♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■悲しみの声が / 板倉邦雄

2012年12月19日 | Weblog
2012/12/19放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「悲しみの声が」という題でお話ししましょう。「クリスマスの中の希望」という主題で今日もお話させて頂きます。

 ところで希望というものは歴史的な絶望の中で生まれて来るのかもしれませんね。さてマタイ福音書の2章にはヘロデ大王によってベツレヘム村の二歳以下の男の子が殺されてしまうという記事があります。これはイエス様が生まれる約600年前、預言者エレミヤの語ったことばが実現したことでした。

 預言者エレミヤの時代、南ユダの国は北方からのバビロン軍によって侵略されました。エルサレムの都は包囲され、水攻めや食糧攻めになります。飢饉と伝染病そして剣によって多くの子どもたちが死んでいったのです。母親たちの叫び、泣く悲しみの声が町の中で聞こえました。しかし子どもたちはもういないのです。慰められることさえ願わない絶望の中に突き落とされてしまいました。そして600年後、イエス様の誕生の時、同じような悲劇がヘロデ大王によって繰り返されたのです。イエス様が生まれたベツレヘム村の二歳以下の男の子がヘロデ大王の権力保持のために毒牙にかかってしまいました。

 絶望に打ちのめされた状況の中で私たちはどうやって希望を持つことができるのでしょうか。『天の都を目指して』(天路歴程)という書物があります。クリスチャンがホープフル(hopeful・希望)さんと旅をしていました。二人は道に迷いジャイアントディスペア・絶望巨人の領地に足を踏み入れてしまいました。二人は絶望巨人の城の牢屋に閉じ込められてしまいます。鞭打たれ、痛みと悲しみの中で日々を過ごしました。そのときホープフルさんはクリスチャンを励ましたのです。そして二人で膝まづいて天の神様に祈りました。クリスチャンはハッと気づくのです。自分は約束の鍵をもっていたことを思い出します。この約束の鍵はどんな疑いも、絶望からも出ることができる鍵だったのです。

 イエス・キリストの約束のことばです。
 「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。 ヨハネの福音書16章33節
 
( PBA制作「世の光」2012.12.19放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■喜びの知らせ / 山中直義

2012年12月18日 | Weblog
2012/12/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。今週と来週の二週間に渡ってクリスマス特別番組としてクリスマス・メッセージをお届けしています。

 聖書が語るクリスマスのキーワード、それは「喜び」です。新約聖書ルカの福音書1章28節で、ナザレの町に住む処女マリヤを訪れた御使いがこう言いました。 
 「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(ルカの福音書 1章28節)

 この「おめでとう」ということばの直訳は「喜びなさい」です。人と共に歩むことを願い求めてくださる神様が人となってあなたのもとに来てくださった。私たち人間が神様と共に歩むことができるように神の独り子が救い主としてあなたのもとに来てくださった。それこそが喜びの知らせ、人に本当の喜びをもたらす神様からの特別な恵みである、と聖書は教えています。

 ただあのマリヤはこの知らせの意味がよく分からなかったと言います。特に処女である自分の内にいのちが宿るということは簡単に理解して受け入れることができることではありませんでした。そんなマリヤに御使いがこう告げました。

 「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」(ルカの福音書 1章35節)、
 「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカの福音書 1章37節) 

 「人ではなく神様が事をなしてくださる。神様と共に歩むという大いなる喜びを人に与えるために神様が必ず導いてくださる。神様にとっては不可能なことは一つもないのだ。」 御使いはそう告げたのでした。

 それに対してマリアはこう答えます。
 「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカの福音書 1章38節) 

 「何かができるわけではない。すべてが分かった訳でもない。でも神様のことば通りにどうぞなりますように。私は神様の思いを受け入れます。」 マリアはそう応答しました。

 神が共にいてくださる。神と共に歩むことができる。その大いなる喜びは神のことばがその通りになりますようにと心から祈る者に必ず与えられる、と聖書は教えています。どうぞあなたもこの大きな喜びを心に受け入れてくださいますように。

(PBA制作「世の光」2012.12.18放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■喜びのメッセージ / 関根弘興

2012年12月17日 | Weblog
2012/12/17放送

 世の光の時間です。クリスマスのシーズンを迎えています。いかがお過ごしですか? 関根弘興です。

 今から2000年前、ベツレヘムという小さな村で一人の男の子が生まれました。その名はイエス。その産まれ場所は大病院でもなく高級ホテルでもありません。それは家畜小屋でした。そしてその誕生に最初に駆けつけたのは一体誰かと言いますと、時の王様でもなく貴族でもありませんでした。それは野宿しながら羊の世話をしていた羊飼いたちでした。羊飼いなんて聞くと何とものどかな感じがしますねえ。しかし当時の羊飼いたちは社会的には余り尊敬されている人たちではありませんでした。人間にとって最も辛いことは何でしょう。人はそこに信頼できる支えがあれば、貧しさの中でも、たとえ病気になっても耐えることができると言われます。でもお前なんか必要ないって言われたら、これは生きて行くこと自体が辛いものになってしまいますね。

 ある精神医療に携わるお医者さんがこう言われました。「これから最も恐れられる病は癌でもなく心臓病でもない、老いるということだ。」 このように言われたんです。癌も心臓病も怖い病気ですよね。でもこのことばの背後には年を取って段々今ま出来たことができなくなってしまうことへの不安、そして何かができなくなっていくということは、お前はもう必要ないという存在になってしまうんじゃないかという、ま、そんな恐れを人は抱えているんだ、という訳です。

 でもクリスマスの出来事は私たちに素晴らしい喜びのメッセージをもたらしてくれるものです。聖書には当時蔑まれていた野宿で夜番をしながら羊を見守っていた羊飼いたちに御使いがこう告げたことが記されています。

 「今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
    (ルカの福音書 2章10-11節)

 あなたがたのために救い主が生まれた、というメッセージ。何と嬉しいメッセージでしょう。それはあの羊飼いたちだけではなく、こうしてラジオを聴いているあなたにも告げられているメッセージなんです。あなたは自分なんて必要ない存在だって思っていませんか? 自信を失っていませんか? 辛い経験の中に何か苦しみの中にいますか? そんなあなたのために救い主は来てくださった、と言っても過言ではありません。

 救い主が来てくださったなら、私たちができることは一体何でしょう? それは心から感謝をもってこの方を人生の救い主としてお迎えし、このクリスマスの時を喜び祝うのです。
 
 (PBA制作「世の光」2012.12.17放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神のさばきは真実で正しい / 羽鳥頼和

2012年12月15日 | Weblog
2012/12/15放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 ロダンの作った『考える人』というブロンズ像は誰もが御存知だと思います。それではこの『考える人』は何を考えてるんでしょう。私はこの『考える人』はイエス・キリストによる最後の審判のことを考えているのだと思います。

 バチカンにあるシスティナ礼拝堂の正面に、ミケランジェロが描いた『最後の審判』があります。その絵の中に『考える人』と全く同じ格好をした人がいるのです。その人はキリストのさばきによって滅びようとして人々を見ながら自分の行く末を想い悩んでいるのです。この人物が『考える人』のモデルになっているのではないかと思うのです。

 システィナ礼拝堂と言えば同じミケランジェロが描いた天井画が有名です。この天井画には天地創造を始めとした旧約聖書の物語が描かれています。しかし教会に飾られる絵としては天井に描かれたものよりも礼拝堂の正面に描かれた絵の方が重要なのです。システィナ礼拝堂で礼拝をささげる人々は礼拝のたびにこの『最後の審判』を見ることになります。この祭壇画を見る人々はキリストによる最後の審判によって悪が滅ぼされるということを覚えたでしょう。そして『考える人』のように自分は大丈夫だろうかと自分の信仰を礼拝ごとに確認したに違いありません。

 私たちはどうでしょうか。聖書は最後の審判があることを教えています。必ず悪は滅ぼされます。そして罪人も裁かれるのです。私たちは大丈夫でしょうか。ヨハネの黙示録19章にはイエス・キリストによって救われた人々が神様を賛美している様子が語られています。そこではこのような賛美の声が響きます。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。神のさばきは真実で、正しいからである。」(1、2節)と。そして神様が語られます。「すべての、神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。」(5節)と。すると再び賛美の声が響き渡るのです。

 あなたも考えてください。最後の審判の時、あなたは大丈夫ですか? イエス様は言われます。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書 14章6節) イエス・キリストを信じることによって私たちはまことの神のもとに行くことができるのです。

(PBA制作「世の光」2012.12.15放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■「クリスマス」とは / 岩井基雄

2012年12月14日 | Weblog
2012/12/14放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。キリスト教会で使われている用語には分るようで分りにくいことばがありますよね。今日は第2週の金曜日ですが、ちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「クリスマス」についてです。

 この季節、町にはクリスマスソングが溢れ、クリスマスグッズやプレゼントがお店に溢れていますね。しかしこのクリスマスって何でしょうか。サンタクロースの誕生日だという子どももいれば、年末のイベントだと言う人もいます。

 またクリスマスをXマス、すなわち大文字のエックスを使って表すのはなぜだか分からないと思う方もいらっしゃるでしょうね。

 クリスマスはクライスト・マスすなわちキリストの祭りという意味です。ギリシャ語で救い主ということばの最初の文字(※ギリシャ文字のカイ χ)がエックスに似ているので祭りを表すマスと合わせてクリスマスXマスと書くことがあるのですね。

 私たちを罪から救い、永遠のいのちを与えるために人となってくださったキリストの誕生は全世界の喜びであり、世界中で祝われる意義があるのです。日本では1552年に山口県で最初にクリスマスが祝われた記録があるようです。

 聖書にはこう記されています。
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」 新約聖書 コリント第二の手紙 8章9節

 救い主イエス・キリストはあなたのために神のあり方を捨てて人となり、貧しさの中に生まれてくださいました。それは羊飼いをはじめすべての人が救いの喜びに与るためでした。罪のさばきをあなたに代わって受けるためにキリストは人として生まれ十字架の苦しみへと向かってくださったのです。

 このクリスマスの本当の意味を自分自身のものとして受け取るとき、この本物の喜びと救いの恵みがあなたにも与えられ、あなたも本当の豊かさを味わうことができるのです。あなたもこの本物のクリスマスを祝い、真の恵みを受け取るために教会にいらっしゃいませんか? 教会はあなたを心からお待ちしています。

(PBA制作「世の光」2012.12.14放送でのお話しより)

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■いちじくの木から例えを学びなさい / 福井 誠

2012年12月13日 | Weblog
2012/12/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「いちじくの木からたとえを学びなさい」です。それではマタイの福音書24章32節から読んでみましょう。
 「いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。」 

 イスラエル人にとっていちじくは身近なものでした。それで季節の移り変わりを感じた訳です。イエス様が日本人だったらどんなものをたとえに使うんでしょうか。ふきのとうが地面からはい出れば春がすぐ戸口まで来ていることを知る、そんな感じなのでしょうか。私たちは季節の移り変わりを敏感に感じ取りながら先々を見て過ごしているものですね。イエス様はそのように世の終わりについてもそれなりのしるしがあるのだから注意して生活しなさいと言うのです。

 どんなしるしなんでしょう。イエス様は幾つかのポイントを挙げています。偽宗教、いかがわしい宗教が多くの人々を惑わすようになる。それから戦争や戦争の噂を聞くようになる。方々に飢饉や地震が起こるようになる。なにやらそんなことが起こっているような気がしないでもありません。戦後の米ソ冷戦構造が崩れ、民族紛争やテロの時代となり、確実に世界は複雑な衝突の様子を呈するようになりました。飢饉や地震の噂もよく聞きます。しかしそれは産みの苦しみの初めであると言います。終わりが来た訳でありません。終わりが近づいているのだというのですね。

 私の育った田舎では夏祭りが過ぎればあっという間に冷え込む季節となるので冬支度が必要だなという気持ちにさせられるものでした。大切なのは、世の終わりが明日来る、今日来る、というのではなくて、近づいているのでしっかり備えていきましょうということですね。先週もお話したように、世の終わりは神の正義が現わされる時です。またイエス様を信じる人にとってはイエス様が一緒に神のさばきの座に立って私たちのとりなしをしてくださる時ですね。つまりそれはイエス様を信じる人にとっては、恐怖ではなく、怒りと希望の時なんです。あなたは備えができているでしょうか? イエス様をぜひ信じていきましょう。

(PBA制作「世の光」2012.12.13放送でのお話より )

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■忠実な管理人 / 板倉邦雄

2012年12月12日 | Weblog
2012/12/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「忠実な管理人」という題でお話ししましょう。

 所有者のことはオーナー、管理者のことはステュワードと英語で言います。女性の管理者はステュワーデスと言いますね。ですから管理人に求められることは所有者の動産や不動産を忠実に管理することです。

 創世記の24章に入ります。さてアブラハムは所有するすべての動産・不動産を管理させている家の年長のしもべを呼んで言いました。「あなたに天地の神・主を指して誓わせたい。私の息子イサクは私が住んでいるこのカナン人の娘のうちから妻に娶って欲しくない。そこであなたはわたしの親族の所に行って私の子イサクのために妻を連れてきて欲しいのだ。」

 年長のしもべは主人のアブラハムに言いました。「もしその娘が私についてこの地に来ることを好まないときは私はあなたの息子をあなたの出身地に連れてゆくべきでしょうか?」

 アブラハムは答えました。「私の子は決して向こうへ連れ帰ってはならない、天の神・主は私を父の家・親族の地から導き出して私に語って誓ってくれたのだ。『お前の子孫にこの地を与える』と。主なる神様が御使いをあなたの前に遣わされであろう。」

 それから年長のしもべは主人のラクダの内から10頭のラクダを取って出かけました。主人のの様々な贈り物も携えて主人アブラハムの親族のいるハランの地に向かいました。ハランはアブラハム一族の住むパレスチナからは直線距離にして約650km でユーフラテス川の上流にある町でした。年長のしもべは要するに主人アブラハムの息子イサクのお嫁さん探しの旅に出かけることになります。果たして祝福の旅路になるでしょうか。このお話はまだまだ続きます。

 ともかく管理者に求められることは主人に対する忠誠ということではないでしょうか。ですから責任は主人がとるのであって管理者ではありません。不忠実であれば(責任は)管理者が取りますが、忠実に管理すればすべての責任は主人がとります。私たちの主人である天の神様は私たちにこの世界、この社会、この家庭、そしてこの仕事を任せてくださいました。私たちは忠実に果たして行きたいのです。
 
( PBA制作「世の光」2012.12.12放送でのお話より )

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■あわれみの器 / 山中直義

2012年12月11日 | Weblog
2012/12/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 私たち人間はある意味で器である、と聖書は言います。私たちの内側には何が満ちているでしょうか。

 新約聖書ローマ人への手紙9章24節にこんなことばがあります。
 「神は、このあわれみの器として、私たちを、・・・召してくださったのです。

 神様は私たち人間を「憐れみの器」として造ってくださった、聖書はそう言います。この「憐れみ」ということばの語源は内臓ということばです。すなわち腹の底からの思い、わき上がって来るどうしようもない愛、その神様の愛に満たされるようにと私たちは造られた、聖書はそう言うのです。

 しかし私たち人間はいつの間にかその神様の愛ではない何か他のもので自分を満たそうとしてはいないでしょうか。このローマ人への手紙9章に登場するイスラエル民族は自分たちの宗教的な知恵、宗教的な立派さ、名声というものに自分を満たそうとしてしまった。そしてその結果、一番大切な神様の愛を締め出し、踏みにじってしまった。聖書はそう言います。

 そんな彼らを神様はどのように取り扱われたでしょうか。中身も器も丸ごとを捨ててしまわれたのでしょうか。いやそうではないと言います。神様は彼らに本当に大切なものは何なのかを気づかせるために試練を与え、大切なことに気づかせようと丁寧に関わってくださった、と言います。

 私たちの人生にも時に思いがけない試練が訪れることがあるかもしれません。しかしそれは神様からの冷たいさばきではなく、愛に満ちた神様の関わりであると聖書は教えています。様々な試みの中で何が本当に大切なものなのかようく考え、本当に大切なものによって自分を満たして歩んでいきたいとそう思うのです。

 私たち人間はあわれみの器として造られました。神様の腹の底から湧き上がる深い愛によって満たされるそのために造られた、と聖書は言うのです。神様の愛、深い憐れみは聖書のことばに満ち溢れています。もしあなたが丁寧に聖書を読み、心を込めて聖書のことばを味わうなら、あなたの内側にも神様の愛、憐れみが満ちていきます。神様の愛に満たされて生きる、そんな幸いな人生をあなたもどうぞ歩んでください。

(PBA制作「世の光」2012.12.11放送でのお話しより )

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■人生の土台=岩  / 関根弘興

2012年12月10日 | Weblog
2012/12/10放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 あなたは新約聖書に登場するペテロという人を御存知ですか? イエス・キリストの弟子として有名ですね。彼の兄弟はアンデレという人で、このアンデレがペテロをイエス・キリストのもとに最初に連れてきたことがヨハネの福音書の1章に記されているんです。イエス様はペテロを見ると、このように言われました。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」(ヨハネ 1章42節)と言われたんですね。

 ケパということば、これは岩を意味するアラム語(※パレスチナ地方の当時の日常語)なんです。それでペテロとはですねアラム語のケパ・岩をギリシャ語に訳したものなんですね。

 実はペテロのもともとの名前はヨハネの子シモンという名前です。別の箇所ではバルヨナシモンとも紹介されています。ですから、ペテロに関しては聖書の中ではですねえヨハネの子シモン、バルヨナシモン、ケパ、ペテロ、四つの呼び方で記されているんですねえ。ちょっとややこしいですけど。

 ところでイエス様はヨハネの子シモンに対してわざわざ「あなたをケパ、ペテロすなわち岩と呼ぶよ。」と言われたんです。イエス様は初めからペテロのすべてを御存知であったかのようですねえ。このペテロがこれからどのような人物になっていくのか、どのような働きをしていくのかを表す意味でケパ、ペテロと呼ばれたのでしょう。

 しばらく経った時のことでした。イエス様は弟子たちにこんな質問をなさったんです。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(マタイ 16章15節)

 するとペテロは答えていました。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」(マタイ 16章16節) するとイエス様は「わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」(マタイ 16章18節) このように言われたんです。

 家を建てるために必要なのは何でしょう。土台です。土台となる岩がしっかりしていればその家はがんじょうな訳ですね。ペテロとは岩という意味ですが、イエス様は教会の土台となる岩とはペテロがイエス様に対して告白した内容こそが岩となるのだと言われたのです。そしてそれはあなた自身の人生を建て上げていくための土台の岩となるねですよと聖書は教えているんですね。

 「あなたは、生ける神の御子キリストです」という告白は、イエス・キリストは神である方であり、死んだ方ではなく今も生きており、まことの救い主キリストである、という告白なんです。

 このペテロの語った告白をあなたのイエス・キリストに対する告白として生きていくとき、それが人生の大切な土台となるんです。それは決して揺らぐことのない岩となることを聖書は教えているんですね。

 (PBA制作「世の光」2012.12.10放送でのお話しより)

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世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの東海地方での放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
 

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■手にかまを持った人の子のような方 / 羽鳥頼和

2012年12月08日 | Weblog
2012/12/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 71年前の今日、日本による真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まりました。日本本土は空襲に遭い、そして原爆が落とされ、日本は敗北しました。戦争の悲惨さを忘れないために日本が自ら戦争を始めた12月8日を忘れてはいけないと思います。

 聖書によれば、世の終わりが近づくと戦争が沢山起こると言われています。国と国だけではなく民族同士の戦いがあちこちで起こります。そして地震や飢饉が起こるというのです。

 新約聖書のヨハネの黙示録14章には、そのような世の終わりである週末の時代にキリストが来て悪者をまとめて滅ぼされることが教えられています。

 その様子はとても恐ろしいものです。キリストは鋭い鎌で悪者を刈り取り、それを踏み潰し、火で焼き尽くしてしまうのです。

 しかしそれだけではありません。良いことも語られています。悪者に対するさばきが行われるその時、正しい者たちは天の父の御国で太陽のように輝く、と教えられているのです。

 このように世の終わりは悪者には滅びの時ですが正しい人には本当の救いの時なのです。神様はあらかじめ私たちに世の終わりに起こること教えてくださいました。それは私たちを滅ぼすためではなく、私たちを救うためなのです。いつか神のさばきがあります。そのときイエス・キリストを信じ罪を赦されているならば神のさばきに遭うことがなく永遠のいのちに生きることができるのです。

 71年前の真珠湾攻撃に加わった淵田美津雄(ふちだ みつお)さんは戦後クリスチャンになりました。真珠湾攻撃の総指揮官であった淵田さんは戦闘機から「トラトラトラ(※奇襲ニ成功セリ)の電文を打ったことで有名です。戦争の悲惨さを経験した淵田さんは1949年イエス・キリストを信じます。そして「祖国日本の救われんために我ら何をなすべきか。なんじイエス・キリストを信ぜよ。」と語り続けました。淵田さんは戦後8年目にアメリカに渡り、多くの人にイエス・キリストのことを伝えました。淵田さんはそのままでは自分が滅びてしまうものであることを悟り、その滅びを免れるためにはイエス・キリストを信じるしかないことを悟ったのです。

 あなたも今、イエス・キリストを信じて永遠のいのちに生きる者となってください。

(PBA制作「世の光」2012.12.8放送でのお話より )

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