♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■心に迎えよう

2009年01月20日 | Weblog
 
  世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。 

 アメリカでは今年、新しい黒人のオバマ大統領が誕生しましたね。 しかしほんの数十年前には心痛める人種差別がたくさんありました。 

 以前、こんな話を聞いたことがあります。 一人の黒人がアメリカの北部に住んでいました。 彼は熱心に教会に通っていたクリスチャンでした。 そして事情があって南部に引っ越しをすることになったんです。 そして引っ越しをしてすぐに教会に行ったそうです。 しかし彼はそこで大きなショックを受けました。 彼が教会の玄関に入ると優しい口調で「ここは白人専用の教会ですから、別の教会に行ってください。」と言われたというんです。 彼は家に帰ってきて、神様に涙を流しながらこう祈りました。 「どうしてこんなことがあっていいのでしょうか。」 すると彼の心にこんなことばが迫ってきたというんですね。 「お前の涙は十分に理解した。 だがお前はまだ幸せではないか。 お前はあの教会の玄関にまで入れてもらえた。 しかしわたしは玄関にも入れてもらえないのだ。」 こういう主の声を聞いたって言うんですねえ。

 最初この話を聞いた時、なんて悲しいことだと思いました。 しかし、「わたしは玄関にも入れてもらえない」というこのことばを考えた時、待てよ、私たち一人ひとりの姿はどうだろうか、と考えたんです。 

 新約聖書のヨハネの黙示録3章20節にはこう記されています。
 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

 イエス・キリストは戸の外に立ってあなたの心の扉をノックしている、っていうんですね。 夜露に濡れようが、いつまでもあなたの心の扉をノックしているというんです。

 あなたはもし扉をノックする音が聞こえたらどうしますか? 「ハイ。 どうぞお入りください。」と扉を開けますか? それとも無視しますか? イエス・キリストはあなたが無視してもなお叩き続けてくださる方なんです。

 そしてイエス・キリストが扉を叩き続けてくださる目的は、あなたと一緒に食事をするということなんですねえ。

 この食事を共にするということは大切な象徴的な意味があるんです。 食事、それは楽しい一時ですね。 それは最も親密で自由な交流を表しているんです。 人は独りで生きていくことができません。 必ず誰かとのかかわりを持って生きていきます。 イエス様はあなたの心の扉を叩いています。 だからこそ、「お入りください。」とイエス・キリストを迎えることこそ私たちの取るべき態度なのです。 
 (PBA制作「世の光」2009.1.20放送でのお話しより)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■暗闇の中に光が

2009年01月19日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 私の知っている方で炭坑で働いておられた方がいてですねえ、その方は炭坑の坑内をチェックして歩くそういうお仕事をしておられたんですねえ。 で、頭の所 ---額の所--- にカンテラって言うんですか、それを付けて坑内を歩く訳ですけれども、ある時にそのカンテラが電池が切れて真っ暗になってしまったんですね。 で、私たちが想像する暗闇とは(違い)、あの周りが黒い石炭の中で光がなくなるっていうことは、本当暗い!。 真っ暗というのはこのことだという、その時に、何とも言えない恐怖を感じたって言いますね。 どこにも明りが見えない。 そして迷路のようになっているその中で光を失った時のあの恐ろしさは忘れることができない。 でも何とかしてここから出なければならないというので、もう歩き回って歩き回って歩き回ってそして向こうの方に針の穴ほどの光がポツンと見えた時、ああ助かったあー!、と思った。 その時に、針の穴のようなそのポツンという光が自分自身の心に言うことのできない希望と喜びを与えてくれた、その時の事を忘れることができない、ってこう言ってたんですねえ。

 えー、白熱灯が日本に灯されるようになってからまだ122年しか経たないそうですけれども、しかし本当に今はもうものすごい勢いで光の文明が私たちの生活を明るくし、便利にしてくれている訳ですよねえ。 ですけれども私たちの心の闇というのは、何でしょうかねえ、その光がますます明るくなっていけばいくほど反比例するがごとくにして家庭の中に社会の中にまたは心の中に、そういうような科学が作り出した光では駆逐することのできない闇が迫ってきている、そんな感じがしますですよねえ。

 そんな中でまさにイエス・キリストが「わたしは世の光です。」(ヨハネの福音書8章12節、9章5節)というふうにおっしゃって、「わたしに従ってくる者は、決してやみの中を歩むことがない」(ヨハネの福音書8章12節参照)という。

 新しい年を迎えましたけれども、まさに一寸先は闇というふうなその中にあって、私たちは光であるイエス・キリストを前にしてですねえ、このお方の後をついていくならば大丈夫だという、そういう光のある人生を歩むことができることは何と幸いなことかってそう思うんです。

 ( PBA制作「世の光」2009.1.19放送でのお話しより)

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ


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■ともに食事をすることが幸せ(2)

2009年01月17日 | Weblog


世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 今から二十数年前になりますが、ミクロネシアの島を訪ねたことがあります。 その時に、生まれて初めて柱と屋根だけの家におじゃましました。 囲いがない住まいでした。 出入り自由でした。 

 ところで聖書にはこう書かれています。

 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」 ヨハネの黙示録 3章20節です。

 戸を開けるということは内と外との出入りが自由になることです。 ですから戸は開けるかどうかは、その叩いている声の主が誰か、信用できるのか、ということにかかっている訳です。 実はこの聖書の、戸を叩いているのは、イエス・キリストです。

 ではなぜイエス・キリストは戸を叩いているのでしょう。 しかもこの時の叩き方は、一回や二回ではなく、戸が開く迄叩き続けるというものなんです。  それは、共に食事をしたいからだ、というんです。

 興味深いのは、この時の食事は一日の主食です。 おやつなんかではないのです。 親しい者どうしが心おきなくゆっくりと、心と心を通わせて頂く食事です。 つまりこれは特別な意味です。 キリストと人との親しい交わりを意味するのです。 

 私はかつて青年時代、路地に舞う空っぽのビニール袋のように虚しい日々を過ごしていました。 そんな私にキリストは声を掛けてくださいました。 「心の戸を開けてごらん。 あなたは今日、仕事に行き詰まっていたり、あるいは健康面で不安を抱え、あるいは家族関係や友達との関係に疲れ、あるいは人には言えない罪に苦しみ、心の戸を締切っている、ということはありませんか? さあ、戸を開けて、わたしと一緒に食事をしよう。」 そうキリストはあなたにも声を掛けておられるのです。

 あなたがキリストを心の内に迎え入れる時、神にある幸いな人生が始まるでしょう。 あなたもぜひ一度、お近くのキリスト教会を訪ねてみてください。 
  
  ( PBA制作「世の光」2009.1.17放送でのお話しより )

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■詩篇を味わう (3)  心の痛みが深まるとき

2009年01月16日 | Weblog

 世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。

 私たちの心はいろんなことを覚えています。 もちろん忘れてしまうことも沢山ありますが、忘れることが出来ず何度も思い出しては心を痛める失敗や過ちもありますよねえ。 

 さて今日味わう詩篇は65篇1節から3節です。 さっそく読んでみましょう。 
 「神よ。・・・ 祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。

 この詩篇の作者はきよい神様の前に出て自分のことを「肉なる者」と語り、「咎が私を圧倒しています。」と語りました。  自分が犯してしまった過ちや罪によって深い悲しみや痛みで彼の心がいっぱいになってしまったのです。

 しかし神様はそのすべての咎・そむきの罪を赦してくださるお方だ、と彼は祈っています。 なぜでしょうか。 それは神様が、聖なる方ですが同時に愛なるお方であり、私たちの罪の赦しの道を用意してくださっているからです。

 神様はあなたの心の中にある悪い思いや行いのすべてをご存知です。 あなた以上に覚えておられます。 しかし愛なる神様は私たちのすべての罪を神の子キリストに負わせ、私たちの代わりに彼を裁かれたのです。 そして私たちを赦し、天国に住まわせてくださるという祝福をこのイエス・キリストによって用意してくださったのです。 

 旧約聖書のイザヤ書で、イエス・キリストについてこう言っています。 
 「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ書 53章5節)と。

 あなたの罪のためにイエス・キリストはその裁きのすべてを受けてくださったのです。 あなたもこの救いの道・赦しの道を御自分のものとしませんか? あなたにどんな失敗や過ちがあったとしても、神様はすべてを御存知で赦しの恵みを用意してあなたを待っていらっしゃいます。 

 ではまた聴いてください。

(PBA制作「世の光」2009.1.16放送でのお話しより)

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■いのちのパン

2009年01月15日 | Weblog


世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 

 今日のバイブル・メッセージは「いのちのパン」です。 それでは聖書の中のヨハネの福音書6章35節から読んでみましょう。 

 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」

 イスラエルの歴史の中には、イスラエルの神が天からのパンで養われた話があります。 エジプトで奴隷状態であったイスラエル人が、モーセという指導者に導かれて約束の地・カナンに入るまで40年間、荒野をさ迷った時代がありました。 その時、神はマナと呼ばれる天からのパンでイスラエルの民を養われたのです。 

 聖書が語るマナについて多くの学者は、荒地の木に寄生する昆虫の排泄物だったのではないかと考えています。  それは薄い色をしていて砂糖のような甘さがあり、急激に蒸発すると白い粒となって地上に転げ落ち、蟻の餌になるのだそうです。 

 当時イスラエルの民は男子だけで60万人いたそうです。 それだけの人々の胃袋を満たすため、カナンに到着するまでの40年間、絶えることなく与え続けた訳ですから、それはもう自然界の出来事というよりは、神の超自然的なわざであったと言うべきですねえ。 

 聖書はイスラエルの祖先が天からのパンで養われたように、今日の私たちも再び天からのパン、つまりイエス・キリストのことばによって養われるのだと言います。 

 しかしイエス・キリストのことばがどうして私たちの胃袋を満たすものか、と思われる方もいることでしょう。
 
 ある人が言いました。  「お酒をやめることがなかなかできない。 お酒がないと自分のよりどころがなくなってしまう。」と。 しかしお酒の満たしは一時的なものです。 酔いが醒めれば再び現実の中でお酒に逃げたくなる思いになることでしょう。 胃袋を満たす以上のものが私たちには必要なんですねえ。

 イエスのことばはそんな私たちの心を深く永続的に満たす力です。 

 あなたも聖書を開いて読んでみませんか。 そうすればあなたの心の飢えと渇きを深く満たす、そんなイエスのことばに出会うことでしょう。


 (PBA制作「世の光」2009.1.15放送でのお話しより)

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■御名があがめられますように

2009年01月14日 | Weblog
 

 世の光の時間です。 お元気ですか? 安海靖郎です。

 今日は、お祈りについての第二回めのお話しです。 イエス・キリストが教えた祈りの模範、『主の祈り』の二番目のことばについて見てみましょう。 

 「天にいます私たちの父よ。
  御名があがめられますように。
」(マタイの福音書 6章9節)
というのです。「御名」とは名前のことで、神様の名前を意味します。

 名前というのはその存在・実体を表すものですね。 例えば私の名前は安海靖郎(あつみ・やすお)です。 それは私という存在ありのままのすべてを指している訳です。 同じように御名とは神の名ですから、神の存在・実体を表し、存在する実在する神そのものということです。

 ではどのような神・実在する神なのでしょうか。 例えば聖書のイザヤ書の40章の28節からの所にこのように説明されています。 
 「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(28~31節)

 このような神様の名前いや神様御自身が知られ、あがめられますように、という祈りです。「あがめる」というのは神を神として敬い、尊ぶという意味です。

 どうしてこのことばがお祈りの中での最初のお願いなのでしょうか。 それは聖書によりますと、この世界のあらゆる問題、例えば人間関係の歪み、争い、戦争、そして生きる意味や目的の喪失、罪は、創造者であるまことの神を知ろうともせず神としてあがめなくなってしまった所から起こってきていると言うのです。 つまり人間が神を無視し、まるで神を自分のように考え、自分のことしか考えなくなったことがすべての悪の根源だというのです。 ですからイエス・キリストを知り、神を神としてあがめる所にすべての問題の解決、真の愛と平和の始まりがある、という意味なのです。

 ( PBA制作「世の光」2009.1.14放送でのお話しより )

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■心に刻む言葉

2009年01月13日 | Weblog
 
  世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。 

 ある方が香港の町を歩いていると、入墨屋を見かけたそうです。 ショーウィンドウには、まあいろいろな柄や文字のサンプルが飾ってありました。 派手な花模様や様々な種類の文字。 でもその中に目を疑うようなことばがあったそうです。 それは「負犬」。 その人は店の主人に尋ねました。 「本気で『負犬』なんて彫ってくれって頼む人がいるんですか?」 すると主人は、「うん、たまにね。」と答えたそうです。 その人はびっくりして「いやあ、とても信じられませんねえ。」と言うと、主人はこう答えたというんですねえ。 「お客さん、身体に彫る前に既に心の中に刻みこんでいる人が結構いるんだよ。」 こういうふうに言ったというんです。

 身体に彫られる前に心の中に刻まれている、・・・何か考えさせられますね。 私たちはいろいろなイメージや先入観で自分の心の中に「負け犬」なんてことばを刻み込んでいるかもしれません。 でも、あなたの心に刻まれなければならないことばは、それは「私は高価で尊い」(イザヤ書 43章4節参照)、「神様が味方だから私はいつも圧倒的な勝利者なのだ」(ローマ人への手紙 8章31、37節参照)というようなことばが刻み込まれたら人生は変わってきますね。 

 聖書は、私たちの罪や弱さを容赦なく指摘する書物です。 私たちの心を見たら本当に罪あるものだとうなずくでしょう。 でも罪や弱さを指摘されるだけで終わったら何の救いもありませんね。 その罪の解決のためにとてつもない神の愛が注がれていることを知ってください。 弱いくせに強がって神様に背を向けているような私たちを命がけで愛し救おうとおっしゃる方がいるのです。 その方こそイエス・キリストです。

 聖書には「罪から来る報酬は死です」(ローマ人への手紙 6章23節)とはっきりと書かれています。 イエス・キリストは私たちのすべての罪を担い、私たちに替わって十字架につき、私たちが当然受けるべきすべての罰を身代わりに受けてくださったのです。 そして三日目によみがえり、今も生きていて、信じる者に赦しと決して失われることのないいのちを与えてくださると約束しています。 イエス・キリストは御自分を信じ受け入れる者の心の内に住んでくださり、新しい人生を歩ませてくださる方なんです。

 だからこのイエス・キリストを人生の主として、救い主として信じ受け入れてください。 あなたも神様に愛されているのですから。

 今迄あなたは心の中に否定的なことばを刻み込んできたかもしれません。 しかしそれを削り取ってしまいましょう。 あなたは神様に愛されている大切な人なのです。 

 (PBA制作「世の光」2009.1.13放送でのお話しより)

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■脱・こども

2009年01月12日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 今日、1月12日、成人の日ですね。 今日から成人になられるという方々がいらっしゃると思いますねえ。 えー、私たちはとっくにもう成人というその時は終わってしまった訳ですけれども、しかし本当に成人とは何なんだろう、大人って何なんだろう、というふうに思わされたりしますんですが、聖書の中にコリント第一の手紙の13章という所にこういうことばがありまして、「私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。」(13章11節)ということばがあるんですね。 で、子どものことをやめて大人になるという・・・。 大人になるということはどういうことなんだろうか、という。 成人するということは、これで公に酒も飲めるというとか、たばこも吸えるとか、そんなようなことではないはずで、少なくとも私は三つのことがあるだろうなあというふうに思わされるんですね。

 一つは、自立ということだと思いますねえ。 で、経済的に自立ということも一つはあっていいだろうというふうに思いますし、精神的にもですね、今迄誰かに依存しながら生きてきたというふうなそういう所から、自分の生活は自分できちんと守る、立てていく、というふうなことについての自立。また自分の考え方を、自分の人生観をきちんと持って生きるという意味での自立が求められる。それが大人だということの一つだろうなというふうに思います。

 で、二つめのことは、責任ということですよね。 よく責任能力があるかどうかというふうなことが言われたりしますし、自己責任というふうなことも言われたりなんかもしますけれども、今までは何となく甘えが周りからもあったと思いますし、自分自身の中にもまだ未成年だからというふうな甘えがあったりするということがあるかもしれませんけれども、はっきり自分自身の行動については責任を持つ、責任が取れる生き方をするということが大事なことだろうなというふうに思いますね。

 そして三つめのことは、貢献ですね。 今迄はやっぱり誰かにしてもらって当たり前というふうな、そういう所があったかと思いますけれども、大人になるということは、これからは自分はいったいこの社会に対してまた周りの方々に対して何ができるのかという、どういう貢献ができるのかという、そういう生き方をしていくことが大人としての生き方ではないのかなあというふうに思わされたりしますね。

 どこかでけじめをつけてはっきり大人としての生き方をしていく。 私たちも一層大人として成熟して生きていくことが必要だろうなと思っています。

 ( PBA制作「世の光」2009.1.12放送でのお話しより)

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■ともに食事をすることが幸せ(1)

2009年01月10日 | Weblog


世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 この前、友人たちと三十年ぶりの食事をしました。 まあ同窓会ってやつですね。 三十年も離れていたのに話が弾んでわずかな時間にみんな昔に戻りました。 一緒に食事ができるっていうこと、それ自体が幸せです。 

 ある日、イエス・キリストは、レビという取税人を新しく弟子に加えました。  レビは大喜びで自分の家にキリストを招き、友達も呼んで大盤振る舞いをしたんです。 

 ところがそれを見たある人たちは、キリストに向かって、大食漢で大酒飲みだ、取税人や罪人の仲間だ、そういって非難し、あざ笑ったのです。 

 当時、レビのような取税人というのは、ローマ帝国の税金取立ての請負人の手先で、同じ民族や仲間からローマに納める以上に金を絞り集め、自分の儲けとしていたんです。 それで彼らは詐欺師や殺人犯と変わらない連中と見られていました。 

 キリストはそんな取税人と一緒に食事をしたものですから、取税人や罪人の仲間だ、と言って非難したんです。 

 キリストは当時のそんな宗教事情をよく御存知です。  ではなぜ取税人たちと一緒に食事をしたんでしょうか。 キリストのことばを聞いてください。

 「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」 新約聖書 ルカの福音書 5章32節

 レビがキリストを食事に招いたはずです。 ところがキリストは今、「わたしが人々を食事に招くために来た」と言うんです。 そこには取税人や娼婦・罪人も含まれていたんです。 意外なことでしょうか。 

 キリストは、過ちを犯し重い荷物を背負ってとぼとぼと人生の坂道を歩いている一人の人間の悲しみや涙にまったく無関心であったり石を投げるようなことはしなかったのです。 キリストは過ちを犯した人たち、悲しみや涙をこらえている人たちを助けるために来ました。 ですからキリストは、たとい取税人であっても一緒に食事をしたのです。 ここには神の憐れみが溢れています。 この食卓にあなたも招かれているのです。 

 あなたも一度、お近くのキリスト教会を訪ねてみてください。 
  
  ( PBA制作「世の光」2009.1.10放送でのお話しより )

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■詩篇を味わう(2)  力ある御翼のかげで  

2009年01月09日 | Weblog

 世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。

 私が小学生の時でした。 家族や友達と琵琶湖の近くで小さなキャンプをしたことがありました。 ハイキングの時にリーダーの方が地図を見間違えたために15人くらいのメンバーがみんな道に迷ってしまったのです。  やがて夜になり、あたりは真っ暗になり、私たちのグループは道なき道を進んで行かざるを得ませんでした。 

 その時私は足を踏み外し、小さな崖だったのですが、滑り落ちそうになったのです。  その時、がしっと私の手をつかんで引き上げてくれた人がいました。 真っ暗な中でのその力強い手のぬくもりを今でも忘れることができません。 

 さて、今日の詩篇は、63篇7節と8節です。 神様への祈りです。

 「あなたは私の助けでした。 御翼の陰で、私は喜び歌います。 私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。

 神様の力強い右の御手がこの詩篇の作者を支え、神様の愛の御翼の陰でこそ作者は安心し、心から喜び歌うことができるのだというのです。 

 小さなひよこたちが雌鳥の翼の下で安心していることができるように聖書が語る神様はその愛の御手で私たちを匿(かくま)い守り助け出してくださるのです。 ちょうど私が崖から滑り落ちそうになった時、そこに支えてくれる力強い腕があったように、神様は倒れそうになるあなたの腕を支え、その御翼の陰に守ってくださるのです。 

 詩篇17篇6節と7節にはこうあります。 

 「神よ。 私はあなたを呼び求めました。 あなたは私に答えてくださるからです。 ・・・私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。
 
 神様はあなたを愛の御翼で匿(かくま)い守ります。 そしてあなたを目の瞳のように大切に守り助けてくださいます。 いつでも、どこででも、あなたがもし神様を呼び求め祈るなら、神様はあなたの叫びに答えてくださるのです。 

 子どもが親にすがるようにあなたも今抱えているその叫びを神様にゆだねてみませんか? 神様は両手を広げ、あなたのことを待っていてくださいます。 
 

 ではまた聴いてください。

(PBA制作「世の光」2009.1.9放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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