♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■人生の破れは修復される

2006年10月19日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中の第一ペテロの手紙から読んでみましょう。

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
       第一ペテロの手紙 5章10節

 あなたはいろいろな生活場面で何だか貧乏くじを引いてしまったと思うようなことはありませんか? 失敗続き、不幸続きのような時には、特にそう思ってしまうことでしょう。しかし、そんな苦しみも、しばらくのことと聖書は約束します。「あらゆる恵みに満ちた神・・・ご自身があなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」と。興味深いことに、「完全にし」と訳されたことばは聖書の別の箇所では「修復する」と訳されています。魚を採る網を「修復する」という意味に訳されているのです。失敗続き、不幸続きがあると、私たちには自分の人生のいろいろな破れが見えてくるものではないでしょうか。あそこにもここにも穴だらけ。自分のほつれた姿が見えてくるのではないでしょうか。しかし、恵みに満ちた神様はそのほつれを修復してくださる、完全にしてくださると言うのです。何と素晴らしい約束ではないでしょうか。

 ペテロは別の箇所で、「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」(第二ペテロの手紙 1章2節)と祈っています。 ぜひ聖書を続けて読んで、いよいよ神の恵み深さを知り、日々の生活に豊かな望みを持っていただきたいと思います。

 聖書をお読みいたしましょう。
あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
        第一ペテロの手紙 5章10節

 (PBA制作「世の光」2006.10.19放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。





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■福音の四季: わたし、主はそれを見守る者

2006年10月18日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。長野県小布施町にお住まいの原さんから戴きました。短い詩です。

 「空」
  小さな小さな小さなわたしが 大きな空を見上げて 喜んでいます
  ありがとうございます

 いつも原さんは「喜んでいます」、何でも「ありがとうございます」ですね。お幾つくらいの方かなと、私より少々年上のお年寄りではないかしらんと考えながら短い詩を楽しみにしてまいりましたが、今回「私は88歳です。今日、誕生日でした。」と書いてくださいました。私より3歳年上の方でした。年老いて「喜んでます」「ありがとうございます」の生活、いいではないでしょうか。

 さあ福音の四季のメッセージです。旧約聖書イザヤ書27章3節のことば、お読みします。

わたし、主は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。

 今私は千葉県市川市に住んでいますが、20数年前には東京都練馬区に住んでいました。私はそこで第1回めの心臓の手術を受けたのです。退院してしばらく静養している時でしたが、二階の窓から庭を見下ろしますと、芙蓉(ふよう)※ の木が大きく生い茂って、何百というピンクの花をつけているのにはびっくりしました。戴いた苗木の時は小さな花一つをつけた、ちっぽけな芙蓉でしたのに、何もせず放っておいたのに、こんなに大きく生い茂って、何百という花をつけています。このちっぽけな芙蓉を私が見過ごしていても神は、見守り、育て、成長させ、花を咲かせてくださったのです。神様はこの小さな汚れた虫けらのような私を長年見守り、絶えず水を注いでくださいました。昼も夜もまどろむことなく見守っていてくださったのですねえ。

 聖書のことば。
わたし、主は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。」イザヤ書27章3節のことばです。

 それではまた聴いてください。


※ ふよう 【芙蓉】(1)アオイ科の落葉低木。暖地に生え、観賞用に栽植。高さ1~3メートル。葉は浅く三~七裂する。初秋のころ、上部の葉腋に径約13センチメートルの淡紅色の五弁花を開く。花は一日花で、白花の八重咲き、花色が変化する品種などもある。木(もく)芙蓉。[季]秋。   大辞林 第二版 (三省堂)より


 ( PBA制作「世の光」2006.10.18放送でのお話しより )

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■家を治める者

2006年10月17日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 聖書を読んで行きますと、イエス様のもとに大勢の人たちが集まってきた様子が書かれています。中にはですねえ、イエス様に対してとんでもないことを言う人たちもいました。「イエス様、あなたは悪霊の親分でしょう。だから子分の悪霊を追い出すことが出来るんですよ。あなたのやっていることはみんな悪霊の仕業ですよ。」ま、こんなことを言った人たちもいたんですね。

 悪霊の親分のことを聖書では、ベルゼブルという名前で書かれているんです。これはですね、蝿の王様という意味があるそうです。まあ想像してみてください。ぶんぶんぶんぶんですね、うるさくてしようがない存在ですよね。当時の宗教家たちにとっては、まさにイエス様は、ぶんぶんぶんぶん、ま、うるさくてしようがない蝿の王様、蝿の親分のように思えたでしょう。またこのベルゼブルとは家を支配する者という意味もあると言われています。それは、人の心の家を支配する者・その頭という意味なんですねえ。

 イエス様は、こう話されました。「国が内部で分裂していたら、その国は立ち行かない。当たり前ではないか。」って、こう言われたんです。だからイエス様は、「わたしが悪霊の親分で他の悪霊と内輪もめしていたら、その家は立ち行かないではないか。」とおっしゃったんです。

 そしてイエス様は、大変ユーモア溢れた例えをなさいました。それはどういう例えかと申しますと、「あなたも成功する押入り強盗の仕方」というような内容です。「もしあなたが強盗に入るとしたら何をしなければならないか。家に入ったら、まず一番強い人を縛りあげるんだ。そうしないと失敗するぞ。これが第一。その後略奪するんだ。こうしたらあなたも強盗に成功するよ。」こう言われたんですねえ。まあイエス様という方はユーモアのある方ですね。何と言ったってイエス様は、御自分を押入り強盗に例えられたんですから。

 でも考えてみてください。あなたの心の家を治めているものは一体何ですか。残念ながらある人は、自分中心であったり、憎しみであったり、また妬みであったり、罪であったりしますねえ。あなたの心が何によって支配されているかによって人生はまったく違った光景を見ることになるんです。

 新約聖書のガラテヤ書の5章1節には、「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」と書かれています。イエス様は、あなたを不自由にしているものを縛りあげて、恵みと真実をもってあなたの心の家を治めようと招いてくださっているんですよ。このイエス様に人生を委ねて生きていきましょう。

 ( PBA制作「世の光」2006.10.17放送でのお話しより )

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■生きるようにして下さる

2006年10月16日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、聖書の中にこういうことばがありまして、「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。」(ヨハネの手紙第一 4章9節 口語訳)

 神様の愛が明らかにされたのは、彼によって、つまりイエス・キリストによって私たちを生きるようにしてくださったということだっていうふうに書いてあって、私はこのことばがですね、とても好きですねえ、そして私自身にとっても大きなことであったように思うんですけれども。

 えー、私の友達でですね、小児麻痺にかかったために手が曲がってそしてちょっとこう本人がよく「私の手は擂り粉木(すりこぎ)みたいだ」って言ってましたけど、すりこぎのようにまあなっててですね、で、足も不便で、で、ことばも少し不自由でっていうふうなことで、だから子どもの頃から随分みんなから虐められてですねえ、「すりこぎ」って言われたり、まあいろんなそういう悪いことばでですねえ馬鹿にされたりして悩んで苦しんで、で、ある宗教家の所に「どうしてだろうか」というので悩みを打ち明けに行ったら、「それは前世の因果だから」というようなことを言われてですね、そうしたら、なおさらこう、「そうかあ、そうしたら「私の前の先祖たちが・・・」とか、「まさかお婆ちゃん」とか親とかですね、いろんなことが恨めしく思うようになって、そしてその優しくしてたお婆ちゃんを叩いたり、お母さんを叩いたりというふうなことまで行った。ある時にもう本当に絶望して死のうとして薬を手にしてですねえ、あちらこちらさまよっていた。けれどもそのさまよっている時に、「さまよう人々立ち帰りて」っていうその讃美歌がどこからか流れてきてですね、その讃美歌に惹かれて行ってみたらそこに教会があって、そこで初めてですね、その「生けるまことの神様はあなたのそのハンディと思っているそれをも活かしてそして神様の栄光を現わす存在になることができるんだ」っていう話しを聞いた時に、びっくりしたそうなんですね。で、この方は本当にイエス・キリストを通して神様の愛を知ってですね、「私はこういう体であるけれども、このことがむしろ私の人生を豊かにしてくれたんだ」というふうな言い方をするようにまでなったというんですね。

 私たちを生きるようにしてくださる。イエス・キリストは「わたしがいのちだ」(ヨハネの福音書 14章6節)とおっしゃった時に、それは私たちを活きるようにしてくださるという意味もそこにあるということなんですね。
 
 ( PBA制作「世の光」2006.10.16放送でのお話しより)


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■あなたの隣人を愛せよ

2006年10月14日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は、皆様からお寄せ戴く「心に残る聖書のことば」の御紹介です。東京都三鷹市にお住まいの岡村さんからは、新約聖書ルカの福音書10章27節のみことばをお寄せいただきました。お読みします。

 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」

 今から30年程前、救急車で現場に出動していた時に、突然の怪我や病気で困っている人に居会わせた一般市民の人たちが見捨てて立ち去ることなく、そばへ寄って声をかけ、元気づけたりするのを見て、こんな時に少しでも応急処置のやり方を一般に普及しようと心に決め、世界の幾つかの国の実情を見て歩いた。たまたま北米フロリダ州のジャクソンビル市でこの事に熱心だった元海軍大佐ウォーターマン氏を知ることができ、彼とルカの福音書10章、良いサマリヤ人のくだりを聖書から声を出して一緒に読むことになった。そして終わりの方で、「あなたも行って同じようにしなさい」という所は二度声を揃えて唱えた。「傷ついた人を見た時に、このイエス様のことばを思い出し、決して心くじけないようにしなさい」と、静かに彼は言われた。現在でも私は来て同じようにせよと心の中で唱えて、良き隣人であるべき勇気を新しくしてきました。

 岡村さんは、満88歳の誕生日です、と書いてくださいました。青年の時から今までこのことばを貫かれた御生涯だったのですね。

 岡村さんの心に残る聖書のことば。
 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」
 ルカの福音書10章27節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」06.10.14放送のお話しより)


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■心に平安を

2006年10月13日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。今日は私たち誰もが必要な心の安らぎについてお話しします。

 忙しい時代、イライラすることが多かったり、なかなか心の平安・安らぎ、持ちにくい現実があるのではないでしょうか。先日、奥さんが心の病院で入院したジャーナリストの知人からこんなメールを貰ったんです。

 「精神科の病棟に入ると、僕のように病んでいない人間でも、何かホッとさせる安らぎがあります。静かな時間と優しさ・思いやりといったものです。」

 現代社会がスピードという暴力に取り憑かれ、コミュニティーの優しさを失ってから心の病気が増え続けたとも言えそうです。確かに分るような気がします。考えさせられました。子どもも大人もみんな成績や実績・効率が求められる社会になってしまいました。そんな中で疲れを感じたり、イライラしたり、心の空しさを感じる、ま、そんな人、決して少なくないのではないでしょうか。

 そんな中で、どこでどこから心の安らぎ、魂の平安を求めていったらいいのでしょうか。イエス・キリストは弟子たちにそのことについて、こんなふうに言ったと新約聖書ヨハネの福音書14章27節に書いてあります。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

 このキリストの平安とは、例えば、嵐の中で沈みそうになっている小舟の中でぐっすりと眠る、そんな平安でした。そして弟子たちに起こされて立ち上がって、風を叱りつけ、荒れ狂う波に向かって、「黙れ、静まれ」(マルコの福音書4章39節 )と嵐を静めた平安と力です。それは一言葉で嵐を静めることを通して示された自然界をも支配する神の権威と力に裏付けられた平安です。
 
 このような平安は、自分の実績とか心持ちだけでは持つことはなかなか出来にくいものです。イエス・キリストを信ずる心に与えられる神の平安、心の安らぎです。あなたもぜひお持ちください。

  (PBA制作「世の光」2006.10.13放送でのお話しより )


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■生き方を変える大きな愛

2006年10月12日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のヨハネの福音書から読んでみましょう。

 「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネの福音書 15章13 節

 キリストの十字架をどのように考えたら良いものでしょう。それは全くもって不当な裁判による悪意に満ちた処刑でした。裁判官のピラトは、イエスに何も悪い所は無い、と認めていました。しかし暴動化しそうな群衆を怖れて、処刑を阻止するどころか正義を曲げてしまったのです。不当な罪を背負わされ、逃れることのできない死に直面する中で、イエスは何を思ったことでしょう。

 最近、戦犯として戦後処刑された海軍大尉・片山日出雄さんの手記を読みました。片山さんはラバウル戦犯収容所に収容され、戦争責任を問われたのでした。しかもそれはすべて上層部によって十分にお膳立てされ、処刑を逃れることのできない結末に直面するものでした。クリスチャンである片山さんは、正義が踏みにじられる不条理の中で、深く悩みながらも、誰かが責任をとって死ななくてはならない、とキリストの十字架愛に立つ決意を固めていくのです。戦後の特殊な状況でしたが、多くの人々に感銘を与え、生き方を正していく死となりました。

 イエスはただ暴力に打ちのめされて死んでいった訳ではありません。イエスの心の内には、人類の救いの目的のために自らの命を捧げていく積極的な愛の姿勢がありました。そんなに簡単には持ち得ない大変大きな愛です。しかしそのような愛があったからこそ、すべての人の罪が赦され、すべての人は神様の祝福を受け継ぐ者とされていったのです。

 聖書を読んで、このイエスの愛の深さをぜひ学んで戴きたいと思います。

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネの福音書 15章13 節

 (PBA制作「世の光」2006.10.12放送でのお話しよ
り)

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■福音の四季 - 溶かし、風を吹かせ、水を流す

2006年10月11日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さ、今日の世の光は、まず皆様からお寄せ戴くお便りの紹介です。横浜市緑区にお住まいの中谷さんは短歌を送ってくださいました。

 外出の妻 道を下りつつ 手を振るが 今も目に見え 露寒の朝

 中谷さんは『世の光』の愛聴者。御主人が病床で、しかしみごとに救われ、昨年、天国へ先立たれた。その夫の生前の姿を思い起こして歌に詠んで送ってくださいましたね。麗しい夫婦愛です。

 さあ今日も福音の四季のメッセージです。旧約聖書詩篇147篇15節から18節。お読みしましょう。

主は地に命令を送られる。そのことばはすみやかに走る。
主は羊毛のように雪を降らせ、灰のように霜をまかれる。
主は氷をパンくずのように投げつける。だれがその寒さに耐ええようか。
主が、みことばを送って、これらを溶かし、ご自分の風を吹かせると、水は流れる。


 この詩は私の心の中に、どんな逆境の中にも、世界中を走り回る神のことばの働きを思わせます。神のみことばは太陽の光のように全世界に届き、すべての冷え冷えとしたものを溶かし、涼しい風を起こし、そこに命の水を流されるのです。

 私にとって神の口から出るみことばは、第一、「完全でたましいを生き返らせ」、第二、「確かで、わきまえのない者を賢くし」、三、「正しくて、人の心を喜ばせ」、四、「きよくて人の目を明るくする」のです。 詩篇の19篇7節、8節です。

 私の86年の人生、幾多の雪、霜、氷がありました。しかしその上に神のことばが渡り通ると、雪は溶け、霜を散らし、氷を溶かして、魂は生きかえるのです。

 聖書のことば。
主が、みことばを送って、これらを溶かし、ご自分の風を吹かせると、水は流れる。
  旧約聖書詩篇147篇18節のことばです。

 それではまた聴いてください。

 ( PBA制作「世の光」2006.10.11放送でのお話しより )

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■暗闇から光へ

2006年10月10日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいものですね。

 新約聖書の福音書、これはイエス様の活動が記録されている書物ですが、ま、その中にはイエス様がお話しになった例えもたくさん出てきます。

 イエス様はある時、こんなお話しをしました。これはマルコの福音書4章という所に出てくる話しですけれども、「あかりを持って来る人は枡の下にあかりを置かないでしょう。またベッドの下にもあかりは置かないでしょう。燭台の上に置きますよね。隠れているものは必ず現れ、覆い隠されているものは明らかにされていきます。」ま、こんな話しをされたんです(※)。

 当時のあかりというのは、もちろん蛍光灯や電気がありませんからねえ、当時は油を使ったんです。それも精製された油ではありませんから、まあやたらと煙とか煤(すす)が出たんですね。当時のあかりは油ですから、フッと消したりしますと煙りがモコモコ出て部屋中に充満してしまうんです。ですからどのように消したかというと、枡を持ってきてすっぼり被せてしまった訳です。そうするとまあ煙が外に出ない訳です。「枡の下に置く」というのは、そういう意味があるんですねえ。ですから被せてしまった枡はもうあかりとはなりませんね。もう被っている訳ですから。またベッドの下に置いたらどうでしょう。まあ埃(ほこり)が積もって、あれっ、どこにあったっけあのあかり、てなことになる訳ですよねえ。本来の場所以外の所に置かれていることになります。

 聖書は、「隠れているものは現れます。覆われているものは明らかにされます。よく注意して聞きなさい。」って語っているんです。

 さて、イエス様は「すべての人を照らすまことの光」(ヨハネの福音書1章9節)としてこの世に来てくださいました。でもどうでしょう。まるで枡の下に置かれたような生涯を送りました。すべての人を照らすまことの光なのに、人々はこのイエス様を理解せず、受け入れようともしませんでした。それどころかイエス様は最後に、あの十字架の苦しみまで背負われたんです。でもイエス様は三日目に復活され、イエス様は今、すべての人を照らすまことの救い主として明らかにされているんですねえ。

 あなたはこのキリストのもとで憩いと平和と救いを得ることが出来るんです。暗闇から光へと移される人生は、このイエス様によってもたらされるんですねえ。あなたはイエス様を枡の下に隠そうとはしていませんか? イエス様は、「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書 8章12節)と言われたのです。あなたの心に本当の光を受け取ってください。

 ※
 また言われた。「あかりを持って来るのは枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。  隠れているのは、必ず現われるためであり、おおい隠されているのは、明らかにされるためです。 聞く耳のある者は聞きなさい。」マルコの福音書 4章21節~23節


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■愛はいのちを得させる

2006年10月09日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、イエス様がある時にナインという町をお通りになった時なんですけども、そこには悲しみに満ちた行列に出会いました。そしてその行列というのは、一人息子を失ったやもめがその行列の中にいて、そして多くの人々が一緒に涙を流しながらその行列にまあ付いているというふうな状況でした。で、このお母さんは、たった一人の息子、しかもまあ、やもめでこの子を頼りに育ててきたのに、その息子を失ってしまったということで、本当にもう悲しみに暮れていた訳ですね。それを御覧になったイエス様は、そばに近づいて来られた。

 で、このお母さんがイエス様を見て、どう思ったでしょうか。ああ、このイエス様は愛の方だから、イエス様、この子は本当に貧しかったんですけどもせめてこの棺の中にお金をたくさん入れてくれませんかというふうにお願いしたかったでしょうか。この子は本が大好きだったんですけれども、あんまり字を読むことができなかったので、この棺の中に本をたくさん入れてやってくださいませんかというふうにお願いしたかったでしょうか。イエス様、あなたが愛の方だったら、この子は一生懸命働いたんですけど、でも誰にも表彰されたことがない。せめてこの子は親孝行でしたって表彰してくれませんかというふうにお願いをしたかったでしょうか。こんな粗末な棺でなくて立派な棺に換えてくれませんかというふうにお願いしたかったでしょうか。このお母さんは、イエス様、あなたが愛の方だったら、 --お願いしたかった事は、一つだけだと思うんですね。それは、-- この子を生かしてください。この子にいのちを与えてください、ということだったと思うんです。

 ヨハネ第一の手紙の4章の中で、神様は私たちにいのちを得させてくださいました、これによって愛ということを示された、ということばがあるんですね。(1ヨハネ 4章9節 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」) 神様が愛ということを示されたのは、いのちを得させることにおいてだっていうふうに書いてあります。どんなにいいものを貰っても、いのちが無かったら何にもなりませんよねえ。本を貰ってもお金を貰っても、どんなに環境を良くして貰っても、いのちが無かったら何もありません。愛の一番大事な事は、いのちを与える事だっていうことでした。イエス・キリストは、「わたしがいのちです」(ヨハネの福音書 14章6節)とおっしゃった。それは私たちにいのちを与えるために御自分のいのちを投げ出すというそういうことを背景にして「わたしがいのちです」とおっしゃった。このことをぜひ知って戴きたいと思うのです。
 
 ( PBA制作「世の光」2006.10.09放送でのお話しより)


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