♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■この道をゆけば

2006年08月21日 | Weblog

 おはようございます。世の光の時間です。お元気でしょうか。(村上宣道です。)

 えー、私が、大分前になりますけれども、アメリカのサンフランシスコの近くに住んでいた時のことですが、ま、留学生でですね、ポンコツのやっと走るような車に乗っていた訳なんですけれども、ロサンゼルスの方まで行かなきゃならないって時に、「ああ、この車では無理だ」というので、ある社長さんが、「私の車、3台あるからどれでも好きなのに乗りなさい」って言ってくださって、その中にベンツがあったんですよ。ベンツでもいろいろありますけど、最高級のベンツでですね、もう、「これに乗っていいんですかあ?!」ってなことで、その車に乗ってですね、向こうの道路は広くて快適なんですよ。そして本当に、大体この時期だったんですけれども、青空がどこまでも広がっていく、そういう中で、(こんな気持ちいい車ってあるんだろうか)と思うようにまあドライブして楽しんでいた訳なんですけれども、ロサンゼルスの近くになりましたらですね、そのハイウェイがまるでその網の目のように入り組んでいるんですねえ。日本でしたら殆どまっすぐで迷うってことない訳ですけれど、英語のそのいろんな標識が出てくる訳でけれども、それをこう走りながら読むのは難しくって、そしてどういうふうに行ったらいいか分かんなくなって、でも止まる訳にはいきませんので、何でもいいからエエイ!って当てずっぽうに入っていった訳なんですけれども、一旦その道に入ったらもう今度はどこまでもどこまでも出ることができない。出ても今度はどこに自分がいるのか分らないっていうふうなですね。どんな素晴らしいその車に乗っていても、えー、青空のもとで広い道路であっても、(この道大丈夫なんだろうか、この道どこへ行くんだろうか)って、その事について確信のないまま走っているっていうのは何とも不安なものだと言うことですねえ。

 あのー、日本の中でも、「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」っていう標語が一時ありましたけれども、みんな一生懸命働いて、一生懸命勉強して走っているんだけど、(一体自分はこれでいいんだろうか、この道はどこに行くんだろうなあ、どこに向かってるんだろうか)ということが確信のないまま走っているとしたら、これはやっぱり不安ですよね。

 イエス・キリストは「わたしが道だ」(ヨハネの福音書14章6節)とおっしゃった時に、この道を行ったらちゃんと行く所へ行くよという、着くよという、はっきりその方向を明示してくださっているという意味がそこにはある訳ですねえ。「わたしを通して行けば必ず父のもとへ、天の神のもとへ着くことができるんだよ、天国にこの道は繋がっているんだよ」というふうにはっきりと指して下さる。そういう意味において「わたしが道だ」とおっしゃるんですねえ。いかがでしょうか。この道であるイエス・キリストを知ることによって確信のある生き方をしていただければなと思うんです。
 
 ( PBA制作「世の光」2006.08.21放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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