います。「それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。」(9節)と。バベルとは混乱させる、バーラルということばからつけられたのです。人々が神様を忘れて自分勝手なことを行おうとしたとき混乱が起こったのです。

 バベルの人々が「名をあげよう」と言ったのは、彼らに向上心があったと言うこともできます。確かに向上心は大切です。向上心とは自分が良くなろう、より良くなろう、という心だからです。しかしこのバベルの塔の出来事はこの向上心が間違っていたことを教えています。彼らは神様を忘れてしまいました。神様を忘れてしまった人の向上心は混乱を生み出しました。神様を信じて向上心を持たなければ、人は良い人になることができません。神様こそ私たちを良い人としてくださいお方なのですから。向上心とは上におられる神様に心を向け、その神様によって自分がより良い人となろうとする心なのです。

 (PBA制作「世の光」2013.1.12放送でのお話より )

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■私を救ってくださる方 / 岩井基雄

2013年01月11日 | Weblog
2013/1/11放送

世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。今日は詩篇69年篇の1節、2節、そして5節です。 
 「神よ。私を救ってください。水が、私ののどにまで、はいって来ましたから。私は深い泥沼に沈み、足がかりもありません。・・・神よ。あなたは私の愚かしさをご存じです。私の数々の罪過は、あなたに隠されてはいません。」 旧約聖書詩篇69篇1節と2節そして5節 

 私たちの人生には様々な苦しみがありますね。新しい年も心配事と共に歩み始めたと言う方もいらっしゃるでしょうか。私たちは自分の弱さや愚かさや苦しむ姿をできるだけ人に見せたくない、と思いますね。しかし、すべてを知ってくれている人の前では安心してそれを話すことができるのです。

 この詩篇の作者は神様に対し、深い泥沼から抜け出せないような苦しみを隠すことなく素直に表現し祈っています。それどころか自分の愚かしさ、そして数々の罪過すなわち過ちや罪を正直に認めているのです。

 なぜでしょうか。それはこの詩篇の作者が神様が自らのすべてを知っていてなお愛してくださる。そしてその苦しみから救い出してくださるという事を知っているからなのです。神様の前には繕うことも演じる事も必要なく、ありのままの自分をそのまま受け留めてくださるその神様の愛の中に飛び込んでいくことができる。そう彼は知っているからなのですねえ。

 だからこそ、この詩篇の作者はこう祈ります。「神よ。私を救ってください。」「神よ。私を救ってください。」と。そして神様はその祈りに応え、最も苦しい中から彼を贖い出し、助けてくださったのです。

 神様はあなたの抱えている人生の重荷、心の深みにある恐れや不安を御存知です。あなたの過去のすべての過ちも心の罪過もすべて御存知でそこからあなたを救い出してくださる方です。なぜなら聖書が語る神様の愛は完全であり永遠だからです。

 あなたも真の赦し、救い、いのちを受ける恵みの人生を歩み始めませんか? そのためにあなたも今あるところから祈ってみませんか? 「神よ。私を救ってください。」と。

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■わたしの父に祝福された人たち / 福井 誠

2013年01月10日 | Weblog
2013/1/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「わたしの父に祝福された人たち」です。それではマタイの福音書25章34節から読んでみましょう。

 「王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。』

 イエスはこれまで簡単に言えば天国、ま、天の御国の話をしてきましたね。天国に入るための備えはできているかという意味で賢い娘と愚かな娘の喩えが語られました。そして実際的な備えの教えとして神様に与えられている才能や賜物を用いて良き働きをすべきことがタラントの喩えで語られました。続いてイエスがお話するのは羊と山羊の喩えです。ユダヤでは羊と山羊は身近な家畜でよく一緒に飼育されました。羊飼いは羊と山羊を区別せずに連れて歩き、放牧したのです。しかし日が暮れて一日が終わると羊は羊で、山羊は山羊で別々の囲いに入れられて休みました。イエスはそんなユダヤの習慣を取り上げて、ご自分が戻ってこられるとき、つまりこの世が終わりとなる時には羊と山羊が分けられるように全ての国の人々が分けられると言うのです。

 今の私たちの世界にはあらゆる人が混在していますね。正しい人も悪い人もみな交じり合って生活しています。しかし、やがてこの世が終わるときにすべての人は二つのグループに分けられるのです。そして「さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。」と言われるグループの人たちがいると言うのですね。

 確かに私たちは世の中の様々な動きを見て不条理な思いを持つことがあります。世の中はこのまま終わってしまうのか、と。しかし聖書は明確に語ります。神様はいずれ白黒をはっきりさせて祝福を受けるべき人に祝福を与えられる、と。

 物事を正しくおさばきになりふさわしい報いを与えられる神を信頼して歩んでいきたいものですね。

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■兄と妹  / 板倉邦雄

2013年01月09日 | Weblog
2013/1/9放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。
今日は「兄と妹」という題でお話しましょう。創世記の24章の続きです。

 さてベトエルの娘リベカは井戸のそばで親類アブラハムのしもべと会いました。リベカは走って家の者にそのことを告げました。兄のラバンは井戸のそばにいるしもべの所へ走って行きました。そして言いました。「神様に祝福された人、どうかわが家においでください。あなたがたのために家を準備しました。ラクダのためにも場所を準備しました。」 

 リベカの父ベトエルは歳を重ねて兄のラバンが家を仕切っていたようです。ラバン自らラクダの荷を解いて餌をラクダに与えまた水を与えました。家の者にしもべの足とその従者たちの足を洗わせました。この兄にしてこの妹ありですねえ。そして夕食の席に着きました。

 ところがアブラハムのしもべは兄ラバンと同席している父親ベトエルの前で言いました。「私は用向きを話すまで食べません。」 兄ラバンは言いました。「お話しください。」 

 そこでアブラハムのしもべは用向きを話し始めます。「私の御主人アブラハムは年老いてから一人息子イサクを生みました。『息子は私の親類の嫁から妻を娶らなければならない』と言われました。そして私は今日泉のある井戸へ来て祈りました。その時『どうぞお飲みください。あなたのラクダのためにも水を汲みましょうという娘さんこそ主なる神様が私の主人の息子に定められたお嫁さんだ、としてください。』 私がそう祈っている時です。お宅の娘リベカさんがそうしてくれました。しかも驚いた事にリベカさんは私の御主人アブラハムの兄弟ナホル様の息子ベトエルさんの娘さんだったのです。どうか私の御主人様に誠を尽くして頂きたいのです。」 
 
 兄ラバンと父ベトエルは答えました。「このことは主なる神様から出たことですから、私どもはあなたに善し悪しを言うことはできません。」

 私事ですが、「娘さんを嫁にください。」と申し込みに行った時、父親代わりの妻の兄が年老いた義母の前で賛成してくださったことを今でも忘れることはできません。

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PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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